壱之段
壱
マヨヒガ
〝勇者はいとをしや
又鬼の
現世を思ひて人を殺す
――――――
――――
――
しゃらん。
しゃらん。
鈴が鳴る。
何処より聞こえるわらべ歌。
響き渡るは果てなく続く
人の気もなき廊下が延々と続き、まばらに設けられた
曲がりくねった通路には、
ここはいったいどこなのか。
それは一体いつの出来事なのか。
全てがねじ曲がり
果ての先にはこの世の物とは思えぬ豪壮な
「いやー、負けた負けた。ぼっこぼこにされたわー! あのままやり合ってたら、確実にあの世行きだったんじゃねーかな! なはは!」
影の一つ。
それは面妖な
「嬉しそうだな。交渉は決裂したと聞いたが」
影の一つ。
それは常人をゆうに越える巨体を持つ、
こちらもカルマのものとは異なる
「まあね。久々に勇者らしい勇者に会えたもんだから、
「勇者らしい勇者、か……」
「……それは聞き捨てなりませんねぇ。それではまるで、私どもが勇者らしい勇者ではないかのようではございませんか?」
影の一つ。
話し込むカルマと大男から離れた床の上。
ゆらりと声をかけたのは、やはり不気味な蒼白の狐面で顔を隠す、男とも女ともつかぬ法師だった。
「実際そうでしょ? っていうか、そっちの調子はどう?」
「万事順調ですねぇ……欲に目がくらんだ馬鹿どもが、私の手足となって働いてくれますゆえ……」
「うーわ、えっっぐ。やっぱりぜんぜん勇者っぽくないじゃんねぇ?」
「おやおや。言われてみれば、そうかもしれませんねぇ……」
カルマの言葉に、法師は狐面の下でくつくつと笑う。そして――。
「――では、捕らえられた
「ごめんね、手間掛けさせちゃって。ぶっちゃけ、もう一人のかわいい子まであんなに強いとは思ってなくてさ」
「謝らないで下さい。貴方と同じく、影鬼衆も私たちの大切な仲間……助けるのは当然のことです」
影の一つ。
狐面の法師の隣で、それまで成り行きを見守っていた最後の一人が口を開く。
優雅な着流しを纏う小柄な体躯から男性であることは窺えたが、やはりその者も面を壮麗な意匠の施された銀色の仮面で覆い、素顔を見ることはできなかった。
「しかしその剣奏汰という勇者……お前の見立てが正しければ、俺たちにとって相当な障害となるであろうな」
「ぶっちゃけ、誤魔化しようはいくらでもあったんだけどね。けどかなっちのあの性格じゃ、てきとーなこと言ってもどうせすぐバレると思って」
「賢明です。信念ある勇者に誤魔化しは通じない。遅かれ早かれ、いずれ刃を交えることになっていたでしょう」
「うむ。勇者を越える勇者……超勇者とやらの剣、いかほどのものか楽しみだ」
大男は言うと、仮面から覗く口元に不敵な笑みを浮かべた。
『お前らが元の世界に帰ろうとするのを止めたりはしない。けど、そのためにここの人を苦しめるっていうのなら、どんな理由があろうとお前は俺の敵だ……!』
男の脳裏に浮かぶは、奏汰の堂々たる宣戦布告。
カルマが伝えた奏汰の言葉は、男を大いに昂ぶらせていた。
「マジでやる気? いちおー忠告しておくけど、かなっちってば下手したら〝俺らの大将〟より強いかもよ?」
「おやまあ、それはなんとも恐ろしいことで……」
「ならばなおさら俺が出るよりあるまい。まずは我らの計画を前に進め、やつがそれを邪魔だてするならば俺が斬る」
大男はそう言って、一度は溢れた強大な殺気を見事に身の内へと収めた。すると――。
「ふん……また〝
その時。
四人のいる床より上段に設けられた広間から、得も言われぬ高貴さを内包した優雅な声が響いた。
「はぁ? アンタこそ、俺らがいなきゃ〝あの将軍〟とまともにやりあえねぇ日陰者だろうが。偉そうなこと言ってんじゃねぇぞ」
「ほっほ……我はただ、現状の有り様をそのまま口にしただけぞ」
現れたのは〝五つ目の影〟。
その影は上段にある薄いすだれの向こうから、
「主の方こそ、この日の本で大手を振って歩けるのは誰のお陰と思うておる……? 我が助力なくして、主らの望みはかなうまい?」
「てめぇ……」
すだれのために、その影の正体を捉えることはできない。
しかし薄く透ける身なりとその物言いから、そこに座る者が相当に高貴な存在であることはうかがえた。
「まあまあ、そう熱くならずともよいでしょう。互いにどう思おうと、今の私どもは
「チッ……」
「ふむ……」
制止に入った法師の言葉に、カルマは不服さを隠そうともせずに舌打つ。
一方の影も短く鼻を鳴らすと、音も立てずに立ち上がり、すだれの向こうで四人に対して背を向けた。
「なんにせよ、その剣奏汰とかいう輩は主らの受け持ちであろう? 我の邪魔とならぬよう、早々に芽を摘むことよ……よいな」
すだれの向こうから気配が消える。
残されたカルマは怒気をまとったまま立ち上がると、何処かへと歩き始めた。
「んじゃ、俺はしばらく休むわ。働きっぱなしで疲れちまった」
「どうぞどうぞ、ごゆっくり……」
「お疲れ様。いつもありがとう、カルマ」
「あいよ。あんたらもたまには休みなよ?」
美しい装飾が施された戸がひとりでに開き、カルマが去る。
「私もこれで失礼致しますよ。まもなく重要な
「待て、その前に念押しがある」
「……なんでしょう?」
カルマに続き去ろうとした法師を、男が制止する。
「現状、もっとも我らの目的に近いのはお前だ」
「そうでしょうねぇ……」
「だがそうだとしても、決して焦ってはならぬ。もしお前の計画に超勇者が介入してきた場合は、カルマを習って引き際を見極めよ」
「……お心遣い、感謝致します。もちろん無理はいたしません。こんな私でも、まだまだ長生きはしたいですからねぇ……」
「約束ですよ。全員が揃ってこの世界を脱出する……それこそが、私たちにとってもっとも大切なことなのですから」
「ええ……ありがとうございます」
その言葉を最後に、今度こそ法師はその場を後にした。
「では、君も気をつけて」
「お前もな」
最後に残された二人もまた互いに頷き合うと、やがて別々の出口へと姿を消した――。
――――――
――――
――
〝勇者はいとをしや
又鬼の
現世を思ひて人を殺す
しゃらん。
しゃらん。
鈴が鳴る。
何処より聞こえるわらべ歌。
人の気も灯も絶えた無窮の拝殿。
闇に沈む無窮の通路に、無邪気なわらべの笑い声が木霊する。
闇はやがて何もかもを包む泡となり潮となり、そこにあった一切を飲み込み弾けて砕けた――。
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