かつての瞳


「で……わざわざそれを俺に言いに来たって?」

「うん。明里あかさとさんの気持ちはわかるけど……あの人を危険に晒して鬼のおとりにするようなことはできない。もちろん、カルマに黙ってそんなことをさせるつもりもない」


 時は夕暮れ。

 所は歌明星うたみょうじょうの裏手口。


 間もなくあきないの盛りを迎える板橋宿いたばししゅくでは、老若男女ろうなくなんにょ多くの奉公人たちがせわしなく夜の店構えの準備を進めている。

 慌ただしさを増す黄昏の板橋宿。そこで奏汰かなたは、歌明星の奉公人である風吉かぜきち――否、無法の勇者カルマと一対一で向き合っていた。


「かなっちってば、ほんっとーにクソ真面目だよねぇ……俺だって四六時中明里のとこにいるわけじゃねーんだ。かなっちなら、やろうと思えばどうとでも出来たんじゃねーの?」

「そうだとしてもしないよ。何回か話してみて、カルマが明里さんのことを大切に思ってるのはよくわかった……そこに明里さんのあんな話まで聞いて、カルマに無断で彼女を危ない目にあわせられるわけないだろ」


 明里が勇者屋にその胸の内を明かした日の夕暮れ。

 奏汰は彼女が自分達の元に訪れたことをカルマに伝え、もう一度話を出来ないかと願い出た。


 さすがのカルマも明里が自身の意思で動いたとあっては無碍むげにはできず、奏汰の要求に応じたというわけだ。


「それに、明里さんの話には〝ひっかかるところ〟がいくつかあった。明里さんはカルマのことを信じ切ってるみたいだったけど……もしかしたら、彼女に〝話してないこと〟もあるんじゃないのか?」

「さすがはご立派な勇者サマ……ぶっちゃけ〝かなっちの言うとおり〟だ。悪いね……色々気を使わせちまってさ」


 カルマの言葉通り、奏汰にはカルマに無断で明里と共に鬼と対峙するという選択肢もあった。

 しかし奏汰はその選択をせず、カルマと明里……双方の思いに対して可能な限り誠実に対応する道を選んだのだ。そして――。


「わーったよ……この件に関しちゃ俺の負けだ。あの化け物についてだけは、知ってることをゲロってやんよ」

「カルマ……」

「まったく……かなっちはここに来てまだ半年かそこらしか経ってねーってのによ……これじゃ、百年もうだうだしてる俺がマジで馬鹿みてーじゃねーか……」


 沈み行く夕日の赤に照らされたカルマは、一度奏汰から視線を外し、バツが悪そうに呟いた。


「かなっちの読みどおりだ。あの鬼はただの鬼じゃねぇ……もちろん、明里に言った怨霊なんてのもでまかせよ。あのクソ鬼の正体は、無条親王むじょうしんのう……前にかなっちがマヨイガで見た、あの〝ふざけた化け物の切れ端〟だ」

「なんだって……!?」

「〝あれ〟がただの鬼なら、俺がとっくにぶっ殺してるさ……そうしないのは、俺じゃあいつには絶対に勝てねーし、下手につつけばこの世界も俺の妹も、なにもかも滅茶苦茶になっちまうからってワケ。ほんと、笑えねーよな――」


 ――――――

 ――――

 ――


「――お初に御目にかかります。江戸は板橋から上洛じょうらく致しました、天川宿あまかわやど芸妓衆げいぎしゅうにございます」

「おお……なるほど、これは噂に違わぬ美しさ。日の本一と謳われる歌に舞……今宵より数日のの間、思う存分披露してもらうとしよう」

「はい……とうと御身おんみおぼし召しのままに」


 時は五年前。

 うららかな春の日差しに照らされた京の都。


 花開いた梅の香りに包まれた二条御所にじょうごしょ拝謁はいえつの間で、紅白の巫装束かんなぎしょうぞくに身を包んだ芸妓の一団が集まった公家くげたちを前に平伏していた。


「ほっほ。なんとも見目麗みめうるわしい乙女たちであることよ。我はのぅ、美しいものが好きなのだ。それが人であれなんであれ、美しいものはいくら見ても飽きぬからのう」

「まっこと、無条叔父むじょうおじの仰るとおりでございますな。これならば、わざわざ江戸より足を運ばせた甲斐があったというもの」


 居並ぶ公家たちの外れ。


 平伏する芸妓たちを見おろす公家たちの中でも、一際妖しい眼差しを向ける男――病的な白面びゃくめんに、蛇を思わせる相貌そうぼうを持つ若王子、無条親王が満足げに微笑む。


「ははーーっ! 儂らも江戸の店を閉めて総出で来た苦労が報われるっちゅうもんでさ! どうぞどうぞ、皆様の好きなようにお楽しみくだせぇ!!」


 公家者たちの反応を見た天川宿の老主人は、鼻息も荒く芸妓たちの前に進み出る。

 だがそれを見た公家者……特に無条は途端に表情をしかめると、手に持った扇子で蠅でも払うかのように顔を背けた。


「なんぞ、この小汚いじじいは? 誰ぞある、このじじいを即刻我の目に入らぬ場所につまみ出さんか」

「ぎえっ!? な、何故なにゆえそのような!? ひえええっ!?」


 無条の言葉を受け、白袈裟装束しろげさしょうぞくの一団が音もなく天川宿の主人をその場から連れ去る。

 だがその騒ぎにも芸妓たちは一言も発さず、ただひたすらに平伏するのみであった。


「ほむ、見事よの……よいよい、もうよいぞ。そろそろお主らのおもてを上げて我らに顔を見せてくれぬか? 穢らわしい邪魔者も、我がどこぞに失せさせたでのう。ほっほっほ」

「はい……貴き皆々様からの深甚しんじんたるご配慮、この身に余る恐悦きょうえつに存じます」

「ほう……?」


 無条の言葉に、その場に残された天川宿の芸妓たちは一糸乱れぬ所作で顔を上げる。

 そうして明るみとなった芸妓たちの素顔は、みな見惚れるほどの美しさ。

 しかしそれら芸妓たちの姿を見た無条の視線は、彼女らの先頭に座る芸妓……当時まだ十六になったばかりにも関わらず、すでに江戸の明星みょうじょうとして名を馳せていた一人の少女に注がれていた。


「お、お主……? お主の名はなんという? そこの〝美しい瞳〟を持つお主の名は……!?」


 果たして、それはいかなることか。

 少女の姿を見た無条は、もはや名を尋ねることしか出来ないほどに動揺し、指し示す扇子をふるふると小刻みに震わせる。


明里あかさと……天川宿の明里と申します」 


 無条の問いに、明里は深く透んだ〝浅緑せんりょくの瞳〟を輝かせ、驚きに目を見開く無条親王の視線をまっすぐに受け止めたのだった――。


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