壱之段

マヨヒガ


〝勇者はいとをしや

 万劫年経まんごうとしへる魔を殺し

 又鬼のくび

 現世を思ひて人を殺す

 何故なにゆへ我が身をかえりみん〟


 ――――――

 ――――

 ――


 しゃらん。

 しゃらん。


 鈴が鳴る。


 何処より聞こえるわらべ歌。

 響き渡るは果てなく続く無窮むきゅうの床間。


 人の気もなき廊下が延々と続き、まばらに設けられた燭台しょくだいに紫色の炎が灯る。

 曲がりくねった通路には、壮麗苛烈そうれいかれつな絵巻物のごとき絵画が所狭しと描かれ、そこには〝光り輝く剣〟を手に、醜悪な邪悪仏じゃあくほとけに戦いを挑む武士もののふらしき者の姿が描かれていた。


 ここはいったいどこなのか。

 それは一体いつの出来事なのか。


 全てがねじ曲がり曖昧あいまいとなる深遠の果て。

 果ての先にはこの世の物とは思えぬ豪壮な拝殿はいでんが鎮座しており、その奥でうごめく〝四つの影〟が見て取れた。


「いやー、負けた負けた。ぼっこぼこにされたわー! あのままやり合ってたら、確実にあの世行きだったんじゃねーかな! なはは!」


 影の一つ。

 それは面妖な白漆塗しろうるしりの仮面で顔を覆い、赤茶の長髪をざんばらに流した男――無法の勇者カルマ。


「嬉しそうだな。交渉は決裂したと聞いたが」


 影の一つ。

 それは常人をゆうに越える巨体を持つ、筋骨隆々きんこつりゅうりゅうの大男。

 こちらもカルマのものとは異なるべにの隈取りが施されたうるしの仮面を被り、その素顔を隠している。


「まあね。久々に勇者らしい勇者に会えたもんだから、まぶしくてさ」

「勇者らしい勇者、か……」

「……それは聞き捨てなりませんねぇ。それではまるで、私どもが勇者らしい勇者ではないかのようではございませんか?」


 影の一つ。

 話し込むカルマと大男から離れた床の上。

 ゆらりと声をかけたのは、やはり不気味な蒼白の狐面で顔を隠す、男とも女ともつかぬ法師だった。


「実際そうでしょ? っていうか、そっちの調子はどう?」

「万事順調ですねぇ……欲に目がくらんだ馬鹿どもが、私の手足となって働いてくれますゆえ……」

「うーわ、えっっぐ。やっぱりぜんぜん勇者っぽくないじゃんねぇ?」

「おやおや。言われてみれば、そうかもしれませんねぇ……」


 カルマの言葉に、法師は狐面の下でくつくつと笑う。そして――。


「――では、捕らえられた影鬼衆えいきしゅうは私が助け出しましょう。恐らく明日には、カルマさんの人相書きが江戸中に出回っているでしょうから」

「ごめんね、手間掛けさせちゃって。ぶっちゃけ、もう一人のかわいい子まであんなに強いとは思ってなくてさ」

「謝らないで下さい。貴方と同じく、影鬼衆も私たちの大切な仲間……助けるのは当然のことです」


 影の一つ。

 狐面の法師の隣で、それまで成り行きを見守っていた最後の一人が口を開く。

 優雅な着流しを纏う小柄な体躯から男性であることは窺えたが、やはりその者も面を壮麗な意匠の施された銀色の仮面で覆い、素顔を見ることはできなかった。


「しかしその剣奏汰という勇者……お前の見立てが正しければ、俺たちにとって相当な障害となるであろうな」

「ぶっちゃけ、誤魔化しようはいくらでもあったんだけどね。けどかなっちのあの性格じゃ、てきとーなこと言ってもどうせすぐバレると思って」

「賢明です。信念ある勇者に誤魔化しは通じない。遅かれ早かれ、いずれ刃を交えることになっていたでしょう」

「うむ。勇者を越える勇者……超勇者とやらの剣、いかほどのものか楽しみだ」


 大男は言うと、仮面から覗く口元に不敵な笑みを浮かべた。


『お前らが元の世界に帰ろうとするのを止めたりはしない。けど、そのためにここの人を苦しめるっていうのなら、どんな理由があろうとお前は俺の敵だ……!』


 男の脳裏に浮かぶは、奏汰の堂々たる宣戦布告。

 カルマが伝えた奏汰の言葉は、男を大いに昂ぶらせていた。


「マジでやる気? いちおー忠告しておくけど、かなっちってば下手したら〝俺らの大将〟より強いかもよ?」

「おやまあ、それはなんとも恐ろしいことで……」

「ならばなおさら俺が出るよりあるまい。まずは我らの計画を前に進め、やつがそれを邪魔だてするならば俺が斬る」


 大男はそう言って、一度は溢れた強大な殺気を見事に身の内へと収めた。すると――。


「ふん……また〝ぬしらの同類〟が厄介を招くか。これだから異界人いかいびとは度し難い」


 その時。

 四人のいる床より上段に設けられた広間から、得も言われぬ高貴さを内包した優雅な声が響いた。

 

「はぁ? アンタこそ、俺らがいなきゃ〝あの将軍〟とまともにやりあえねぇ日陰者だろうが。偉そうなこと言ってんじゃねぇぞ」

「ほっほ……我はただ、現状の有り様をそのまま口にしただけぞ」


 現れたのは〝五つ目の影〟。

 その影は上段にある薄いすだれの向こうから、悠々ゆうゆうと四人を見おろしていた。


「主の方こそ、この日の本で大手を振って歩けるのは誰のお陰と思うておる……? 我が助力なくして、主らの望みはかなうまい?」

「てめぇ……」


 すだれのために、その影の正体を捉えることはできない。

 しかし薄く透ける身なりとその物言いから、そこに座る者が相当に高貴な存在であることはうかがえた。


「まあまあ、そう熱くならずともよいでしょう。互いにどう思おうと、今の私どもは一蓮托生いちれんたくしょうの身……仲良くしようではございませんか。ねぇ?」

「チッ……」

「ふむ……」


 制止に入った法師の言葉に、カルマは不服さを隠そうともせずに舌打つ。

 一方の影も短く鼻を鳴らすと、音も立てずに立ち上がり、すだれの向こうで四人に対して背を向けた。


「なんにせよ、その剣奏汰とかいう輩は主らの受け持ちであろう? 我の邪魔とならぬよう、早々に芽を摘むことよ……よいな」


 すだれの向こうから気配が消える。

 残されたカルマは怒気をまとったまま立ち上がると、何処かへと歩き始めた。


「んじゃ、俺はしばらく休むわ。働きっぱなしで疲れちまった」

「どうぞどうぞ、ごゆっくり……」

「お疲れ様。いつもありがとう、カルマ」

「あいよ。あんたらもたまには休みなよ?」


 美しい装飾が施された戸がひとりでに開き、カルマが去る。


「私もこれで失礼致しますよ。まもなく重要な祭祀さいしがありますゆえ……」

「待て、その前に念押しがある」

「……なんでしょう?」


 カルマに続き去ろうとした法師を、男が制止する。


「現状、もっとも我らの目的に近いのはお前だ」

「そうでしょうねぇ……」

「だがそうだとしても、決して焦ってはならぬ。もしお前の計画に超勇者が介入してきた場合は、カルマを習って引き際を見極めよ」

「……お心遣い、感謝致します。もちろん無理はいたしません。こんな私でも、まだまだ長生きはしたいですからねぇ……」

「約束ですよ。全員が揃ってこの世界を脱出する……それこそが、私たちにとってもっとも大切なことなのですから」

「ええ……ありがとうございます」


 その言葉を最後に、今度こそ法師はその場を後にした。


「では、君も気をつけて」

「お前もな」


 最後に残された二人もまた互いに頷き合うと、やがて別々の出口へと姿を消した――。


 ――――――

 ――――

 ――


〝勇者はいとをしや

 万劫年経まんごうとしへる魔を殺し

 又鬼のくび

 現世を思ひて人を殺す

 何故なにゆへ我が身をかえりみん〟


 しゃらん。

 しゃらん。


 鈴が鳴る。


 何処より聞こえるわらべ歌。


 人の気も灯も絶えた無窮の拝殿。

 闇に沈む無窮の通路に、無邪気なわらべの笑い声が木霊する。


 闇はやがて何もかもを包む泡となり潮となり、そこにあった一切を飲み込み弾けて砕けた――。


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