第95話

 遅れてやってきた守屋が2年生全員の前で松居先生に叱られたところで、俺たちの遠足は始まった。


 俺の中で遠足は、みんなで一緒に何処か定められたゴール地点を目指して歩く行事だったのだが、高校生になると割りかし自由な行動が許される行事になるようだ。まあ、うちだけかもしれないが。


 地元を知る、という学習目標を一応設けられているらしいが、生徒たちの頭の中は遊ぶことと食べることで埋め尽くされていると思う。現に、晴の頭の中はそうだろう。だけど、彼女はここに来る前に江ノ島について色々調べてきたらしいから、実は彼女が一番目標を達成できているのかも知れない。


 地元の方や一般客に迷惑をかけないよう、そして我が校の生徒として恥じない行動をするようにと、先生から長々と注意を受けて、俺たちは駅を出発することになった。


 ぞろぞろと約200人の団体が一斉に向かうわけにはいかないので、1組から順番に出発していく。俺たちは2組なのでそこそこ早い方だ。5組の列からはブーブーと文句が聞こえてくる。


「小田はどこに行く予定なんだ?」

「うむ。漫研部の同志と共にグルメ巡りをするつもりだ。瀬古氏と違って、我の恋人は学年が違うのでな。恋人スポットなる場所へ赴くつもりはない」

「まぁそうだよな。ところで、一年生ってどこへ行ったんだろう」

「鎌倉だそうだ。まずは祇園山のハイキングコースを堪能した後、小町通りで一休みして帰る予定らしい」

「ハイキングか。なんか遠足って感じだな」

「まあ我らも今からハイキングするようなものだがな。瀬古氏、江ノ島のアップダウンを舐めてはダメだぞ」


 小田からそんな注告を受けるが、俺はピンと来てなかった。


 俺は両親と一緒に江ノ島に一度だけ来たことがあるそうだが、かなり小さい頃だったので全く記憶にない。


 そのためかなりフレッシュな気持ちで江ノ島に挑むわけで、俺は少しだけ胸を躍らせていた。


 そして先生の合図を受け、俺たち2組も駅を出発した。俺たちの住んでいる町には海がないので、目の前に広がる広大な海を見て「おぉ〜」と声を漏らす。


 サーフィンを行なっている人をちらほらと見かける。湘南といえばサーフィンのイメージは確かにあったので、これも名物の一つだよなあと胸中で呟く。


「晴はサーフィンとかしたことあるの?」

「サーフィンは流石にないかな。体を動かすこと自体は好きだけど、だからといってスポーツ全般をやってきたわけじゃないから。それに初心者がやるにはハードル高そうじゃん。そう言う美彩は?」

「私もないわ。体の動きがイメージつかないものはやる前から苦手意識を持ってしまうから、あまりやる気が起きないのよね。知り合いに上級者がいたらいいのだけれど」

「たしかに。一度やってみたい気はするけど、誰かに教えてもらいながらやりたいよね」


 二人がそんな話をしていると、横から守屋が話に入ってきた。


「俺、サーフィンできるよ! 自分で言うのもなんだけど、めっちゃ上手いから! 今度教えてあげようか?」


 下心を感じる目をしてそんなことを言ってくる守屋に、晴は体を強張らせて美彩の影に隠れてしまう。そして美彩はキッと守屋を睨みつける。


「結構よ」


 短い言葉だったが、明確な拒絶が読み取れるものだった。


 さすがに守屋もそれを感じ取ったらしく、「あ、あはは、オーケー」と引き攣った笑みを浮かべながら言い、そそくさと二人から離れて行った。


「うぅ、ありがとう美彩。あたし、どうしても守屋くんは苦手みたいで」

「大丈夫よ。私も彼は苦手だから」


 散々な言われようの守屋だが、同情することはなかった。俺もあいつは苦手だから。


「蓮兎くんはしたことある?」

「ないなぁ。できる気もしない。波と友達になる前に海の藻屑になるのが目に見えてるし」

「ふふ。たしかに蓮兎くんが上手にサーフィンしている画は想像できないわね」

「そうでしょうそうでしょう」


 自分もあんなイケイケな自分の姿は想像できない。


「ねえ! 去年はプールだったけどさ、今年の夏は海に行こうよ!」


 晴のそんな提案に、俺たちは頷いて答える。


 また3人で泳げたらなって、少し先の自分たちの姿を思い浮かべて頬を綻ばせる。


 しかし、その想像図は橋の上から見えた湘南の波に飲まれてどこかへと流されてしまった。




 * * * * *




 橋を渡り切ったところで、俺たちは松居先生から自由を言い渡された。


 一瞬で散り散りになっていくクラスメイトを見届け、俺たちは少し遅れてスタートする。


「やっぱり海鮮系の店が多いんだな」

「そうね。けど、まだご飯を食べるには早い時間よね。ここは一旦奥に進んだ方がいいかしら」

「タコせんべい! タコせんべいが食べたい! で、お昼はしらす丼食べようよ!」

「江ノ島って言ったらそんなイメージあるし、そうするか。美彩もそれでいい?」

「えぇ。大丈夫よ」


 こうして俺たちは奥へと進むことにした。その道中、タコせんべいを売っているお店があったので立ち寄って購入することに。


「とりあえず、1人1枚買うか」

「そうね。蓮兎くんの分は私が出すわ」

「え。いいよ、自分の分は自分で出すって」

「お願い。ここは私に出させて欲しいの。せめて以前のケーキの料金分だけでも」


 以前のケーキというのは、俺が夜咲家にお邪魔した際に持っていった手土産のことだろう。あの時、俺は美彩のご家族と紗季ちゃんのご家族の分のケーキを買って行ったのだが、夜咲家にいたのは美彩のみで、ケーキを大量に余らせたということがあった。


 だけど紗季ちゃんのところの分は俺が持って帰り、母さんと父さんに食べてもらったので、美彩がそのことを気にする必要はないのだが、彼女の気質からして俺がその申し出を断ったところで折れたりしないだろう。


 なので、ここは彼女のご厚意に甘えることにする。


「じゃあ買ってもらおうかな」

「ふふ。ありがとう、蓮兎くん」

「どうして美彩がお礼を言うんだよ」

「蓮兎くんの優しさに感謝しているだけよ」


 俺のどこに優しさを感じたのかは分からないが、突っ込むとまた辱めを受けそうなので口を噤んだ。


 すると、美彩は少し拗ねたような表情を浮かべる。やっぱりそのつもりだったらしい。危ない危ない。


「ねえ、ケーキってなんの話?」


 俺たちの話を隣で聞いていた晴が、少し不安気な表情を浮かべて聞いてくる。


 俺が美彩の家にお邪魔したことを俺は晴に伝えてないが、どうやら美彩も教えていないみたいだ。


「例の噂が流れる前の日に、美彩の家にお邪魔したんだよ。その時に手土産としてケーキを持っていったんだ」

「……へえ、知らなかった。瀬古、あたしの家に来るときもケーキを買ってきてくれたよね」

「手土産を買っていくなんてこと今までなかったからさ、晴のときに選んだケーキをそのまま流用したんだよ」

「じゃあ、あたしのときの手土産が、瀬古の初めてなんだね」

「え、うん。一応、そうなるのかな」

「えへへ、そうなんだ。あたしが初めて、瀬古の初めて」


 晴の表情から不安の色が消えていく。


 その様子を見て安堵していると、美彩に手をぎゅっと握られた。思わず美彩の方を振り向くと、俺の顔をじっと見つめたあと、少し頬を綻ばせ、顔を背けると同時に握られた手を離された。


 なんとなく彼女の気持ちを察しながら、彼女の視線の先を俺も見つめることにした。


 目の前で機械を使ってプレスされていくタコたちは、きゅうーと悲鳴めいた音を出してせんべいとなっていく。


「この音、少し怖いわね」


 美彩は少し顔を引き攣らせ、タコに同情するような感想を漏らす。


 その一方で、


「おいしそう……!」


 晴は純粋に食を追求していくスタイルを見せている。


 できあがった顔より大きいせんべいを手にして、晴は満面の笑みを浮かべる。今度、陽さんや松居先生にでも見せようと思い、その様子を写真に収めた。


 美彩は少し照れた様子で、自分の顔とせんべいを並べて「とても大きいわね」と俺に感想を伝えてくれた。彼女なりにはしゃいでいるのが分かり、その様子を可愛らしく思った俺は気づいたらカメラのシャッターを切っていた。


 そして俺たちはせんべいに齧りついた。パリッという小気味のよい音と共に、口内にタコの風味が広がる。


「うまい」

「美味しい」

「おいしい!」


 俺たちは口を揃えてせんべいを絶賛し、顔を見合わせて笑った。

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