第96話

 タコせんべいを食べ終えた俺たちは、更に通りの奥へと進んでいく。


 すると大きな赤い鳥居が現れて、俺たちは再び足を止める。


「江島神社に到着したのかしら。意外と近かったわね」

「ふふふ。美彩、騙されたね。たしかに鳥居は島に入ってからすぐだけど、お参りするところまではここからながーい階段を上っていかないといけないんだよ!」

「マジか。もしかして、小田が言ってたのはこのことだったのか……?」

「たしかに鳥居を抜けた先に、階段が長く続いているわね。……私、大丈夫かしら」


 目の前に現れた長い階段を眺めて、美彩は不安の声を漏らす。


 一般客である老夫婦がにこやかに階段を上っていくので、おそらく俺でも上り切ることはできるだろうけど、その後の自分の脚の様子は少し想像したくない。


「大丈夫だって! 少し脅かしちゃったけどさ、普通の観光地なんだから思っていたより楽に到着するよ!」


 晴はやる気満々と言った感じで、笑顔で階段を指差して俺たちにそんなことを言ってくる。


 たしかに晴の体力なら余裕だろうけど、あまり体力に自信のない俺たちは彼女についていけるか心配だ。


 どうしたものかと周りを見渡すと、とある文字が目に飛び込んできた。


「エスカー……?」

「げっ」


 俺が口にした言葉に反応して、晴はげんなりした表情を浮かべる。


「せ、瀬古ー。それは気にしなくていいから、早く階段上ろー」


 露骨な話題逸らしを無視して、俺はその文字が書かれた看板の指す方向を確認する。


 鳥居をくぐって階段を上っていく人もいるのだが、鳥居の前で左折して、俺が今見ている方向へ歩いていく人も少なくない。もしかして……


「なんかエスカレーターがあるぞ」

「えっ」

「……バレちゃった」


 受付前にある説明書きによると、どうやら階段をスキップして頂上へと向かうことでができる魅力的なエスカレーターらしい。


 晴は俺たちにこの存在に気づいて欲しくなかったらしく、頬を膨らませて地団駄を踏む。


「もう、なんで気づくの! 階段上ろうよ!」

「帰宅部を舐めるな。体力はそこらへんの小学生レベルだぞ」

「あたしも帰宅部だよ! てか、さっき子供連れの家族も上ってたじゃん!」

「あの子の将来は登山家だな」

「違うって! いや実際にそうかもしれないけど……うぅ!」

「言い負けるのが早すぎるわよ晴。もう言葉が出てきていないじゃない」

「だって……これはあたしのわがままだもん。あんまり強く言って、二人に嫌われたくはないし……でも階段上がってみたいなあって思うし……」


 晴は少し俯きながら、自分の思いを伝えてくれる。


 晴の心の声を聞いた俺と美彩は顔を見合わせ、お互いに少し難しい顔をする。


 晴の思いを汲み取ってやりたい気持ちは山々だが、途中でギブアップなんてことになったら空気が重くなってしまう。わがままを通した晴もギブアップした人も責任を感じてしまうからだ。


 それならまだいい方で、おそらくギブアップする候補筆頭の美彩は、絶対に音を上げたりなんかしないだろう。そういった空気になってしまうことが分かっているからだ。そうなると、待ち受けているのは美彩がオーバーワークで倒れてしまうという最悪の結末だ。


 一応、俺が先にギブアップすることで最悪の事態は免れるが、やはり晴が責任を感じるのは確実だ。


 これらは俺の憶測でしかないが、そういった可能性がある限り容易に決定することはできない。


 うーんと腕組みをして、もう一度エスカーの案内を見る。すると、救いの手がそこにはあった。


「1区間での販売もしてるみたいだ」

「蓮兎くん、どういうこと?」

辺津宮へつみやっていう中腹部のところまでエスカーを使って、そこから頂上は階段を使って歩きで行けるってわけだ。流石に半分くらいなら、俺たちでも行けるだろう」


 俺がそう言うと、美彩はふっと笑って頷き、晴は顔を上げてパアッと笑顔を浮かべる。


「いいねそれ、ナイスアイデアだよ瀬古! 早速あたし、チケット買ってくるね!」

「え。みんなで行けばいいじゃん」

「ううん。あたしのわがままだから、ここはあたしが出すの。それじゃあ、二人はここで待っててね!」


 受付に向かって駆け出した彼女を止めようと声をかけようとするが、気づいたら既に受付前に到着しており、購入列に並んでいた。足が速すぎる。


「ねえ蓮兎くん」


 二人きりになったところで、美彩が一歩近づいてきて肩が触れ合う距離になる。そして手を握られ、少し上目遣いで訊ねられた。


「今の提案は、晴と私、どちらのためにしたのかしら」


 どうしてそんな質問をするんだと思いつつ、


「俺を含めた3人のためかなぁ」


と答える。すると、美彩はふふっと笑って前を向き、体を傾けて俺に体重をかけてきた。


「あなたならそう言うと思っていたわ。けれど、私の中では、私のために提案してくれたのだと思うことにするわ」

「じゃあさっきのやり取りはなんだったんだよ」

「ただの確認。けれど、事実がいつも正しいとは限らないのよ。蓮兎くんは私が無理をしてしまうのを見越して、エスカーを使わないという選択肢を取れなかった。晴の意思を優先しなかった。この解釈こそが、私の中では正解なの」


 その解釈は事実と異なる部分がある。だけど、彼女の中でそれが正解なら、俺がそれに何か文句をつけるのは愚行だろう。


 だから俺は「そっか」と短く返事をして、それ以上のことは言わない。


 そして彼女はそれを肯定と捉えて、花が咲くように唇を綻ばせる。


 人はこうして自分に都合の良い解釈をしていれば幸せなのだろうか。それを行っている者の代表格である守屋のことを考えると、その仮説を否定したくなる。


「さて。晴はああ言ってくれたけれど、蓮兎くんが私のために提案してくれたことなのだから、私もお金を払ってくるわね」

「え、じゃあ俺も払いに行くよ」

「いいのよ。これは私のお願いを聞いてくれたお礼。だから私に払わさせて。それに、ケーキ代もまだ残っているもの。だから、ね」


 美彩はそう言って、俺の手を一瞬強くぎゅっと握ったあとに離し、小走りで晴のもとへ駆け寄って行った。


 合流した二人は財布を互いに手に持って言い合いを始める。おそらく、自分がお金を出すって互いに言い張っているのだろう。


 少しヒモみたいだなと心の中で自嘲していると、ズボンのポケットの中でスマフォが震えたのを感じた。


 ちょうど一人になって暇だったのでスマフォを手に取り、通知の内容を確認する。小井戸からのメッセージが届いていた。


『どうっすかこの景色。今なら先輩を見下ろせている気がします』


 そんな文章と一緒に、おそらく登山途中で撮影したんだと思われる、鎌倉市街地と海が一望できる写真が送られてきていた。


『ふん。笑っていられるのは今の内だぞ。俺たちは今からエスカーという神器を使って天に登るからな』

『なっ! ずるいっすよそれ! ちゃんとボクみたいに歩いてください!』

『後半は歩くことになったけどな』

『あ、なんとなく察しました。折衷案を取ったわけっすね』

『俺の後輩、察しが良すぎて怖いよぉ』

『何を言ってるんですか。今更っすよ』

『それもそうか』


 話が一段落ついたところで、小井戸の方についての質問をしてみる。


『こっちと違ってそっちはガチ登山っぽいけど、流石に制服じゃないよね?』

『そうっすねー。学校指定のジャージですよー』


 そんなメッセージの後に、一枚の写真が送られてきた。


 それは、今撮ったであろう小井戸の自撮り写真だった。それに写っている小井戸は笑顔でピースをしており、たしかにその格好は見慣れたジャージだった。背景に同じ格好をした人たちが数人座り込んでいるのが写り込んでいるのを見て、今は休憩中なのだと気づく。


『大変そうだなぁ。俺の時は中止になってよかったかもしれない』

『あ、先輩方は行けなかったみたいっすね。たしかにちょっと辛いっすけど、遠足ってだけで楽しめちゃいますよ! それにボク、登山は好きなので!』

『俺も登山は好きだよ。ロープウェイから眺める景色は最高だよな』

『んーーーーー。否定しにくいボケはやめてください! そういう楽しみ方もありなんすから!』

『小井戸は優しいなぁ』

『ふふん。まあ先輩の後輩っすからね!』


 お馴染みの決めセリフが出てきた。しかし、相変わらず意味の分からない言葉だ。俺の後輩だからなんなんだろう。


『ところで、クラスメイトと一緒に撮った写真とかはあるの?』

『なんすか先輩ー。年下に興味を持ち始めちゃった感じっすかー?』

『そうだよな。俺みたいな奴がそんな写真要求したら、そう思われても仕方がないよな。僧になって出直してくるよ』

『わーごめんなさいー本当は先輩の意図分かってたんですーでも恥ずかしくてつい揶揄っちゃったんですってーだから出家しようとしないでくださいー』

『いや意図バレてるの恥ずかしいんだが』

『ボクも恥ずかしいんですから、おあいこですよ!』


 そして届いた一枚の写真には、小井戸を中心に7人の女子が並んでピースをしている姿が写っていた。


 小井戸は俺のために奔走してくれたり、たまに相談なんかも乗ってくれるので、同級生との交流はどうなのだろうと少し心配していたのだが、この写真を見て俺は安堵する。


『良い写真だなぁ。てか、右から8人目の子めっちゃ色白じゃない?』

『なんすかその言い方。分かりやすく左から1人目って言ってくださいよー……って、あれ? この写真、7人しか写ってないんすけど』

『え?』

『え、ちょっと、やめてくださいよ! 冗談だったら許しませんからね! 本当に坊主になってもらいますよ!』

『それだけはどうか』

『嘘だったんじゃないすか! ……はぁ。まあ、それならそれで良いっすよもう。許してあげます』

『小井戸は弁天様』

『さっそく江ノ島に被れちゃってるじゃないっすか。あ、ちなみに、左端の子が小田先輩の彼女さんっす』


 え、まじか。他人の恋人なんて基本興味ないけど、小田に関しては別だ。拡大して見てみるか……へえ、大人しそうだけど可愛らしい子だなぁ……


「蓮兎くん。その女の子は誰かしら」

「レンってメガネも好きだったの? あたし目ぇ良いけど、伊達ならかけられるよ?」


 小田の彼女さんの顔をしっかりと見るために小井戸にもらった写真を拡大して見ていると、美彩と晴が戻ってきていて、二人にその様子を完全に見られてしまった。


 俺に詰め寄ってくる2人の目には光が宿っていなかった。


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