第14章 もう無理だよ

第108話

 今日は晴と紗季ちゃんの初顔合わせの日だった。


 俺としては念願の日だった。2人は気が合うと思っていたし、今まで胸にあった罪悪感から解放されると思っていたから。


 だけど結果としては、俺たちの関係を知った紗季ちゃんは怒って帰ってしまった。その後、俺と美彩が体を重ねたことを知った晴は気を落とし、そのまま俺たちも帰ることになった。


 本来なら俺は美彩と同じ駅で降りるのだが、晴のことが心配だった俺は、晴と同じ駅に降りた。流石にこれ以上一緒にいるのは気まずかったのか、それとも今日は晴の日だからか、美彩は電車から降りなかった。


 晴はさっきからずっと俯いたままだ。そんな彼女を慰めたい気持ちはあるが、彼女が今そうなっている原因は俺だ。


 それに、ここはうちの高校の最寄り駅ではないにせよ近所であるため、晴みたいにこの辺に住んでいる生徒は少なくない。そのため、彼女に触れることも難しい。


 ……今更なんだって言うんだ。そんなこと。


 結局は全部俺のためじゃないか。なら、このモヤモヤした気持ちを晴らすために、たとえ偽善であっても、落ち込んでいる好きな子の手を取るぐらいしろよ俺。


 意を決した俺は、無言で隣を歩く晴の手を掴んだ。


 瞬間、晴はさっきまで俯かせていた顔をバッと上げて、俺を見つめた。その目には若干の涙が溜まっている。


「だ、ダメだよ。レン。こんなところで、あたしと手を繋いだら、ダメ、なんだよ」


 そんなことを言う彼女だが、彼女の腕からは一切力が感じられず、抵抗している感じが全くしない。


「調子の悪そうな晴が心配で、ふらついて転倒しないように手を繋いでる。それだけだよ」

「……いいの、かな」

「いいんだよ」

「……そっか。いいんだ。えへへ」


 晴の表情に明るさが戻ってきて、俺の手を握る力が強くなる。


 彼女の機嫌を取り戻すことができて嬉しいが、俺は自分の手元を見て思う。


 晴は間違いなく俺の恋人だ。彼女だ。なのに、俺は適当な言い訳を並べて、結局こんな風に恋人繋ぎは避けている。それで彼女に満足してもらっている。


 なんて自分は卑怯なんだろう。誰かに裁いて欲しくなる。俺が楽になるために。何か罰が欲しくなる。


 俺を裁いてくれる人……俺のことを理解してくれて、かつ忌憚のない言葉を言ってくれる人。


 ……脳裏に思い浮かんだのは、生意気な表情を浮かべる後輩だった。




 * * * * *




 特に同年代の誰かとすれ違うこともなく、晴の家の前に到着することができた。


 家に着いたというこは今日はもう解散することを意味するのだが、晴は俺の手を離さそうとしない。そんな彼女の気持ちを汲み取り、彼女のことを愛おしく思ってしまう。


 でも、ずっとここにいるわけにもいかない。


「晴。また明日、改めてどこか遊びに行こうな」

「……帰りたくない」

「いやもう家の前ですけど」

「やだ」

「ずっとここにいるわけにもいかないだろ?」

「じゃあレンも家に入ってよ」

「いや、それは……ご両親、いるだろ」

「……いいじゃん別にいても」

「ご迷惑になるだろ」

「ならないもん。むしろお母さんは喜ぶもん」

「陽さんは……そうかもしれないけど、お父さんもいるだろ」

「……うぅ」


 言い返せなくなった晴は、いつもの鳴き声をあげた後、俺の手をぎゅっと強く握って言った。


「……それじゃあ、お母さんたちがいなかったらいいんだね」

「え? いや、そういうわけじゃ——」

「ちょっと待ってて。絶対に帰らないでね。信じてるから」


 さっきまで離す気を一切見せなかったのに、晴は突然俺の手を離して家の中へと駆け込んでいった。


 信じてる、とまで言われてしまって勝手に帰るわけにもいかず、彼女が帰ってくるのを待っていると、3分もしないうちに帰ってきた。


 顔を見せた彼女だが、何も言わず俺のところまで走ってきた。そして、その勢いのまま俺に抱きついてきて、俺の胸に顔をぐりぐりと押し付けてくる。


「……晴?」


 俺の胸に顔を埋めたまま動かない彼女に声をかけると、こもった声が返ってきた。


「確認してきた」

「確認? 何を?」

「お父さんとお母さん、明日もお家いるんだって」

「……そっか。じゃあやっぱり、明日はどこか出かけようよ。晴の行きたいところでいいからさ」

「……うん、わかった。後で連絡するね」


 意外とすんなり引き下がる晴に、俺は少しだけ戸惑う。もう少し粘られると思っていた。


「でも最後に、ぎゅってして。あたしだけ抱きしめてるのはやだ。あたしだけが好きみたいでやだ。だから、お願い」

「……わかった」


 晴に促されて、俺は彼女の小さな体を抱きしめる。


 その体は引き締まっており、だけど出ているところは出ていて、柔らかくて。そして今にも崩れてしまいそうなくらい脆く感じるのだった。




 * * * * *




 家に帰って自室に入った瞬間、急激な眠気に襲われて欲望のままにベッドにダイブして爆睡をかました。


 意識が朦朧している中、通話の着信音が聞こえて俺は飛び起きた。


 部屋の中は真っ暗になっており、寝過ぎだろと思いながらけたたましく鳴り響くスマフォを手に取る。そして、相手の名前を確認せずに急いで応答ボタンを押した。


「……もしもし」

『あれ、声が低い。もしかして起こしちゃいましたか?』

「……小井戸?」

『あーやっぱり寝てたんですね。ごめんなさい。また今度かけ直しましょうか』

「いやいいよ。このまま話そう。むしろ話したい」


 まだ半分覚醒していない脳で、小井戸に返事をする。


 すると、向こうの返事が途絶えてしまった。何か失言してしまっただろうかとぼんやりとした自分の発言を思い返していると、やっと彼女の声が聞こえてきた。


『……も、もー。先輩は仕方ないっすねー。ボクとお話する時間がそんなに大事なんすかー?』

「今はそうかな」

『今はってなんすか今はって! ……何かあったんですね』

「うんまあ、ちょっとな。でも今はまだいいよ」

『本当ですか? 遠慮しなくていいんすよ』

「遠慮とかじゃないんだ。もう少し、自分だけでなんとかしたいだけ。ちっぽけなプライドだよ」

『……そうですか。では先輩がいつ倒れてもいいように、蘇生魔法の準備だけはしておくっすね!』

「死ぬ前提じゃないか。せめて瀕死であってくれ」

『訂正するならもう少し手前の状態にしておいてくださいよー』


 小井戸がそんなツッコミを入れたところで、俺たちは同時に一笑する。


 笑ったことで、やっと頭が起きてきた気がする。


「それで、この通話は何か用があってかけてきたの?」

『いえ、ただの雑談目的っす。なのでいつ切って貰ってもよかったんすけど、先輩がボクとお話をしたいというので、張り切っていっちゃいますね!』

「……俺そんなこと言ってたの?」

『言ってましたよ! もしかして、寝ぼけてたんすか? はっ。もしかしてあれが先輩の本音? 先輩、寝ぼけデレという新しい技を習得したんすね!』

「おやすみ」

『うわーごめんなさい揶揄いすぎましたーでも先輩の本音が聞けて嬉しいなって思ったりしてるんですー』


 小井戸は嬉しい内容だろうけど、俺にとっては非常に恥ずかしいものだった。いつか小井戸に催眠をかけて記憶を消さねば。


「本日は土曜日でしたが、小井戸さんはいかがお過ごしでしたか」

『急に距離取るのやめてくださいよ! でも先輩がボクに興味あるみたいでいい質問ですね! お答えしますと、街に出てふらふらしてたら知り合いに会ったので、少しお喋りして帰りました!』

「楽しかったです」

『小学生の日記みたいな感想文を付け足さないでください!』

「内容が薄すぎて……」

『ひどいっす! それじゃあボクが何時に起きて何時に家を出たのか、から説明しましょうか』

「あ、晩御飯ができたみたいだ。悪い小井戸、今日はこのへんで」

『自由すぎませんか⁉ まぁいいっすけど。ボクのことは気にしないでください』

「今日も通話してきてくれてありがとな。また話に付き合ってくれると嬉しいよ」

『先輩のデレ期きたっす! やっぱりこの時の攻撃力を高めるために今までのツンは必要だと——』

「またな」


 小井戸のまた変なノリがまた始まったことを察し、俺は通話を切った。


 すると小井戸から雀が怒っているスタンプを大量に送りつけられた。そしてその最後に「またお話ししましょうね!」というメッセージが届いた。


 小井戸のおかげで完全に目が覚めた俺は、ご飯を食べるためにもベッドから起き上がる。その時、スマフォの着信音が鳴った。また小井戸かと思って画面を確認する。


 メッセージの送り主は晴だった。


 内容は明日の予定について。うちの最寄り駅から出る電車の時間だけが送られてきていた。これに乗ってくれということだろう。


 行き先については何も書かれていない。まあ記載がないということは、特に準備するものもないということだろう。


 ただ、いつもより時間が少し早い。それだけ俺と一緒にいたいということだろうかと一瞬考えてしまい、顔が熱くなるのを感じる。


 俺は自分の気持ちを誤魔化すように「了解」と短い文章を打ち、送信した。

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