第130話

 夏休みに入って以降、二人と一切会わなくなった。


 他のクラスメイトと話すことはあるけど休日に会うほどの仲でもなく、一人でどこか遊びに行く気力も起きないため、あたしは外出することもなく家に引きこもっている。


 居心地が良かった場所を失ってしまったことに気づく。いや、そんな場所は前からなくなってしまっていたのかもしれない。


 あたしの行動のせいで。


 自室のベッドで寝転び、現実から目を背けるように、何も視界に入らないよう目を瞑ったりする。


 瞼に覆われて光を遮断されたことで視界は真っ暗だ。なのに三人で仲良くしていた時の光景がフラッシュバックする。彼の笑顔が思い起こされる。


 部屋の外から声が聞こえる。


 あたしと同様に夏休みに入っているのであろう小学生らしき子供たちの楽しそうな声が。それに引き換え、あたしは電気もつけていない部屋で一人ポツンと何もしないでいる。


 同年代くらいの男女の声も聞こえてきた。微かに聞こえてきた会話の内容から、二人は恋人同士なのだと分かった。声のトーンからして、お互いに好きな人と結ばれているのだろう。羨ましい。


 あたしも確かに好きな人と結ばれていたはずだった。


 でも今思い返してみると、あたしは彼にとって誰かの代わりでしかなかったのかもしれない。


 彼には中学の頃から好きな人がいる。だけどその恋はなかなか実らずにいて、それを利用したあたしの誘惑に乗ってくれた。彼女の代わりに、あたしの身体にその想いをぶつけてくれた。


 そんな彼女は、いつしか彼のことを気にするようになっていて、今では彼のことを好きだと明言している。彼女が彼のことを本気で好きになってしまったのであれば、あたしには敵わないと思っていたけど、彼女はあたしに言った。彼はあたしにだけ特別優しいと。


 初めはそんなはずないと思ってたけど、彼はあたしのわがままに必ずと言っていいほど応えてくれた。それが嬉しくて、彼女に対して優越感を覚えて、あたしは何度も彼にわがままを言うようになった。


 そんなあたしに対する彼の優しさも、実は誰かの代わりなのだと気づいた。


 彼は小さい頃に妹を亡くしているらしい。正しくは、妹ちゃん……蘭ちゃんは誕生する前に亡くなっちゃったらしい。


 彼はかなり蘭ちゃんの誕生を楽しみにしていたみたいで、良き兄として妹とどう接していくかを考えていたらしい。


 その、本来蘭ちゃんに注がれるはずだった愛情は彼の中で溜まり続けていて……それがあたしに向けられた。つまり、あたしは彼にとって妹のような存在だったんじゃないかって思うようになってきた。


 現に、あたしのお母さんがあたしと彼を見て言っていたことがある。まるで兄妹みたいだって。


 蘭ちゃんの代わりに甘やかされていた。それをあたしは一人の女子に向ける愛情なんだと勘違いしていた。なんて情けないのだろうか。


 それらの事実に気づいたのも、自分の力ではなく、彼の後輩……小井戸ちゃんに教えてもらったからだ。そして、あたしたちは小井戸ちゃんによって引き離された。それが彼にとって最善であると言われて。


 初めは小井戸ちゃんも彼のことが好きで、邪魔者であるあたしたちを排除しようとしているのだと思ってしまった。だけど小井戸ちゃんは純粋に彼のために動いているだと分かり、また自分の情けなさを思い知らされてしまった。


 あたしの暴走によって彼を苦しめてきてしまった。だから彼のためにも、あたしは彼から離れるしかない。そんなことは分かっているのに、あたしは未だに彼のそばにいたいと思ってしまっている。でもあたしにそんな資格はない。でも……。


 そんな思考が頭の中で巡り続け、頭の中から追い出そうと別のことをしようとしてもそれに関連する彼らとの思い出が蘇ってきて、また胸が苦しくなる。


 だからもう、何もしないようにしている。何も考えないように。ひたすらベッドに身を投げて、ボーッと時間を過ごす。


 コンコン。


 そんな無駄な時間を過ごしていると、自室のベッドがノックされた。お母さんかな? さっき買い物に行ってくるって声をかけてくれたのに、まだ出てなかったんだ。


 多分、お母さんはあたしの異変に気づいていて、心配してくれている。だけど無理に聞き出したりとはしてこない。本当にお母さんは優しい。だから心配させてしまっているのが申し訳なく、最近はお母さんと話すのも苦しい。


「……お母さん?」


 お母さんしかありえないが、違って欲しいという気持ちを若干含みながらそんな問いをドアに向かって投げかける。


 すると、予想とは違った声が返ってきた。


「晴ちん。アタシ。由衣姉ちゃんだよ」


 えっ、と言う声が漏れそうになった。


 ユイねえは近所に住むあたしの四つ上のお姉さんで、小学生の時にあたしを陸上に誘ってくれたのもユイ姉だ。


 あたしが高校生になってからあまり会わなくなってたのに、どうして突然あたしの部屋に?


「あ、あれ? 晴ちん? もしかしてアタシのこと忘れちゃってる?」


 ユイ姉の焦ったような声が聞こえてきて、あたしも少し焦って返事をする。


「そ、そんなことないよ!」

「あーよかったよかった。いやー、さっきそこで陽さんとバッタリ会って、久しぶりにご飯食べて行ってよって誘われてさ。ご厚意に甘えて今夜は日向家のご相伴に預かることになったから、その前に晴ちんとお喋りしたいなーって」

「そ、そうなんだ」


 ユイ姉があたしの家にいる理由は分かったけど、今のあたし、ユイ姉に会っても大丈夫かな。多分ひどい顔してるし……。


「晴ちーん。お部屋入ってもいいかなー?」

「あ……うん」


 色々考えていたのに、あたしは断ることなんてできず、ついそう返事してしまった。


「いえーい。じゃあお邪魔しまーす」


 そう言って入ってきたユイ姉は髪を伸ばしており、カラーも入れたりしてとてもお洒落になっていた。あたしの中のユイ姉のイメージは陸上をやっていた時の姿で固まってしまっていたので、綺麗なお姉さんが入ってきたことに少し驚いた。


 同時に、馴染みのあるユイ姉の顔を見て心が穏やかになっていくあたしもいた。


 もしかしたら、さっきはユイ姉を拒否できなかったんじゃなくて、本当はあたしもユイ姉と話しかったのかもしれない。

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