第131話

 部屋の中に入ると、晴ちんはベッドの上で体を小さくして座っていた。


 その姿は太陽のように明るいイメージの彼女らしくない。


 アタシは久しぶりに見た晴ちんを見て「おー」と声を漏らす。


「晴ちん、大人っぽくなったねぇ。なんというか、色気が出てきた感ある!」

「……ほんと?」

「うんうん。あっ、気づいちゃった。ちょっと髪伸ばしたでしょ。全体的には前と変わらないけど、新しく触覚が生えてる!」


 アタシがそう指摘すると、晴ちんは少し照れ臭そうに自分の触覚を弄り始める。


 陸上は辞めたみたいだけど、髪は伸ばさずショートのままだ。確かに晴ちんらしくて可愛い。


 そういえば、一度だけ少し伸ばしてた時期があったっけ。晴ちんが中学三年生の時の夏。髪を伸ばした晴ちんも絶対に可愛いと確信した瞬間だったけど、なぜか学校が再開してからすぐに切っちゃったんだっけ。


「あたし丸顔だから、こうしたら少しでも大人っぽくなるかなって」

「あー、輪郭がシュッと見えるよね」

「うん。それに、これくらいなら伸ばしても大丈夫かなって……」


 晴ちんの顔が少し曇る。


 どうやら髪を伸ばすことに少し抵抗があるらしい。もしかしたら、あの夏に何かあったのかも。


 そうだとすると、あまり髪の長さに触れるのはタブーかな。


「そういえば高校生活はどう? まだ松居先生いる感じ?」

「うん。ユイ姉、松居先生知ってるの? 一年生の頃から担任してくれてるよ」

「うわ、マジかぁ。アタシの時も三年間ずっと担任でさ、めっちゃ小言言われる毎日だったんよなぁ」

「それはユイ姉が真面目にしないからじゃない?」

「うっ。晴ちん、ハッキリ言うねえ」

「だってユイ姉、うちの学校の伝説になっちゃってるんだよ? 赤リボン欲しさにわざと留年した天才って」

「……マジかぁ」


 アタシの人生の最大の汚点、母校で語り継がれちゃってるのか……。


 マジであの時のアタシはどうかしてた。親に迷惑かけてまで赤リボンを求める必要がどこにあったのだろうか。ただ自分の好きな色なだけ。


 でも、それを身につけたアタシの姿を見て、たしかにアタシは満足していた。卒業アルバムに載っているアタシの胸元には赤色が綺麗に映えている。


 ただ、その伝説(笑)のせいで晴ちんにも迷惑をかけてしまっているのかもしれないと思うと、やっぱり気が重たくなる。


「それと……ごめんね、ユイ姉。あたし今、陸上やってないんだ」


 顔を俯かせて申し訳なさそうに言う晴ちんに、あたしは優しく声をかける。


「晴ちんが気にすることなんて何もないよ。たしかに晴ちんを陸上に誘ったのはアタシだけど、晴ちんを陸上に縛り付けようなんて思ってないしね。だから謝らないでオーケー」

「でも……あたしは……」

「アタシも自分の意思で辞めたの。ほら、よく考えたら陸上ってただただ走るだけで何にも楽しくないじゃん? 髪も伸ばしたりできなかったしさー。そろそろオシャレなレディーになりたいと思ってた時期なのよ。だから気にしないで!」


 アタシがそう言うと、晴ちんは「うん」と小さい声を漏らす。


 晴ちんは他人の感情を推し量るのが上手で、そして敏感だ。だからアタシの下手くそな慰めも通じていないかもしれない。


 アタシは小学校低学年の頃から陸上を始め、高校に入ってからも陸上を続けた。結構センスがあったらしく、全国を期待されていた選手だった。


 だけど高校一年生の時に練習中に足を怪我してしまい、そのまま選手生命を絶たれてしまった。


 そんな不本意な形で陸上を引退したアタシと引き換え、晴ちんは自分の意思で陸上を辞めた。それが彼女のアタシに対する負い目の原因なのだろうけど、そんなこと気にする必要なんてない。


 実際、陸上を辞めてからは髪を伸ばし、ネイルなんかしたり、今まで着てこなかった系統の服を着たりとキラキラした生活を送ることができた。


 そう。アタシは充実した生活を送っていて、今も送っている。だから晴ちんが気にすることなんてない。


「現代人には立派な乗り物があるんだからさ、足を使って走るなんてアホらしいよ。実はアタシ、大学に入ってから免許取ったんだよね〜。大型二輪免許! バイクだよバイク、ちょー速いんだから!」

「バイク……? ユイ姉が?」

「そう! これがめっちゃカッコいいんだから」

「今のユイ姉に似合いそうだね、バイク」


 今のアタシに、か。


 他意なんてないだろう晴ちんの言葉に、少し引っかかってしまう。だけどそんな引っかかりなんてすぐに捨ててしまう。


「アタシ自身がかっこいいからね! そりゃ似合うはず——」

「ユイ姉」


 フォローの言葉を畳み掛けようとしたところで、晴ちんが割り込んできた。


 さっきまで俯き気味だった視線が上を向き、アタシの目をまっすぐ捉える。


「アタシのお母さんと会って話したんだよね」

「……そうだよ! 陽さんも久しぶりに話がしたいって言ってくれてさ、晩御飯に誘ってくれて——」

「そこで、お母さんがあたしのことを心配してくれてることを聞いて、ユイ姉はあたしのところに来てくれたんだよね」


 すぐに言い返せばいいものの、アタシは咄嗟に言葉を出すことができず、できてしまったその微妙な間を晴ちんは肯定と捉えた。


「ごめんね、ユイ姉。迷惑かけちゃって」

「そんな、迷惑なんて微塵も感じてないって」

「たしかにあたしは今悩みを抱えてるけど、お母さんにも、ユイ姉にも話せないの。……悩んでるくせに悩みを話さないなんて面倒だよね。だから、ごめん」


 なんか今日、別のやつからも同じようなことを言われたような気がする。


 自分の悩みを曝け出すのには勇気がいることも理解している。だからアイツの時は無理に聞き出そうとはしなかった。


 でも目の前の女の子は小さい頃から知っている。彼女はアタシにとって……だから、簡単に引いたりなんかしない。


「話しづらいのは分かるけど、このままじゃ晴ちん潰れちゃうよ。頼りないかもしれないけどさ、アタシに話してみてよ」

「……どうして。どうしてユイ姉はあたしに優しくしてくれるの?」

「それは……そんな苦しそうな表情見てほっとけないし、それに、晴ちんはアタシにとって妹みたいなもんだから——」

「あたしは妹じゃない!!」

「っ!?」


 突然の晴ちんの叫び声に驚く。


 晴ちんも自分の声に驚いた様子で、ハッとした表情を浮かべると顔を俯かせ、消え入るような声で「ごめん」と謝ってくれる。


「ううん。気にしてないよ」


 びっくりはしたけど、特に嫌な思いはしてない。だからアタシは優しい声色を作ってそう言う。


 晴ちんは床を見つめながら、ぽつりぽつりと言葉を零す。


「あたしは代わりなんかじゃない。でもあたしは美彩彼女じゃない。じゃああたしは彼にとって何? わかんない。教えてよ。レン」


 レン。晴ちんの口から溢れた名前。おそらく晴ちんの彼氏の名前だろう。


 レンという彼氏の存在。晴ちんは誰かの代わりだった可能性。……なんとなく晴ちんの悩みの全体像が掴めてきた。


 代わり。代わり、ね。


 アタシは一つ深呼吸をして、ゆっくりと、そして彼女に寄り添うに声をかける。


「晴ちん。今度アタシと遊びに行こっか」




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赤リボン留年伝説は第24話が初出です。

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