皐月の夜


「では……その、おやすみなさい。奏汰かなたさん」

「う、うん……おやすみ、新九郎しんくろう


 夜。

 時刻はまもなく日をまたごうかという頃。


 広さで言えば畳数枚分しかないいおりの中。

 奏汰と新九郎はただでさえ狭い室内のど真ん中に間仕切り板を置き、その左右に並んで横になっていた。


 ――

 ――――

 ――――――


「――わかった。ここでこれ以上話しても、吉乃よしのがもっと強情になるだけ。私は一度城に戻って、このことを上様に報告する」

「姉様……っ! わかってくれたんですね!?」


 新九郎による告白の後。

 あまりにも固い決意を見せる新九郎に対し、緋華ひばなはしぶしぶながらも引き下がった。

 しかもそれだけではない。

 新九郎が手狭な庵で奏汰と寝食を共にしても問題がおきないよう、どこぞより取り出した大ぶりな間仕切りと、もう一組のせんべい布団の用意までしてくれたのだ。


「これで吉乃を助けてくれた借りは返した……けど覚えておいて。わたしはいつだってあなたたちを見てる。もしあなたが少しでも吉乃に手を出そうとしたら……ちょん切るから」

「ひえっ!?」

「こ、怖すぎだろ……!?」


 ――――――

 ――――

 ――


(はわわ……っ! ど、どどどどど、どうしましょう!? さっきまでは威勢良く奏汰さんの面倒を見るとか言いましたけど、いざこうして隣同士で横になると……し、死ぬほど恥ずかしいんですけどぉぉおおっ!?)

(こ、これはやばいな……エグいほど緊張する……っていうか、これから一緒に戦うにしても、別に寝泊まりまで一緒じゃなくていいよな!?)


 すでにろうそくの火も消え、明りと言えば透けた屋根と窓から射し込む月明かりだけ。

 やわらかな月の光に照らされた二人は、互いの気配からくる緊張で石のように身を固めていた。


(でも……さっきの奏汰さんの言葉。とっても嬉しかったなぁ……なんだか、思い出すだけで胸がぽかぽかしてきて……)


 闇の中。眠れないなりに目を閉じる新九郎のまぶたの裏に、先ほどの光景がふわふわと浮かび上がる。


『これからは、俺も新九郎と一緒に戦う』


 あの時。

 こちらをまっすぐに見つめてそう言った奏汰の姿。

 新九郎はそれを思い出すだけで嬉しいやら恥ずかしいやら。

 やけにうるさく聞こえる己の鼓動の音が、奏汰にまで聞こえてやいないかと心配までしてしまう。


(はうぅ……やっぱり気付いてなかっただけで、僕もずっと気を張ってたのかな……だから奏汰さんがあんな風に言ってくれて、ほっとして、こんな……)


 新九郎はそう思い、『ふぅ』と大きな息を一つ。

 奏汰の迷惑にならないよう静かに寝返りを打ち、再び目を閉じる。


(でもうれしいな……なんだか、これからは奏汰さんが一緒にいてくれるんだって思うと、すごくうれしい……)

(ぜ、全然寝れないぞ……こういうのって、新九郎は平気なのか!?)


 二人の眠れぬ夜は続く。


(むふふ……なんだか、明日になるのがとっても楽しみになってきました……明日は、まずはじめに同心様のところに行って……そのあとは、今日は行けなかったおそば屋さんに行きましょう……奏汰さん……喜んでくれるかな……――)


 しかしいまだ緊張を続ける奏汰とは違い、その胸にあたたかな思いを抱いた新九郎は、やがてふわふわとした気持ちに包まれてまどろんでいった。


「……やっぱりだめだ。ごめん新九郎。ちょっといいか?」

 

 そうして――いくら頑張っても寝付けなかった奏汰は、やはり自分は外で寝ると伝えるため、間仕切り越しに新九郎に声をかけた。


「…………新九郎?」


 しかし新九郎からの返事はなく、奏汰は仕方なく間仕切りの向こうをのぞき込む。すると――。


「すぴー……すぴー……うぇへへへ……やっぱりかたつむりはぁ~……のろまな亀ですねぇ~……むにゃむにゃ……」

「お、思いっきり寝てるし……!!」


 そこには、いつのまにやら夢の世界に旅立った新九郎の姿。

 薄い月明かりに照らされた彼女の横顔は、実に幸せそうである。


「疲れてたにしてもこんなにぐっすり……俺のこと、そんなに信じてくれてるのかな……」


 それを見た奏汰は思わず困ったような、安心したような……なんとも言えない笑みを浮かべた。

 

(俺も……力になってやりたいな……)


 そのあまりにものんきな笑みの先。

 奏汰が江戸で出会った人々の新九郎への眼差しが浮かぶ。


 木曽同心きそどうしんも。

 彼に従う三人の岡っ引きたちも。

 神田屋の夫婦も。

 そして緋華も。


 なんだかんだと言いながらも、誰もが新九郎のことを心から心配し、また無茶をしないかと気にかけていた。

 そして今。新九郎の穏やかな寝顔を見た奏汰もまた、江戸の人々がなぜそうだったのかを理解した。


『礼には及びませんって! 僕にかかればどんな苦難も万事解決、心配ご無用! どんとこーい!!』


 新九郎の持つ真の才とは、決して剣の才だけではないのだ。

 彼女が持つこの生来の暖かさと優しさ。そしてどれほど張り詰めた空気でも和らげる気の抜けた明るさこそ、人々が気にかけ、奏汰を癒やした本当の天性なのだろうと。

 

(ありがとな、新九郎……)


 それは、奏汰が江戸に来てから何度口にしたかもわからぬ思い、そして感謝だった。

 新九郎の眠りを見た奏汰は一人頷くと、掛け布をそっと新九郎の上に戻し、再び自らの布団に横になった――。


 ――――――

 ――――

 ――


〝舞へ舞へ勇者 

 舞はぬものならば

 魔の子や鬼の子にゑさせてん 

 踏みらせてん

 まことに美しく舞うたらば

 生まれし世まで帰らせん〟


 しゃらん。

 しゃらん。


 鈴が鳴る。


 何処いずこより聞こえしわらべ歌。


 庵を包む清流のせせらぎと夏虫の鳴き声に、戯れ遊ぶ子らの歌声が重なる。


 これが、二人が二人となって初めての夜。


 青く輝く月がゆうゆうと見下ろす川のほとり。

 雨すらまとにもしのげぬ粗末な庵での夜は静かに、ゆっくりと更けていったのであった――。


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