闇の探し者


『お……か…………こ……』

「鬼が、喋ってる……?」

「この鬼……まさか、口をきけるというのか?」


 板橋宿いたばししゅくの闇。

 裏通りでついに辻斬りの主と遭遇した勇者屋一派は、倒れた男の血止めを行う春日かすがと、わらべのクロムを庇いながら伸助しんすけ宗像むなかたが前に出る。


 意外にも小柄な鬼の影は、完全に闇に溶け込みその全貌は見えない。

 しかし共に刃を構えた二人は静かに息を整えると、闇の奥から二人を見据える赤い眼光を捉える。


奏汰かなたが話していた通り、どうやらこの鬼にはそれなりに知性があるようだ……とはいえ、降りかかる火の粉は払うしかないよ!」

「……先陣はお任せを。市島いちじま殿は岡っ引きであるからして、真剣の扱いにおいては赤龍館せきりゅうかん皆伝の拙者に一日の長があるかと……」

「助かる……実に情けない話だが、宗像むなかた殿の見立て通りだ」

「ならば――!!」


 伸助との短いやりとりを終えた宗像は、春日たちから出来る限り鬼を遠ざけるべく、あえて闇の中へと踏み込んだ。


 本来、文政ぶんせいの世にあって市中での大っぴらな帯刀が許されるのは武家階級のみ。

 勢いを増す鬼への対処のため帯刀関連のお触れは緩和されていたものの、それでも町民階級の春日や伸助と、上級武家である宗像とでは真剣の習熟度には相当の差があった。


「でやああああああああああ――!!」

『お……か……?』


 台覧試合たいらんしあいでは無様を見せたが、宗像とて赤龍館の師範代を任される男である。

 冷静さを保ち、平常の力を発揮すれば並の剣士では相手にならぬ技量を持つ。


 宗像の鋭い踏み込みは闇の中にあっても正確に鬼の位置を捉え、放たれた大上段からの一撃は鬼の影を両断せしめる。


「やった!」

「否! この手応えは……ぐぬッ!?」


 だがしかし。確かに鬼の影を断ち切ったはずの宗像の身は、次の瞬間凄まじい勢いで弾かれる。


「宗像殿!」


 宗像の巨体は矢の如き速度で伸助は愚か春日やクロムの位置すら飛び越え、そのまま路地横の宿に激突。轟くような衝撃を起こし、木製の壁面を粉々に打ち崩す。

 

「はっ……! がふ……ッ! し、心配無用……!」


 だが、舞い上がる粉塵の向こうに倒れた宗像の身はなんと〝無傷〟。


 見れば、弾かれた宗像の周囲には円状に張り巡らされた〝紫色の障壁〟が展開されており、障壁によって衝撃から保護された宗像は、激しく咳き込みつつもすぐさま刃を支えに立ち上がる。


「これのお陰で命拾いした……つるぎ殿に感謝せねばな……」

 

 頭を振って立ち上がった宗像は、道着の胸元から小さな護符――不壊ふえの紫を宿した〝奏汰の護符〟をちらと取り出し、ふうと安堵の息をついた。


「く……! だが我々はつるぎの力で無事だとしても、他の者はそうはいかんぞ!! 春日殿、斬られた者は動かせそうか!?」

「無茶言わないで! 生きてるってだけでも不思議なくらいの怪我よ!?」

『ぐるる……お、か……!』


 宗像に代わり前に出た伸助に、再び闇から小さな影が飛び出す。


 いかに岡っ引きにして豪商という才覚溢れる伸助とはいえ、先の言葉通り剣においては春日や宗像には後れを取る。

 伸助は覚悟を決めて踏み込むが、鬼の影は伸助の振り下ろした刃を容易にかわし、伸助の後方で血止めを受ける男へと襲いかかった。だが――!


「いや……! どうやら間に合ったようだよ!」


 刹那。闇に包まれた路地裏に、先ほどから呼び掛けていたクロムの力に応えるようにして天上から純白の閃光が舞い落ちる。


 その光は出現と同時に二手に分かれ、一方は倒れて傷ついた男の元に。

 そしてもう一方は、宗像と伸助の二人がかりでも捉えきれなかった鬼の影を事も無げに斬り受け、再び闇の中に弾き返して見せたのだ。


「――間に合って良かった。その人の怪我は俺に任せてくれ」

「やーやー我こそは!! 江戸一番の天才美少年剣士、徳乃新九郎とくのしんくろうとは僕のことですよっ!! お江戸の平和を脅やかす悪鬼羅刹あっきらせつ……たとえお天道様てんとさまが許しても、この僕は許しませーんっ!!」

つるぎ……! 徳乃とくのもいるか!」

「二人とも、来てくれたのねっ!」


 間一髪現れたのは、超勇者奏汰と天剣の新九郎しんくろう

 奏汰は即座に〝治癒の緑〟で傷ついた男の治療に当たると、ふらつく宗像や、己の道着を男の返り血で染めながら必死に手当を施した春日に向かって力強く頷いた。


「貴方が噂の辻斬りですか……!! こう暗くては鬼かどうかもわかりませんので、まずは貴方の正体を暴かせて貰いますよっ!!」

『ぎ……?』


 治療に当たる奏汰の加勢を待たず、新九郎が一気に仕掛ける。

 すでに彼女の刃には煌々こうこうと輝く炎が燃えさかり、それは路地裏の闇を焼き払うようにして鬼の影へと肉薄する。しかし――。


『おっ……かぁ……ど、こ……?』

「え……!?」

「と、徳乃殿!? なぜ刃を止めるのだ!?」


 しかし一度は完全に鬼を捉えた新九郎の刃は、その身を両断する前に勢いを失う。

 それを見た宗像が驚きの声を上げるが、当の新九郎の表情は、その宗像よりも遙かに大きな驚愕にこわばっていた。


『おっかぁ……どこ?』

「お、お子さんじゃないですか……っ!?」


 新九郎の炎によって明るみに出た影の姿――それはみすぼらしいボロ布を纏っただけの、〝薄汚れたわらべ〟だったのだ。


「子供だって……!?」

「鬼じゃないの!?」

『おっかぁ……おっかぁ……!』

「うわわっ!?」


 その赤く光る眼に新九郎の刃を見たわらべは不思議そうに首を傾げると、まるで己の家は闇だと言わんばかりに新九郎の横をするりと通り抜け、そのまま別の路地に続く漆黒の影に消えた。


 ――――――

 ――――

 ――


〝わが子は六つに成りぬらん 

 腹を空かして歩くなれ

 たま奪いて罪深き さすがに子なれば憎かなし

 負かいたまふな 京の座摩神いかすりのかみの宮〟


 しゃらん。

 しゃらん。

 

 鈴が鳴る。


 闇に混じり。

 宴に混じりし母呼ぶ声。


 何処いずこより聞こえしわらべ歌。


 闇に消えた辻斬りの小さな背を、勇者屋の面々は驚きと共に見送ることしか出来なかった――。

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