第94話

 片瀬江ノ島駅に到着した俺たちは電車から降りて、改札を抜けて駅の外に出る。


 すると、駅前に俺たちと同じ制服を聞いた男女が集まっていた。それぞれがわいわいと話をしている中、先生たちが声をかけて静まるように促している。


 俺たちより先に到着していた小田を見つけたので、近づいて声をかける。


「おはよう小田」

「うむ。おはよう瀬古氏。それと夜咲氏と日向氏も。3人とも、しっかり間に合ったようだな」

「おはよう小田くん」

「おはよーオタくん! 遠足に遅刻するわけないじゃん!」

「あっはっは。確かに、このビッグイベントを逃すようなことをする者はいないだろう。だが、まだ来ていない者もいるのだよ」

「え? 俺たちが乗ってきた電車が時間ギリギリのやつだったよな」

「えぇ。蓮兎くんが朝弱いと思って、なるべく遅い時間の便にしたもの」


 どうやら俺のためにこの時間の電車にしてくれたらしい。余裕を持って行動する美彩にしては珍しいなと思っていたので、その理由を聞いて納得した。


「あ、ほんとだ。松居先生が焦った顔してる」


 晴が駅前に集まっている生徒に声をかけて出席を取っている松居先生を見て、そんなことを言う。


「焦ってるというか、怒ってる感じするけど」

「ううん。松居先生優しいから、まだ来てない人に何かあったんじゃないかって心配してるんだと思う」

「日向……それを先生本人に伝えてあげたら、泣いて喜ぶと思うぞ」

「えっ、なんで!?」


 晴は驚いているが、絶対に松居先生は狂喜乱舞するはずだ。いや、もしかしたら天に召されてしまうかもしれないから止したほうがいいだろうか。


 松居先生は晴を激推ししており、たまに熱のこもった目を彼女に向けている。ただその愛は保護者としての愛に過ぎないと思う、というかそう思いたい。


 しかし、いったい誰が遅れているんだろうと思っていると、甲斐田が松居先生のもとへ歩み寄って声をかけた。


「先生。守屋はどうも江ノ電の方の江ノ島駅に行ってしまったみたいです」

「……は? あいつ、あれだけ私が注意しておいたのに駅を間違えたのか!」


 どうやら遅刻しているのは守屋みたいで、奴が集合できていない理由を聞いた松居先生は、本当に怒りを表出させた。


 守屋が間違って向かった駅はここからそう離れていないみたいで、急いでこちらに来るように甲斐田から連絡を入れて一旦解決となった。


 そして既に疲れ果てた様子の松居先生が、出席を取るためにこちらに向かってきた。


「お前らもギリギリだったなぁ。重役出勤ってやつか?」

「集合時間には間に合ってるからいいじゃないっすか。あと、晴が守屋を心配している先生のこと、生徒想いで優しいって言ってましたよ」

「……日向。マジ?」

「えっ。あ、はい。言いました。えへへ」

「……はぁぁぁぁぁ。日向の可愛さは世界を救うな」


 推しによって体力を回復した松居先生は、先ほどとは打って変わってキビキビとした動きで出席簿を付け始める。


「お疲れのようですね」

「当たり前よ。大人になりきれないガキどもを大勢連れて外に行くなんて、正気じゃないっての。頼むからお前たち、また何か騒動を起こすんじゃないぞ」

「俺たちが起こしたわけじゃないっすけどね」

「わかってるって。だけど、火元の管理はしっかりしろって話だ。誰が引火するか分かったもんじゃないんだから」


 ぶっきらぼうな言い方だけど、やっぱり俺たちのことを心配してくれているのが伝わってくる。もしかしたら自分が面倒ごとに巻き込まれたくないだけかもしれないけど。


「でも、予定ではこの後は自由行動なんですよね? 松居先生も羽を伸ばせるのでは?」

「馬鹿。見張りのために島内を巡回しまくるに決まってるだろ。はあ。島内を歩き回るって、一番遠足っぽいことをしてるのが私ら教員ってどういうことだ」

「が、頑張ってください先生。見かけたら声かけますね!」

「……めっちゃ歩き回っちゃおうかな〜」

「日向とエンカウントする回数増やそうとしてるぞこの人」

「馬鹿お前、日向にバレるだろ!」

「バレないと思ってるんすか」

「エンカウント? どういうこと?」

「当の本人は分かっていないみたいね……」


 松居先生の言葉の意図が分かっていないのか、それとも単語の意味が分かっていないのか……答えを聞くのが怖いので、真実は闇の中へと放置することにした。


 何はともあれ、俺たちの出席を確認した松居先生は、次の生徒の確認に向かった。


 すると、小田が美彩と晴には聞こえないように俺に話しかけてきた。


「瀬古氏。お二人とは上手くやっていけてるようだな」

「うーん、どうだろう。なんか、今年の4月の初め頃に戻ったような感覚なんだよな」

「うむ。我も少しだけそう思っていたところだ。やはり、3人で仲良くやっていこうとしたら、自然とあの頃の形になってしまうのかもしれんな」


 小田の言うことには同意しかなかった。結局、俺たちはこの絶妙なバランスを保っていくしかないのかもしれない。


 だけど、あの頃とはやはり状況が異なる。クラスメイトの前では流石に晴とは恋人っぽいことはできないが、美彩とは問題ない。


 なので、


「蓮兎くん。約束の件、お願いね」

「鐘だろ?」

「ふふ、ちゃんと覚えてくれていたのね。その鐘は江ノ島に残る恋物語にあやかって作られたもので、愛を誓うスポットらしいわ」


美彩はみんなの前で、こうして堂々と恋人同士らしい話をしてくる。


「へ、へぇ。美彩がそれ系のものに興味を持つなんて意外だなぁ」

「言ったじゃない。私はあなたに変えられたって。それと、これは紗季が教えてくれたのよ」

「なる……へぇ、美彩の従姉妹の妹ちゃんがね」


 「なるほど」と言いかけて、寸前で言葉を言い換えた。


 俺が紗季ちゃんと以前から会っていることを、晴はまだ知らない。そもそも晴に隠していたことだったので、もしかしたら今後も話さない方がいいのかもしれない。


 美彩とそんな話をしていると、晴が無言で俺のことを見つめてきた。その目は若干潤んでいるように見える。


 晴ともその鐘を鳴らす約束をしているが、今ここでその話をするわけにはいかない。そのため、少しだけ話題を逸らして彼女に話しかける。


「日向はさっきの鐘の話知ってた?」

「……うん。知ってるよ。だって有名だもん」

「有名なのか……俺知らなかったんだけど。それで、その恋物語ってどんななの?」

「え、えっとね! 昔この辺に住んでて悪いことしてた五つの首を持つ龍が江ノ島に舞い降りた天女さんに恋をしてね、告白をして最初は素行の悪さを理由に断られるんだけど、龍はそこから改心して最終的に二人は結ばれるの!」

「は〜なるほどね。だから恋人の聖地になったわけか。日向はよく知ってたな」

「えへへ。ここに来る前にちゃんと調べたからね! その鐘があるところから見える景色もいいんだよ!」

「それは楽しみだな」

「うん!」


 元気を取り戻した晴は鼻歌を歌い始める。なんというか、機嫌が分かりやすくて大変よろしい。


 少し離れたところに見える島を眺める上機嫌な晴の様子を観察していると、美彩がそっと近づいてきて俺の手を繋いできた。もちろん指同士が絡み合う繋ぎ方だ。


「え、美彩」

「別にいいじゃない。私たち、付き合っているのだから」


 美彩は小声でそう言い退けて、手を握る力を強めてきた。晴はそれを闇に染まった瞳で見つめ、視界から外すように顔を背けた。


 恋人の聖地と呼ばれる江ノ島。俺たちはそこに招かれていい客なのか、少し不安だ。





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