少女を追って


「では……行きますよ、奏汰かなたさんっ!」

「いつでもいいぞ!」


 盛夏せいかの半ば。

 さらさらと流れる神田上水かんだじょうすいのほとり。

 昇り始めた朝日に照らされ、木刀を手に対峙たいじするは奏汰と新九郎しんくろう

 握る獲物えものが真剣ではないとはいえ、互いの放つ剣気けんきは実戦そのものだ。


「てぇえええええええええええい!!」


 長短二刀を構えた新九郎が裂帛れっぱくの気合いと共に踏み込む。

 二刀の切っ先にはその出かかりから氷雪の華が咲き、正確無比に奏汰の胴を穿うがちにかかる。しかし――!


「こっちだ」

「っ!」


 奏汰の声は背後。

 新九郎の放った鋭い一撃をかわした奏汰は、大地を震わせる強烈な踏み込みで瞬時に彼女の背後へ回ったのだ。

 

「けど――見えてます!」

「っ!」


 刹那せつな。死角からの一撃を放とうとした奏汰の視界がぐるりと回る。

 見れば背を取られた新九郎は即座に身を屈め、その小柄な体を生かして見事な足払い一閃。

 全方位をなぎ払う蹴り足は、奏汰の正確な位置を計らずとも攻防一体の反撃となる。


「隙あり! 清流剣せいりゅうけん――八方蝉氷はっぽうせみこおり!!」


 かつての彼女なら決して見せなかった抜刀したままでの体術。

 上下逆に体勢を崩された奏汰は、そのまま新九郎が展開した氷雪の地面に頭から叩きつけられるかに見えた。


「やるな!」

「上!?」


 だがしかし、またもや奏汰の姿はそこにはない。  

 振り向いた新九郎の眼前。そこには彼女が放った氷雪によって凍結した〝奏汰の木刀〟が直立するのみ。

 声に導かれて頭上を見た新九郎の視界に、朝焼けの空を背に、大地すらえぐる跳び蹴りの体勢となった奏汰の姿が飛び込んでくる。


「これはどうする、新九郎!!」

「はわ……っ!?」


 瞬間。新九郎の脳裏に受け、さばき、回避などの無数の選択肢が浮かび、その〝全てが否定〟される。


 奏汰の力は新九郎も良く知っている。

 勇者として人知を越えた力をもつ奏汰の膂力りょりょくは、かつて彼女が対峙した、鬼と化した主膳しゅぜんなど足元にも及ばない。


 もしあの祭りの夜に奏汰が主膳と相対していれば、主膳は先の金五郎かねごろうと同様、秒とかからず滅ぼされていただろう。


 たとえ新九郎が天剣であろうと。

 いかに剣の技を磨こうと。

 いかに鍛錬を積もうとも。

 常人である彼女が、勇者の力に抗うことなど――。



〝勝手ですよね……わたしはもう、どうしたって取り返しのつかないことをしたのに――〟 

 


「――逃げないっ! 受けて立ちます!!」


 走馬燈そうまとうじみた圧縮された時。

 一度は及び腰となった新九郎はしかし、すぐさまその二刀を握りしめて頭上の奏汰に切っ先を向ける。


「清流剣奥義!! 終雪しゅうせつ龗神おかのかみ――!!」


 激突。


 天降あまくだる流星のごとき閃光を放つ奏汰の蹴りと、氷雪の龍となって舞い昇る新九郎の軌跡。


 双方の激突は大気を震わせる突風を辺り一帯に巻き起こし、草木を揺らし、木々に停まる鳥たちを羽ばたかせ、街道を歩く人々の足を止めるほどの炸裂を発生させた。そして――。


「お疲れ様、新九郎」

「あ……」


 駆け抜けた衝撃の先。

 己の全てを出し尽くし、勢い余って倒れそうになった新九郎の体を、奏汰の腕が抱えるようにして支えた。

 

「〝新九郎の勝ち〟だ。もしこれが稽古じゃなかったら、俺も次でやられてたかもしれない」


 新九郎を抱きとめた奏汰は、そう言って〝膝先から凍り付いた片足〟をぷらぷらと揺らした。

 新九郎の放った氷雪の絶技は、山すら砕く奏汰の力にすんでの所で届いていたのだ。


「僕の剣が、奏汰さんに……!? って……すみませんっ! 僕としたことが、奏汰さんの足を〝かちこち〟にしちゃうなんてっ! すぐに手当しないと!!」

「大丈夫だって、このくらいならなんともないよ。けど、戦ってる途中じゃそうはいかないだろ? 新九郎の腕なら、足が凍った俺に追撃だってできたはずだ」


 慌てふためく新九郎の前で、奏汰はすぐさま凍結した片足を〝緑の輝き〟で癒やす。

 そして体勢を崩したままだった新九郎の肩に手を添えて優しく立たせると、彼女が見せた乾坤一擲けんこんいってきの剣に惜しみない賞賛を送った。


「それにしても凄い気合いだったな。今までとはぜんぜん違う……あれが新九郎の本気なのか?」

「本気というか……やっぱり静流しずるさんのことを考えると、自然と力が入っちゃって。それに、一緒に強くなるって奏汰さんと約束しましたもんねっ!!」


 早朝から全力を出し切り、全身汗だくの有り様となった新九郎。

 しかし新九郎はそれにも構わず、その丸くやわらかな頬を桃色に上気させて頷く。 


「あんなに辛くて悔しかったのは、母上がいなくなった時以来だったんです……母上の時はまだ僕も小さくて、なにも出来ませんでした。だけど、静流さんの時はそうじゃなかった……僕は静流さんの目の前にいて、一人前の剣士になったつもりでいたんですっ! それなのに……っ」


 しかしそんな充実も一瞬。


 新九郎はすぐに薄桃の唇を引き結ぶと、自らの不甲斐なさに表情を曇らせる。

 己の不覚を悔いる今の彼女の横顔には、かつての青二才の面影はない。

 自らの未熟を悟り、少しでも高みを目指そうとあがく一人の剣士。

 それが今の新九郎だった。


「僕はまだまだ未熟です……でも僕には奏汰さんも姉様も、大好きな江戸のみんなもいます。静流さんのことも、母上のことも……大切なみんなと一緒に少しでも前に進めるように……もう逃げないって決めたんですっ!」

「だな! 俺たち二人で、絶対にみんなを助けるんだ!」

「はいっ!」


 言って、二人は互いの決意を確認し合う。


 この世界を覆う巨大な闇。

 その闇に囚われた静流を救う。

 大勢の勇者たちを救う。

 無論、この現世を傷つけず。誰一人として犠牲にせずにだ。


 それは、まだしるべすら見えぬ途方もない困難。

 だが今の奏汰と新九郎にとって、そんなものは関係ない。


 出来るか出来ないかではない。

 必ずやり遂げるのだと。


 今はただその思いだけで、二人は今日もこうして厳しい稽古に打ち込んでいた。だが――。


「あ、あの……ところで、その……いま気付いたんですけど……」

「どうした?」

「ぼ、僕……こ、ここ……こんなに汗をかいてるのに……奏汰さんにくっついたままになってて……っ!」

「えっ!?」


 それまでの真面目な様子から一転。


 真剣勝負の興奮から覚め、我に返った新九郎は自らが汗だくのままに奏汰と身を寄せ合っていた現状に気づき、〝茹でだこ〟もかくやという有り様で赤面する。


「は、はわわっ……はわわわ!?」

「ご、ごめんっ!! 俺も足が凍ってたから、つい……」

「ぴええええええええっ! ちょ、ちょ、ちょっと顔洗ってきますーーーーっ!!」


 その去り様はまさに脱兎だっとのごとし。

 もはや乙女であることを隠す気もない様子の〝自称美少年剣士〟は、足元から土煙を巻き上げて一目散に逃げ去っていった。


「やらかした……後で謝らないと……」


 そもそも、はた目から見ればすでに二人の仲は相愛のそれであった。

 もし新九郎が女子であるとおおやけであれば、もはや当然のように〝勇者屋の若夫婦〟と呼ばれていたであろうほどに互いの距離は日頃から近い。


 にも関わらず、その場に残された奏汰の心は平常とは程遠い。


 その身に残る新九郎のぬくもりに高鳴る鼓動。

 どう抑えようと赤面を隠せぬ頬。


 もはや自覚もなにもない。


 世を救うという勇者としての決意とは別に、奏汰は芽生えてしまった己の恋心にどう向き合うべきか葛藤する日々を送っていた。


「はぁ……参ったな。こういうのって、どうしたらいいんだ……?」

「じーー……」

「ぶふぉっ!? ひ、緋華ひばなさんっ!?」

「あなたに大切な話がある……具体的には、ちょん切るかどうかの」

「マジかよ!?」


 時は文政ぶんせい

 時節は文月ふみづき


 移ろいゆく江戸の日々は、勇者屋の二人に新たな風と出会いをもたらそうとしていた――。


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