第132話
お盆の時期に入ったある日。
家の車庫から出した愛車の点検をする。
「……うん、問題ないね」
タイヤの空気圧やブレーキのかかり具合を確認して、アタシはぼそっと呟く。
普段はこんな点検をするタイプではないのだが、今日は自分以外も乗せるので少し慎重になっている。
「ユイ姉、バイクに乗ってるってホントだったんだ」
隣の家から出てきた女の子、晴ちんがアタシの愛車を見ながらそんなコメントをする。
「なんだよ晴ちん。疑ってたのかー?」
「そ、そういうわけじゃないけどさ。ユイ姉はあたしより年上だしお姉さんって感じするけど、やっぱり車を運転するのは想像できないというか」
「んー、それはちょっと分かる」
地元の同級生が走っている車の運転席に座っているのを目撃した時はびっくりしたし。
それに晴ちんとよく会ってたのはアタシが高校生の時までだし、イメージがその時で止まってても仕方ない。
「これでもほぼ毎日乗ってるんだよ。大学もこいつに乗って行くし」
「へぇ……知らなかった」
昔は本当の姉妹のように仲良くしていたのに、アタシたちの間には空白の一年と呼べそうな期間が存在することを改めて実感する。
って感傷的になってる場合じゃない。今日は晴ちんに気分転換してもらおうと思ってるんだから。
アタシは手に持っていたヘルメットを晴ちんの前に差し出す。
「はい、晴ちん専用のヘルメット」
「あ、あたし専用の? もしかして買ってくれたの?」
「そうだよ〜」
「わ、悪いよ。いくらしたの?」
「いいのいいの。実は、いつか晴ちんを後ろに乗せて走りたいなって思っててさ。そんなアタシの夢を実現したいっていう、そう、これはアタシの我儘だからさ」
「うぅ……ホント?」
「ホントホント」
「……えへへ。ありがと、ユイ姉」
久しぶりに晴ちんの笑顔を見ることができ、アタシは心の中でガッツポーズをする。
しかし、やっぱりこの子の笑顔は可愛いな。そして、そんな彼女の表情を曇らせたクソ野郎がいるんだよな……腹が立ってきた。だけどそんな感情がアタシの中で湧きあがっていることを晴ちんに悟られないよう、アタシも笑顔を作る。
「あ……」
晴ちんはアタシの顔を見て眉を下げた後、それを隠すようにヘルメットを被る。
そういえばこの子は昔から他人の感情を汲み取るのに長けていたんだった。つまり、アタシの下手な誤魔化しは見抜かれていたってことか。
情けないなと自責しながらアタシもヘルメットを被る。アタシのも晴ちんのもフルフェイスのものだ。
フルフェイスのため万が一のことがあっても最小限の被害に抑えられることができるはずだ。だけどこれでは移動中に晴ちんと会話することができない……こともないのだ。
アタシは無抵抗の晴ちんのシールドを上げる。するとくりっとした目が現れ、目が合うと晴ちんは少し恥ずかしそうにする。
「晴ちん。実はこのヘルメット、携帯と無線で繋げることができてさ、スピーカーとマイクが付いてるんだよ」
「へ? そうなの?」
「ヘルメットも進化してるってことさ。で、その設定したいから、ごめんけど一度脱いでもらえるかな」
「あ、うん」
晴ちんにヘルメットを返してもらい、ちょちょっと操作をする。そして晴ちんにも自分の携帯を操作してもらって接続完了。晴ちんにヘルメットを再び渡し、あとはアタシの携帯から晴ちんに通話をかけて……
「どう? 聞こえるかな?」
『うん。あたしの声は聞こえてる?』
「オッケー、バッチリだよ。それじゃあアタシが先に乗るから、晴ちんは後ろに乗ってね」
『う、うん』
アタシは愛車に跨ってハンドルを握り、足を地面につかせたまま車体を固定させる。
よし、と後ろを振り返ると、晴ちんはどうやって乗ったものかと頭を捻っていた。
「足はそこにかけて、あとはアタシの体を掴んで一気に乗っちゃってよ」
『わ、わかった。えいっ』
晴ちんが乗ったことで車体が少し揺れたが、アタシは力を入れてその揺れを最小限に留める。
ついに晴ちんもアタシの愛車に乗ることができたところで、アタシはエンジンをかける。
「アタシの体にしっかり掴まってね。もう抱きつく感じで」
『うん。えっと、こう?』
ぎゅっと後ろに柔らかいものが押し付けられ、夏なのに心地の良い温もりが背中に広がる。
背は低いのになかなかのものを持ってるなあと感心しつつ、気を引き締めてアクセルを回す。
『わっ』
加速にびっくりした晴ちんの声が聞こえ、アタシの体にかかる力が強くなる。
「晴ちん大丈夫?」
『うん。すごいスピードだね』
「まあバイクだからねー。これが醍醐味ってもんよ」
『違反はしないでよ……?』
「任せて。ギリギリを攻めるのにも慣れてきたんだよね」
『ユ、ユイ姉!?』
冗談だよーと笑いながら言うと、もうっという声が返ってきた。顔を見なくとも頬を膨らませているのがわかる。
少し走り、信号で止まったところで晴ちんに声をかける。
「どう? 晴ちん。風が気持ちいいでしょー」
『うん、気持ちいい。足で走ってもこんなに強い風は受けないね』
「台風の時なら別だろうけどね! まあでも、顔まわりが全然涼しくないのがねー。辛くなったらすぐに言ってよ」
『うん、わかった』
バイクは車と違い、少しふらついた時には落下して命を失ってしまう可能性がある。だからアタシからも晴ちんの体調を気にしなくては。
信号が青になったのでアクセルを回して加速させる。止んでいた風が身に纏い始めて気持ちがいい。
『……ユイ姉、緊張してる?』
そんな心配そうな声が聞こえてきて、アタシの気は一気に引き締められる。
アタシの雰囲気からか、それとも体の硬直具合からか。やっぱり晴ちんは人の感情を悟るのが上手みたいだ。
「あはは、バレちゃった。後ろに人を乗せるの初めてだからさ、どうしても緊張しちゃうんだよね」
『……あたしが、初めてなんだ』
「そうだよ〜。ごめんねー、慣れてなくて」
『ううん。嬉しい。でもユイ姉にばっかり負担かけちゃうから、ちょっと悪いなって。あたしは電車でも大丈夫だったよ?』
「気にしなくていいって。アタシが晴ちんとドライブを楽しみたかっただけなんだからさ。たしかに電車とか利用した方が楽かもしれないけど、これはアタシの我儘。その代わりに少し緊張してるだけってわけよ」
『……ユイ姉は責任も一緒に乗っけてるんだね』
「晴ちんは上手いこと言うなぁ」
アタシが感心したように言うと、少し照れ臭そうに笑う晴ちんの声が聞こえた。
晴ちんの提案に乗っかって、今引き返して電車を使えば、アタシはこの責任から逃れられる。電車が止まってしまっても、晴ちんが提案してくれたことだし、仕方ないねと笑うことができる。アタシが責任を負うことではない。
人生は選択の連続だと誰かが言っていたけど、その選択には常に責任が付いてくる。もちろん、その選択を推した人にも。
だからアタシは……
『それにしても、やっぱりユイ姉が運転してるバイクに乗ってるの違和感がすごいよ』
「これはもう慣れてもらうしかないね。よーし、今度から晴ちんにはアタシのドライブにたっくさん付き合ってもらおうかな」
『えへへ、いいよ。でもユイ姉がそんなにドライブ好きなの知らなかったなぁ。お母さんから聞いたけど、近所のコンビニでバイトしてるんだよね? それも知らなかったし。それにユイ姉、頭良いから家庭教師とかしてるのかと思ってた』
家庭教師。その単語を聞いてアタシの胸が跳ねたのを感じる。
一瞬ハンドル操作をミスしてしまいそうになるが、運転の経験がそこそこあったおかげですぐに立ち直すことに成功する。
運転自体に支障は生じなかったが、このまま誤魔化すのには難しい間を作ってしまったこともあり、アタシは正直に話すことにした。
「……実はさ、最初は家庭教師やってたんだよね。ほらアタシって一応あの大学の学生だからさ、待遇めっちゃ良くて。時給4000円とかザラなんだよ?」
『え、すごい。そんなに貰えるんだ。でもハードワークだったから辞めちゃったの?』
「授業すること自体は苦じゃなかったよ。アタシに依頼してくる家庭の生徒なんて大体高レベルだからさ、一教えたら十を知る感じの子が多かったよ。だから自分には教育の才能があるんじゃないかって勘違いしちゃったなぁ。……まあ、そんなわけなかったんだけど」
授業さえすればお金がもらえると思っていた。実際、求人にはそれしか書かれていなかった。
だけど依頼者が求めているのはそれだけではなかった。
「たまにさ、生徒に相談されるんだよね。進路について。自分はこのまま親の言いなりになってこの大学を受けていいのか。自分が本当にやりたいことを実現するためには別の大学じゃないのか。あー、そもそも大学を受けること自体に懐疑的になってる子もいたっけ」
『進路の相談……』
晴ちんが重く呟く。だけどそれ以降は言葉が続かなかったので、アタシは気にせず話を続ける。
「みんなアタシを頼りにして相談してきてくれてる。それは分かるんだけど、どうしてもアタシは彼女らに真摯に向き合うことができなくてさ。……怖かったんだよ。アタシの言葉が誰かの人生を左右させるってのが。その責任を負うってのが」
『……責任』
「そう。責任。だからアタシは彼女たちの相談に答えることができず、そのまま逃げるように退職して、今は近所のコンビニに安い時給で雇われてるってわけ。いいよ、コンビニのバイトは。覚えることは多いけど、人の人生を変えるようなことはなかなかないからね」
話を終えて、アタシはアクセルを回して愛車を更に加速させる。
すると先ほどより強い風を感じ、アタシの中にあるもやもやを吹き飛ばしてくれる感覚に陥る。
『ユイ姉……』
「さ、晴ちん。そろそろ目的地に着くよ」
眼前に広がるはだだっ広い海。夏なだけあって、泳いでいる人がたくさんいる。その中には多くのサーファーが入り混じっている。
今日の目的地。江ノ島はもうすぐだ。
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