闇と風


「あれは今から五年前のことでした……十六になったばかりの私は、ここ板橋で大勢のお客様とお付き合いをさせて頂くうち、〝京の二条の宮〟で、お公家様への上覧舞じょうらんまいを披露する運びとなったのです――」


 かつて板橋に咲く白百合しらゆりとも、江戸の明星みょうじょうとも謳われた芸妓げいぎ明里あかさと


 中道屋なかみちやにて奏汰かなたとの面会を望んだ彼女は、一堂に会する勇者屋の面々を前に、その光を失った瞳を閉じたままに語る。


「私の舞に、お公家の皆様は大層お喜びになったそうです。中には、私を〝室〟として迎えたいとお申し出になる方もいらっしゃったと」

「〝そうです〟ってことは……もしかして、明里さんが直接言われたわけじゃないんですか?」

「当時の私は、歌明星うたみょうじょうとは縁もゆかりもない宿に務めておりました。私の行く末は、全て〝お宿の旦那様〟が決めること……そのようなお誘いがあったと私が知ったのも、京をたってからのことでした」


 平然とそう口にする明里に、尋ねた新九郎しんくろうは思わず辛そうな表情で押し黙る。

 

 しかしそんな新九郎の反応を明里が見ることはない。

 明里はそのまま淡々と、順を追って当時の様子を伝えていく。


「京での上覧舞を終えた私たちは、そのまま板橋への帰路につきました。大津おおつから馬場ばば……そして赤坂あかさかへ。やがて美濃みの太田宿おおたしゅくに辿り着いた私たちは、そこで一度数日の休息日を設けたのです。ですが――」


 そこまで言って、明里は一度言葉を句切る。

 見れば明里の身は明らかにこわばり、それまでの毅然きぜんとした様子に、僅かな怯えが滲んでいるのが見て取れた。


「……ですが、そこで私たちは〝一匹の鬼〟に襲われました。たった一晩で大勢の人々が命を落とし、私たちの一団も、旦那様を含め私以外の者は全て鬼に殺されてしまったのです……」

「なんと……その一件なら、俺も耳にしたことがある……」

「〝太田宿の鬼〟って言や、ここ最近で江戸以外に出た鬼の中じゃ一番の大事だったはずだ。まさか、女将さんがそこの生き残りたぁな……」


 太田宿の鬼。

 明里の話にすぐさま心当たりを探り当てた宗像むなかた三郎さぶろうは、驚きも露わに声を上げた。


「はい……そして、私はあの晩確かに聞いたのです。〝鬼が私の名を呼ぶ声〟を……鬼が私のことを探しながら、沢山の命を奪っていくのを……でもあの時の私は、ただ震えていることしかできなくて……っ」

「鬼が明里さんを……!?」

「今も忘れることはありません……燃えさかる火の中で、あの鬼は確かに私のことを呼んでいました。『明里よ……おっかぁよ……どこにいるの? はよう帰ってきて……』と。何度も、何度も……」 

 

 もはや、明里はその身に沸き上がる恐怖を隠すことができなかった。

 膝上に置かれた白い手はかたかたと震え、瞼の閉じられた美しい相貌そうぼうはすっかり青ざめてしまっている。


「その……失礼なことを聞いちゃうけど、女将さんにお子さんは……?」

「おりません……鬼がなぜ私を母と呼ぶのか、私には何一つとして身に覚えの無いことなのです……」


 おずおずと尋ねる春日かすがに、明里はつとめて平静を装いながら頷く。

 その様子からも、彼女が一同を前に虚偽や隠し事をしているようには見えなかった。


「しかれども、明里殿はよくそのような中で生き延びられましたな……五年が経った今も、太田宿の再建はまだ途上と聞く。そのような惨状の中、鬼の標的となっていたにも関わらず……」

「……私一人であれば、間違いなく死んでいたでしょう。けれどあの時、私はある方に命を救って頂いたのです……」

「助けられた……?」


 ようやく呼吸を穏やかにした明里は、岡っ引きの伸助しんすけから向けられた疑問にも冷静に、しかし深い思いを感じさせる重みのある声で応じた。

 

「先日、つるぎ様が尋ねられた風吉かぜきちさんです……私は太田宿で風吉さんに助けられ、命を繋げることが出来たのです」  


 明里のその言葉に、異世界勇者としてのカルマの顔を知る奏汰とエルミールは共に面持ちを変える。当然、それは奏汰の隣に座る新九郎も同様だった。


「風吉さんは、鬼に殺されるより他に道のなかった私の前にどこからともなく現れ、私を抱いて安全な場所まで逃がしてくれました。そして〝その時以来目が不自由になった私〟を、今もずっと支え続けてくれているのです……」


 そう語る明里の横顔は美しく、まるで心より慕う想い人を胸に抱いているかのような暖かさと情に満ちていた。そして――。


「その時に風吉さんが教えてくれたのです……あの鬼は京で私を見留め、太田宿まで追いすがってきた〝高貴な方々の怨霊〟が鬼になった存在なのだと……」

「……つまり明里さんは、板橋の辻斬りが自分を追って江戸までやってきた太田宿の鬼だってわかってたのか?」

「〝わかります〟……だから私は、今までも何度となく奉行所のお役人様や鬼退治で名を馳せた剣術道場の方々にご相談をしようと思って参りました。ですが、風吉さんはそんなことをすれば私の身に危険が及ぶと言って……」

「そういうことだったんですね……」


 明里の表情はどこまでも深い悲しみと苦悩に満ちていた。

 自らを追う鬼によって、次々と見知った者もそうでない者も害されていく。ここまでに見た彼女の人柄から、それがいかほどの痛苦だったかは容易に想像することができた。


「ですから、勇者屋の皆様にお願いしたいのです……板橋宿の辻斬りが狙うのはこの私。どうか……私を鬼を誘い出すための〝呼び子〟としてお使いください。私はこれ以上、私のために板橋の人々が傷つくのを見過ごすことはできないのです……!」


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