進む思い


「――許せない。ああ許せないともっ!! まさか神であるこの私が、ここまで虚仮こけにされるなんてねっ!!」


 江戸の昼下がり。

 月海院つきみいんからほど近い茶屋の座敷に、憤慨ふんがいした様子のクロムの声が響く。


「いきなりどうしたってんだぁ? そうかりかりせんでも、俺の団子もやるから機嫌直せよ、なぁ?」

「ありがとうっ! たしか君は彦三朗ひこさぶろうとか言ったね……どうやら君は、神である私への接し方を良くわきまえているようじゃないか!」

「わっはっは! わかるとも、わかるとも。俺もガキの頃は、腕っ節で俺に勝てるやつなんていねぇって、神様か仏様にでもなった気でいたからよぉ!」


 その丸い頬を存分に膨らませ、クロムは彦三郎から渡されたみたらし団子をもぐもぐと頬張る。

 その姿はどこからどう見ても立派なわらべだったが、本来の彼は神々の中でも上位の実力を持つ高位神である。

 そんなクロムの姿を見やりながら、卓を囲む奏汰かなた新九郎しんくろう、そして町廻同心まちまわりどうしん義幸よしゆきから言づてを預かってきた元力士の彦三郎は、目の前に並ぶ極上の団子に舌つづみを打つ。

 

 あの山王祭さんのうまつりの夜から、またたく間に時が経った。

 

 奏汰と静流しずるの天をも揺るがす超常の戦いは、時の逆行と改ざんによって戦いの因果そのものが消滅し、この世界に住む人々の中に逆行前の記憶をもつ者は〝ほとんどいない〟。

 

 ほとんどと言うのは、ここにいる奏汰と新九郎、そしてクロムの三人は逆行前に何が起きたのかをはっきりと覚えているからだ。


 静流が語ったこの世界の真実。

 即ち、この世界は勇者を闇に葬るために神々が生み出した牢獄であるということ。

 そして静流を初めとした勇者たちの狙いが、囚われた勇者たちの解放にあること。


 すでに奏汰と新九郎はクロムも交えてこの話について議論を重ねたが、結局の所、どれもすぐに真贋しんがんを確かめられるような事柄でもない。


「言っておくけど、私は無罪だからね! もし私が事前にそんな話を知っていたら、奏汰と一緒に〝父なる神〟に反旗はんきひるがえしていただろうさ!! 勇者の牢獄なんて、それくらい無能な暴挙だ!!」

「心配するなって、俺はクロムを信じてる。それに静流さんの話も、まだ本当にそうだって決まったわけじゃないだろ?」

「もぎゅもぎゅ……それはわかってるよ。だけどこの怒りは、そんな簡単に抑えられるものじゃない。もしこの世界が彼岸ひがんの言うとおりに牢獄だったとしても腹立たしいし、そうじゃなくても腹立たしい!! ごくごく、ぷはー! おかわり!!」

女将おかみさーん。焼き団子四つと、お茶のおかわりお願いしまーす!」

「はいよー!」


〝リスもかくや〟という勢いで団子を頬張るクロムに応え、新九郎はすでに馴染みとなった茶屋の女将に笑みを浮かべて声をかける。


 この茶屋の名は〝鶴亀伊万里つるかめいまり〟といい、新橋しんばしでも有数の団子の名店である。


 こだわりの上新粉じょうしんこでこね上げられた団子生地は、竹で編まれた蒸籠せいろでふっくらと蒸され、そこに秘伝の甘辛タレやあんが塗りかけられている。

 一つ食べればもっちりとした柔らかさと上新粉の甘味が口の中にふわりと広がり、蒸籠特有の爽やかな竹の風味と相まって、まさに絶品の味わいと評判だった。


「はいどうぞ! しかし〝新ちゃん〟は今日も見れば見るほど男前だねぇ……なんだか、また男っぷりが上がったんじゃないかい?」

「ええっ!? そうですか!? やっぱり!? やっぱり僕は、江戸一番の天才美少年剣士だったんですね!?」

「ああそうさ。それに最近は、そっちのつるぎさんと一緒に鬼退治を始めたんだろ? 張り切るのはいいけど、無茶だけはするんじゃないよ。あんたに何かあれば、〝江戸の娘の半分〟は泣いちまうだろうからねぇ……」

「ありがとうございます女将さん。心配しなくても、新九郎のことは俺が支えますから」

「そいつは頼もしいね。頼んだよつるぎさん……新ちゃんのこと、ちゃんと守っておやりよ」


 かつて月海院に用心棒として滞在した頃より、奏汰たちにとって鶴亀伊万里の団子は小腹が空いたときの何よりの楽しみだった。

 女将である〝おきく〟は、年若い二人をまるで我が子を見るかのような眼差しで案じたのだった。


「もぎゅもぎゅ……とにかくだ、この世界のことについては私も手当たり次第調べてみる。他の神のことなんてどうでもいいけど、私に不名誉極まりない疑いがかかったままなんて許容できないからねっ!」

「だれも〝クロぼん〟が悪いなんて疑っちゃいねぇって。おめぇらの小難しい話は、俺にはさっぱりわからねぇけどもよぉ!」

「く、クロぼん……? まさかとは思うけど、それは私のことじゃないだろうね……?」

「あはは! なんだかとってもかわいい呼び方ですねっ」

「そういえば、彦三郎さんの用件って? 同心様からなにか言われてきたんだろ?」


 見た目に似合わずわらべ慣れしている様子の彦三郎に、奏汰は頃合いを見計らって話の矛先ほこさきを向ける。


「おうさ。こっちは同心様直々の〝仕事の依頼〟だ。ここ最近、日本橋近くの三番長屋で〝鬼が出る〟っちゅうんで。お前らの手を借りてぇと」

「日本橋に鬼が!? そんなの初耳ですよ!?」

「見たやつの話じゃ、ずいぶんと〝小せぇ鬼〟だったらしくてな。別に襲われた奴もいねぇんだが、〝飯を漁りに〟家の中まで入ってきておっかねぇんだと」

「ご飯を盗みに来るなんて……なんだか、猫とかねずみみたいな鬼ですね?」

「わかりました。そういうことなら俺たちにも協力させて下さい」

「ありがとよつるぎ。ここだけの話、俺は鼠が大の苦手でよぅ。考えただけで鳥肌もんなんだ」


 長屋街に現れる謎の鬼。

 彦三郎の話を聞いた奏汰と新九郎は共に頷くと、迷わず快諾する。

 すると彦三郎の用件が一段落したのを見計らったのか、今度は奏汰の隣に座る新九郎が身を乗り出して口を開いた。


「あのっ! 僕からも奏汰さんにご相談がありましてっ! 彦三郎さんのお話しついでに聞いて貰ってもいいですか?」

「俺に相談って……そんなに改まって言うことなのか?」

「言うことですっ!!」

「うお!?」


 だがしかし、隣を見れば新九郎の表情は真剣そのもの。

 彼女の気迫を受けた奏汰も、思わず居住まいを正すほどであった。


「実は僕……一度〝父上のところ〟に戻ろうと思ってるんです。母上のことを、父上の口から直接聞きたくてっ!!」

「そうか……たしかに新九郎のお父さんなら、絶対にお母さんのことも知ってるはずだもんな」

「はいっ! あの時……泣いている僕に話しかけてくれたのは、間違いなく母上でした。そしてもしあの時の母上の言葉が本当なら、母上は今も、静流さんのいる場所で生きてるかもしれないんです……!! だけど、僕にはどうして母上が〝そうなっているのか〟がわからないので……」

「新九郎……」


 恐らく、それはとうに新九郎の中では決めていたことだったのだろう。

 しかし一度飛び出した城に戻るという決断は、並大抵のことではない。

 下手をすれば、二度と〝徳乃新九郎としての日々〟には戻れない可能性すらある。


 しかしそれでも。

 それでも新九郎は大切な母と父のため、全てを知りたいと願ったのだ。

 

「なぜ徳乃とくのの母が勇者である彼岸と同じ場所にいるのか……君の話から推察すいさつすると、もうその〝答え〟は出ているようなものだと思うけどね……」

「それでもです……父上だって、まだ母上が生きているかもって知ったら、絶対に喜びます! だから、やっぱり一度戻ってお話しをしようと思うんです!」

「だな……俺もその方がいいと思う」


 世界のこと。

 母のこと。

 そして自分自身のこと。


 静流との戦いを経た新九郎は、今日まで己が置かれていた境遇がいかに暖かく、大勢の人々の優しさによって守られていたのかを知った。


 そしてそれを知ったからこそ、やるべきことは山ほどある。

 

 今よりも強く。

 今よりも知り。

 今よりも前へ。

 

 これまで無軌道に走り回っていた新九郎の歩みは、少しずつ向かうべき先を見いだし始めていた。


「そ、それでですね……? あの、その……奏汰さんさえ良ければ、なんですけど……」

「うん?」


 しかし、それまでまばゆいばかりの決意を語っていた新九郎が、なぜかそこでもじもじと目を泳がせ、両手の人差し指を胸の前でつんつんと突きあわせる。


「あの……か、奏汰さんも僕と一緒に、父上に会って欲しいなぁ~~なんて……」

「え?」

「あ、いえっ! そ、そそ……そんな〝変な意味〟じゃなくてですね!? い、一応僕にとっては里帰りみたいなものなので……っ! 父上にも、僕が奏汰さんと〝寝食を共にしている〟ことは、ご報告しなくてはとっ!!」

「そうなのっ!?」


 その丸い頬を真っ赤に染めながら、新九郎は奏汰をまっすぐに見つめて一息に言い切った。


 一方の奏汰は内心、〝それはどう考えても変な意味に取られるだろ……〟とか、〝わざわざ報告しなくても緋華ひばなさんが伝えてるんじゃ……〟などと思いつつも、新九郎の無垢むく懸命けんめいな眼差しに押されるまま、うんと頷いたのだった――。

 

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