打開の意思


「そうか……明里あかさとさんの目が見えないのは、カルマがあの人の視力を〝奪った〟からだったんだな」

「そういうこと……笑いたきゃ笑いなよ。妹だけじゃねぇ……俺はここで、明里以外にも色んな奴らを踏みにじってきた……明里のことだって、俺は無条むじょうのくそ野郎にビビって逃げ回っただけ……無様なもんさ」


 カルマが全てを話し終えた後。

 すでに傾いていた陽は沈み、銅色あかがねいろの残響だけが空を染める。

 

 表通りからは賑わいを増した人々の声が大きくなり、連なる宿の窓からは甘い酒の香りと、胃袋を刺激する夕食の匂いが漂い始めていた。


「一つ聞かせてくれ」

「無条のこと?」

「ああ……俺もたくさんの世界でいろいろな奴と戦ってきたけど、あんな奴と遭ったのは初めてだ。魔王でも、邪神でも、もちろん機械や道具でもない……あいつは一体なんなんだ?」


 自らを卑下するカルマに敢えて同調せず、奏汰かなたは勇者然とした眼差しでカルマに尋ねる。


「……かなっちは、俺たちが江戸にある結界を壊そうとしてるってのは知ってるっしょ? その結界を壊せば、捕まってる俺の妹や他の勇者のみんなを助け出せるって」

「うん。静流しずるさんからも、エルミールからも聞いたよ」


 奏汰の視線を、カルマは常日頃の飄々ひょうひょうとしたものではない瞳で受け止める。

 そして一拍置いた後、まっすぐに奏汰を見つめながら答えた。


「あいつは……あの無条って化け物は、俺たちが壊そうとしてる〝結界そのもの〟なんだってよ。くそったれの神どもは、まだ〝子供だった無条を人柱にして〟この処分場……つまりこの世界を作った……時臣ときおみのおっさんは、そう言ってたな」

「なん、だって……っ!?」


 カルマのその言葉に、勇者の戦場においては冷静さを常とする奏汰も思わず驚きの声を上げた。

 一方のカルマは奏汰を見据えたまま、無条という存在について言葉を続ける。


「どうしてあいつが人柱に選ばれたのかはわかんねぇ……だがとにかく、今のあいつは〝この世界そのもの〟。だからあいつはこの世界をどうこうしようとも思ってないし、俺たちがやることにも、ここに落ちてくるモンスターや勇者にも興味がねぇ。ただへらへら笑いながら生きてるだけ……そういう奴なんよ」

「無条がこの世界そのもの……もしそれが本当なら、なんで神様はそんな回りくどいことを……」

「さあね……けどその話を俺に聞かせてくれた時臣のおっさんの〝キレっぷり〟は尋常じゃなかった……絶対に神を殺す……絶対に神を皆殺しにするって凄みを感じたよ」

「時臣さんが……」

「俺たちが〝結界を壊せば無条も死ぬ〟……そうすれば、捕まった彼岸ひがんちゃんも俺の妹も自由になって、あのクソ野郎ともようやくお別れだ。どーよ? いいことばっかりっしょ?」


 そこでカルマは表情を崩し、〝初めて会った満月の晩と同じ軽薄な笑み〟を浮かべた。だが奏汰は――。


「……明里さんはどうなる?」

「…………」

「結界を壊せばこの世界も消える……でもそれじゃあ、カルマが目を見えなくしてまで助けようとしたあの人も、結界を壊せば一緒に消えちゃうだろ……!?」

「……っ」


 奏汰の言葉に、カルマは一度その瞳に怒りの色を宿し……しかしぐっとその激情を抑える。


「仕方ねーんだよ……前ならともかく、今のかなっちならわかるだろ? 俺がどんなに悪ぶったって……同じ世界で百年も生きてりゃ、〝助けたい〟って思う奴も、力になりたいって思う奴とも知り合っちまう……俺は、かなっちみてーに強くねーからさ……」

「カルマ……」

「明里を無条から助けても、俺が結界を壊せば結局はみんな死んじまう……そんなことはわかってんだ。けどそれでも、俺はあそこであいつを見捨てられなかった……明里を死なせたくなかったんだよ……!」


 思わず漏れたカルマの言葉に、奏汰は全てを悟って天を仰ぐ。


 カルマは……今目の前に立つこの〝強い勇者〟は、すでに限界だったのだと。


 とうにカルマの心は百年の戦いの果てにすり切れ、薄皮一枚……妹への思いや、明里への思いだけでようやく繋がっているに過ぎないのだと。


「自分でもなにやってんのか、もうわけがわからねーんだ……! なんなんだよこの世界は……!? 言っちまえば、くそ野郎の無条だって神のせいで滅茶苦茶にされた〝被害者〟だ……!! 俺だってこの世界は気に入っている……〝前の世界〟でやったみてぇに、勇者サマとして何もかもハッピーエンドにしてやりてぇよ! なのにここには……〝倒せば終わりのラスボス〟がいねえんだよッ!!」


 それは、あまりにも悲痛な感情の吐露だった。

 

 もしもこの世界に存在する勇者がカルマ一人であり、同じように妹が囚われ、それを成した〝巨悪〟が明確に存在していたのなら。


 その巨悪を倒せば妹が助かり、世界も平和になるのなら。

 きっと、カルマは一人で巨悪の打倒を必ず成し遂げただろう。


 だが、この世界にそのような存在はいなかった。


 カルマがいかに足掻こうと、ただ強ければ解決できるような単純明快な目標は存在しなかったのだ。


 百年の間に誰よりもその手を汚し、静流を初めとした多くの勇者が闇に飲まれるのを見送り、エルミールや奏汰のような存在に希望を託しながらもその期待を裏切られ続けた無法の勇者。


 カルマの心は、今にも崩れ去る寸前だった。

 そして、その思いを知った奏汰は――。


「わかったよ、カルマ……俺はお前を信じる」

「信じる……?」


 無力と疲労と閉塞とに震えるカルマの肩に、奏汰の手がそっと添えられる。

 見れば、奏汰の瞳は先ほどまでよりも強い決意の光を灯し、じっとカルマを見つめていた。


「前に言っただろ。俺たちには、この世界のことを調べる力がある仲間がいるって」

「そういや、そんな話をしてたよーな……」

「そいつは俺たちにとっては大切な仲間だけど、そっちにとっては〝最悪の敵〟かもしれなかった。けど今の話を聞いて、俺はカルマを信じるって決めた。だからその仲間も加えて、みんなで――!」

「――そのとーり! そういうことなら、この私の出番というわけだね!!」


 その時。

 奏汰が全てを言い終わるより前に、二人が話し込む歌明星うたみょうじょうの裏口にあまりにも偉そうなわらべの声が響いた。


「うひゃあ!? せっかく隠れてたのに、いきなり飛び出さないで下さいよクロムさんっ!?」

「しんちゃん?」

「クロム? 新九郎しんくろうもいたのか!?」

「やあやあやあ! 悪いけど、君の話は私のゴッドパワーで聞かせて貰ったよ!! つまり全てはまるっとお見通し、話が早いってわけだね!!」

「ご、ごめんなさい奏汰さんっ! 盗み聞きするつもりはなかったんですけど……か、奏汰さんが心配でっ! はい!!」


 裏口の門を乗り越えて飛び出したのは、銀髪碧眼ぎんぱつへきがんのちんちくりんにして上位神のクロム・デイズ・ワンシックス。

 そして、浅葱色あさぎいろの着流し姿ですってんと転ぶ徳乃新九郎とくのしんくろうだった。


「さっきから話を聞いていれば……まるで全部私たち神が悪いみたいに言ってくれるじゃないか! いいだろう……板橋の辻斬りの正体が無条とかいう神の人柱だというのなら、神そのものであるこの私が白黒はっきりつけてやろうじゃないかっ!! ふんす!!」


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