第107話

 学校があった日の夜のこと。


 そろそろ模試があるということで自室で勉強を進めていたところに着信が届いた。スマフォの画面に表示されている名前を見て、つい頬が緩む。


「はい、もしもし」

『どもどもーこんばんはです、先輩! お久しぶりですけど、元気してますかー?』


 通話をかけてきた相手、小井戸は今日も元気いっぱいに俺の調子を聞いてくる。


「二人の彼女に囲まれて、うはうはハーレムを堪能してるよ」

『冗談言えるぐらいには元気っぽいっすねー』

「冗談って……はぁ。ここで言い返しても無駄か」

『ですです。ところで先輩、今日の放課後、ひとりで電車に乗ってどこ行ってたんすかー?』

「……ストーカーかお前は」

『そんなー。先輩のおうちの最寄り駅とうちの学校の最寄り駅は一緒なんすから、電車通学のボクが駅で先輩を見かけるのはおかしくないじゃないですかー』

「どうせ分かってるんだろ。……頼む小井戸。二人には内緒にしといてくれないか」

『んー、ボク的にはお二人に伝えたいところですが、先輩がそう言うならそうしときますねー。でも、いざとなった時はボク、お二人に言っちゃいますよ』

「……わかった」


 俺は机の上にある薬袋を一瞥し、そう返事をした。


 小井戸が俺のことに関してはなんでもお見通しだってことを痛感するのは何度目だろうか。彼女と出会ってからのこの短い期間で、もう数え切れないくらい思い知らされた気がする。そのため、彼女に対して変に誤魔化そうという気が起きなくなった。


 そして、彼女は俺に嘘をつかない。だからお互いに変な駆け引きをする必要がなく、彼女と話をするのはとても楽だ。


『それにしても、こうして先輩とお話しするのは本当に久しぶりな気がします』

「そりゃマジで遠足の話をきっかり3時間されるとは思わなかったからな」

『先輩ひどいっす! でもちゃんと最後まで話を聞いてくれた先輩、マジツンデレ!』

「おやすみ」

『うわーごめんなさいー先輩の優しさに甘えてただけなんですー先輩がボクの長話を聞いてくれたのが本当に嬉しかったのに、ちょっとボクも素直になれてなかっただけなんですってー』

「つまり、小井戸はツンデレってことか」

『先輩に影響されちゃいましたかね!』

「はいはい」


 俺がそう適当に返事をすると『なんすかそれー』と抗議が入り、その後に小さな笑い声が聞こえてきた。


『先輩。本当にあの長話でボクのこと嫌になったとかじゃないっすよねー?』

「うん。まあ、冗談だって」

『へへ。わかってますよー。先輩はボクに心配かけないようにしてただけですもんねー』

「冗談だって」

『先輩!? 今それを言ったら、ボクのこと本当に嫌になったみたいになるじゃないっすか!』

「…………」

『今こそ「冗談だって」って言うべきところだったんじゃないっすか!?』

「冗談だって」

『どっちが冗談か分かんなくなるじゃないですか! もー!』

「でも本当は?」

『もちろんわかってますよ! 先輩のことはなんでもお見通しっすからね!』


 ……うん。やっぱり小井戸と話すのは楽しいな。


 もしかしたら、俺にとっての最高の薬は小井戸なんじゃないかってふと思ってしまった。


 さすがに本人にそれを伝えたらドン引きされそうなので、俺は思っていることとは真逆のことを口走ってしまう。


「ここまで丸裸にされて、俺は小井戸が怖いよ」

『ふっふっふ。よいではないっすかーよいではないっすかー』

「語呂悪いな」

『ちょっとボクも思いました。……へへ』

「はは」


 俺たちは互いに笑い、その後、沈黙の時間がやってきた。だけど気まずさとかそういったものは一切感じられない。互いに話したいタイミングを待つ、それだけの時間のような気がする。 


 こうして、彼女との時間はもう少し続いた。




 * * * * *




 駅のロータリーで紗季ちゃんと別れて喫茶店に戻るまで、先日、小井戸と通話をした時のことを思い出していた。


 紗季ちゃんの言う通り、今日俺が遅刻した理由は体調不良だ。予定通りの時間に起きることはできたのだが、体を動かすことができず、つい二度寝してしまったのだ。


 今も気を抜いたらふらついてしまいそうなレベルだ。だけど、今日は一週間のうち二日しかない晴の日だ。このまま俺が帰ってしまったら、彼女は悲しむだろう。


 それに喫茶店なら座っていられるし、もう少し休ませてもらおうかな。あ、でも今日もマスター、お店を貸切状態にしてたから流石に長居したら経営に響くかな。いやマスターが勝手にやってることだけどね。


 喫茶店の前に到着し、「CLOSE」と書かれたプレートをぶら下げたドアを開けて中に入ると、マスターの姿がなかった。店の奥に行ったのだろうか。


 美彩と晴はさっきと変わらず対面で座っていた。一瞬、どちらの隣に座ろうか悩んだが、今日は休日なので晴の隣にする。


「おかえりなさい、蓮兎くん。紗季の様子、どうだったかしら」

「うん、まあ怒ってたかな。3人で付き合うのはありえないって」

「そう。予想はしていたけれど、ああも強く反対してくるとは思っていなかったわ」


 今まで話していなかったことからも、おそらく美彩は紗季ちゃんにこの関係を明かす気はなかったのだろう。


 ただ晴がああ言ってしまったから、対抗するように美彩も言わざるを得なかったのだと思う。


「おかえり、レン」


 紗季ちゃんがいなくなったからか、晴は俺の腕に抱きついてきた。その力は強く、少し痛いなと思うが我慢する。


「ねぇレン。紗季ちゃんと前から会ってたこと、どうして教えてくれなかったの?」

「……ごめん。紗季ちゃんと美彩と3人で会うのが続いて、これを伝えたら晴が仲間外れにされた気分になるかなって思って。でも結局、そんな思いをさせてしまったな。本当にごめん」

「……ううん。いいよ。こっちこそごめんね。本当はさっき、美彩から聞いたんだ。本当の理由。……美彩は紗季ちゃんを利用して、レンを独占する時間を作ってた。あたしと紗季ちゃんを会わせることでその時間を失うのが嫌で、今まで会わせてくれなかったんだって」


 俺が紗季ちゃんと遊ぶようになったのは夏頃からだ。もし晴の言うことが本当なら、美彩は俺のことをその頃から意識してくれたことになる。


 ……それは、やっぱり嬉しい。


 そんな俺の心を読んだのか、晴は腕の力を強めて、さらに俺の腕をしめつける。


「だから、レンが美彩を庇う必要なんてないんだよ。なのに、どうして庇っちゃうの。どうして今の話を聞いて喜んじゃうの。今日レンはあたしの彼氏なんだよ!? 本当は今日だけじゃない! 明日も、明後日も、明明後日も、その先もずーーーーっと、レンはあたしの彼氏! なのに! なのになんで、あたしのこと見てくれないの!? なんで美彩にデレデレするの!?」

「それ、は……」

「何を言っているの、晴。私たちは3人で付き合っているのだから、蓮兎くんが私に好意を示してもおかしくはないでしょう」

「……美彩さ、もう隠し事はないよね。レンに関することで、あたしに言ってないことってもうないよね?」


 晴のその質問に、俺はドキッとした。心当たりが一つあるのだ。


 美彩の様子を窺うと……彼女の口角が上がっていた。瞬間、俺は嫌な予感がした。


 そして、それは的中した。


「蓮兎くんとホテルに行ったわ」

「……なにそれ」

「あら、知らないの? 大人の男女が行くところよ」

「っ……それぐらい、知ってるよ。それで、何を、したの」

「決まっているじゃない。セックスよ」

「あ、ありえないよ。だってずっと一緒にいたんだよ、あたしたち。学校がある日も、休みの日も。家にいる時も通話をして、2人でこっそり会ってないか確認したりもした。ずっとこの3人で一緒だったんだよ。だから、そんなの嘘だよ。2人がそんなところに行く時間なんて、あるはずが——」

「なかったわね。だから、私もあなたと蓮兎くんがしていないと思って安心していたの。その様子からして、推測は当たってたみたいでよかったわ」

「み、認めたね。やっぱり美彩はレンとはまだしてな——」

「私と蓮兎くんがしたのは、3人で付き合うようになる前よ。例の噂の騒動が起きた初日だったかしらね」

「え、あ…………そんな、前、だったんだ……」

「それと、ふふ。蓮兎くんのおかげで、私の初めては良い思い出になったの。だって、蓮兎くんの初めても貰えたのだから」

「……え? お、おかしいよそれ。だって、レンはあたしと既に……」

「あら。晴は蓮兎くんと何も付けずにしたことはないでしょ?」

「………………え? 何も付けずにって、それって、え……」


 完全に項垂れてしまった晴にかける言葉を、俺は見つけられないままでいた。そんな俺の反応から、美彩の言っていることは本当だと晴は感じ取ってしまっただろう。


「あははは……なにそれ。あたし、なにもないじゃん。美彩に勝ってること、ひとつも。どうしたら、よかったのかなぁ。……あぁそっか。やっぱりそうなんだぁ」


 いつもの快活とした様子とは真逆の様相で晴はぶつぶつと何かを呟き、ニタッと笑った。


「あたしが管理しなきゃ、ダメなんだ」


 彼女が小さく呟いた言葉を、俺は聞き取ることができなかった。

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