第65話

 週末の土曜日。


 俺はとある駅に来ていた。家の最寄駅ではなく、ここらでショッピングといったらココって感じの街の駅。端的に言うと、いつも遊びに出る時御用達の駅。そこに俺は電車に乗ってやって来た。


 改札を抜けて、よく待ち合わせに使われる謎のモニュメントのところに向かうと、その子はいた。


「蓮兎さん!」


 向こうも俺に気づいたみたいで、周りに注意しながらこちらに駆け寄ってくる。


「久しぶり、紗季ちゃん」

「久しぶり、じゃないですよ。最後に会ったの四月の中旬ですよ? それで、今日は何月何日ですか?」

「そこのコンビニで新聞買ってくる?」

「わたしはタイムスリップとかしてません!」

「おぉこのネタに喰らいつけるとは。ツッコミも完璧。さすが紗季ちゃんだね」

「えへへぇ。……じゃなくてですね。今日はもう五月の終わりですよ!」

「その件に関しましては本当に私の不徳の至すところでありまして」

「あ、あの。そこまで丁寧に謝られると、わたし、困っちゃいますっ」


 俺が深くお辞儀をして謝ると、紗季ちゃんはあわあわと慌てふためく。


 なんか今の俺、紗季ちゃんに勝ててない? 小悪魔系少女に主導権を握られてないぞ。まさか、小井戸との日々の鍛錬のおかげ……? 師匠!


「蓮兎くん。紗季を揶揄うのはそこまでにしときなさい」


 歩きで紗季ちゃんに追いついてやって来た美彩が、俺のおふざけを咎めてくる。


「あ、はい」

「え。……むぅ。蓮兎さん、わたしのこと揶揄ってたんですか」

「はい。すみません」

「ダメです。許しません。わたしを一ヶ月以上放置していた件と併せて……わたしとおてて繋ぎの刑です! 今日はずっとこのままですからね!」

「は? 最高かよ」


 ——は? 最高かよ


「蓮兎くん。あなた、おそらく建前と本音が逆になっているわよ」

「いや、裏表一緒なんで逆とかないっすね」

「はあ」


 美彩に呆れられたような表情をされるが、仕方ない。紗季ちゃんは小悪魔で天使だから。


「蓮兎さん、わたしと手を繋げて喜んでくれるんですか? ……嬉しいです。わたし、罰ゲームのつもりだったので、まさか喜んでもらえるなんて思っていませんでした」

「そんな! 紗季ちゃんと手を繋ぐことが罰ゲームなんてありえないって! むしろ金を払ってしてもらうレベルだよ」

「蓮兎さん。わたし、あそこのお店のバナナジュースが飲みたいです」

「任せて!」

「蓮兎さん。わたし、これが罰ゲームだなんて微塵も思ってませんよ」

「だよね! ……ん? 今なんて?」

「わたしも自分の価値くらいは把握しているつもりです。わたしと手を繋ぐことが、罰ゲームになるなんてこと、あるわけないじゃないですか」


 にひっと悪戯な笑みを浮かべる紗季ちゃんを前に、俺は立ち尽くすことしかできなかった。


 さっきまで俺はこの小悪魔に勝てていたはずなのに。今はどうだ。完全に彼女の手のひらの上で転がされてしまっている。


「じ、じゃあなんで手を繋いだの?」

「……それは、その。わたしがただ、蓮兎さんと手を繋ぎたかっただけですっ」

「ンンッ!!」


 完全敗北。そんな言葉が脳内に浮かび上がった。今の俺の状況に相応しい言葉だ。


 やっぱり、小悪魔系少女・紗季さんには敵わないのだと知った。思えば、小井戸は彼女の下位互換だった。小井戸との鍛錬によって彼女を超えることなぞできるはずもなかったのだ。あばよ師匠。俺はこの門下から出させてもらう。


「……さっきから何をしているのよ、あなたたちは」


 美彩は一層呆れた声で言い、大きなため息をついた。




 * * * * *




 どうして今日、こうして美彩と紗季ちゃんと出かけているかというと、一昨日に美彩から「紗季があなたに会いたがっているわ」と言われたからである。


 先日、あの喫茶店で俺は「紗季ちゃんが会いたいとかそういう別の理由があれば、美彩とデートする」という旨の発言をした。つまり、彼女はその言質を利用して、俺を遊びに誘って来たわけである。


 まぁでも、こうして紗季ちゃんに構っていればデート感は薄れるし、前からこうして三人で遊んでいたからさほど緊張もない。


 俺の左手は現在、紗季ちゃんの右手と繋がっている。これは紗季ちゃんを長らく放置していた罰なのだ。俺はそれを甘んじて受け入れている。


 一方で右手は空いており、それを美彩は先ほどからチラチラと見ている。


「お姉ちゃんとも手を繋ぎたいのですが、よろしいでしょうか」

「もちろんよ」


 美彩も紗季ちゃんには弱いみたいで、紗季ちゃんのお願いに逆らえず、紗季ちゃんと手を繋いでしまった。これにより、俺と美彩が手を繋ぐことは無くなった。流石に三人で円になって移動するのは馬鹿らしいからね。


 そして俺たちは、さっき紗季ちゃんが飲みたいと言っていたバナナジュースを買いに、近くにあるフルーツジュース屋に向かった。メニュー表をしばらく眺めて、紗季ちゃんのバナナジュースに加えて、美彩はブルーベリーミルク、俺はフルーツミックスを注文した。


「はいどうぞ。あらあら、三人で手を繋いで仲良しね。まるでお父さんとお母さんと娘さんみたいね」


 店員さんがそんな冗談を言うので、俺は苦笑を浮かべる。明らかに俺たちのことを揶揄っての発言だ。


「わ、私たちに紗季みたいな大きな娘がいるわけないじゃない。……でも、いいわね。ふふ。私と蓮兎くんが夫婦……」


 満更でもない反応をする者が一人。


「むぅ。せめて仲良し三兄妹がいいですっ」


 異議を唱える者が一人。


 と、多様な反応を見せたところで、俺たちは商品を受け取って駅前の広場のベンチに腰かけた。


「買っていただいてありがとうございます、蓮兎さん」

「いいんだよ。紗季ちゃんを放置しちゃってたのは事実だし。そのお詫びね」

「私の分まで購入してもらってよかったのかしら」

「ついでだよ。それに、ほら。片手しか使えなかったから、ICカードでまとめて払った方が楽だったし」

「ふふ。そうね。そういうことならありがたくいただくわ。ありがとう蓮兎くん」


 五月末ということで、気候は暖かくなってきており、こうして外に座っていても寒くなくて助かる。ただ飲み物を飲むと少し体が冷えてしまうため、ゆっくりと飲んでいく。


「バナナジュース、美味しいです。とてもバナナの味がします」

「そりゃバナナジュースだからね」

「ふふ。こっちのブルーベリーミルクも、ブルーベリーの酸味とミルクの甘味が合わさって美味しいわよ」

「そりゃブルーベリーミルクだからね。各素材の特徴をちょっと述べただけで変わらないよね」

「むぅ。そこまで言うなら、蓮兎さんがお手本を見せてくださいよ」

「そうよ。人の感想に対してとやかく言う前に、まずはあなたが手本を見せなさい」

「ふっ。任せとけ」


 俺は手元のフルーツミックスをストローで吸って口に含み、その味を自慢の貧乏舌で分析する。


「これは……なんかベリー系のフルーツと柑橘類と、あとその他諸々の果物が色々合わさっていい感じのフレーバーを生み出している」

「はあ。蓮兎くん、あなたの食レポには何の具体性もないわ」

「正直がっかりです」

「これはまさに奇跡の味で」

「まだ続けようとしてます!? 蓮兎さん、もう諦めてください……」

「だってさぁ、フルーツミックスなんてもうミックスされちゃってんだから味なんて分かんないよ。強いて言うならミックス味でしかないんだって」


 せめて二人みたいに一つの果物が主役を張っているタイプだったら、上手くできたのになぁ。本当に。マジで。本気と書いてマジで。


「ふふ。それもそうね。結局、味なんて実際に試してみないと分からないものよね。……蓮兎くん、私にもそれ一口いただけるかしら」


 美彩のそのお願いを聞いて一瞬驚いたが、俺たちは既にキスしてしまっているため、あまりそういうのを気にするのも変かと思い、フルーツミックスを美彩に渡した。


 そして美彩は躊躇いなく、さっきまで俺が使っていたストローに口をつけてフルーツミックスを飲み、「美味しいわね」と微笑んだ。


 その一連の様子を紗季ちゃんは目を丸くして見ていた。


「え、え、えぇ!? お、お姉ちゃん! そ、それって蓮兎さんと間接キスになるのでは」

「えぇ、そうよ。それがどうかしたの?」

「お、お姉ちゃんがわたしの知らないうちに大人になっています!」

「あら。私は前から立派な大人よ。ね、蓮兎くん」

「そうっすね」


 そこに関しては若干肯定しにくい。たしかにキスというステップを踏んではいるが、彼女の中身はまだピュアピュアのままだろう。


「何よその反応。蓮兎くんも私の飲んでみる?」

「んー、そうだな。いただくよ。……おぉ、めっちゃブルーベリーとミルク」

「ふふ。あなたも私と同じ感想を口にしているじゃない」

「所詮俺たちは素人。食レポには向いていないってことだ」

「あら。私、あなたよりは自信あるわよ」

「いや、お二人とも同レベルだと思います。……ってそうではなくてですね。い、今、蓮兎さんもお姉ちゃんと間接キスしましたよね!」

「ふっ。紗季ちゃんもまだまだ子供ってことだな」


 四つも年下の紗季ちゃんに対して、大人気なく大人のマウントを取る俺。見たかい紗季ちゃん。矛盾した行動を取るのが大人なんだよ。


 対して、紗季ちゃんは頬を膨らませる。


「むぅ。わたし、中学生になりました。もう立派なレディですよ! じ、じゃあ、はい! 蓮兎さん、わたしとも交換しましょう!」

「……いくら?」

「さ、さっき言ってたことは冗談ですよ。わたし、こんなものに値段なんてつけません!」

「そうだよね。紗季ちゃんとの間接キスはプライスレス。値段なんてつけられないよね」

「もう! ……いじわる言わないでください」


 少しいじけたように言う紗季ちゃんの仕草に、俺の胸はときめいてしまう。この小悪魔系少女は無意識にこれをやるから恐ろしい。


 だけどなぁ。美彩とはキスしているからいいとして、紗季ちゃんとはしてないからちょっと抵抗がある。


「紗季。わがまま言わないの」

「えー。わたしはダメなのに、どうしてお姉ちゃんはいいんですかっ」

「それは私と紗季は別人だからよ。ね、蓮兎くん」

「美彩……フォローはありがたいけど、それで紗季ちゃん納得してくれるかなぁ」

「え、え、待ってください。今、蓮兎さん、お姉ちゃんのこと名前で呼びました!?」

「あ、うん。そういえば名前で呼ぶようになってから、紗季ちゃんに会ってないのか。それで紗季ちゃん、ジュースの交換のことなんだけど」

「ジュースの件はもうどうでもいいです! 今はそっちのお話を聞かせてください!」


 鼻息を荒くして詰め寄ってくる紗季ちゃんに、俺はたじろぎながら、どう説明したものかと考えるのだった。



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