第133話
バイクを適当な駐輪場に停めて、あたしたちは江ノ島に地に足を着けた。
あたしとしては、ここに来たのは二ヶ月ぶりくらい。
そして、あの時には隣に二人がいた。
だけど今日はユイ姉と一緒。別にユイ姉が劣るとかそういうんじゃないんだけど、あたしの胸の中にぽっかりと穴が空いている。
「あー、ここに来たのも久しぶりだなぁ。晴ちんもそんな感じ?」
「え? あ、うん。あはは」
前に学校の遠足で来た。それも、今抱えている悩みの原因である二人と。そんなこと言えるわけもなく、あたしは笑って誤魔化す。
ユイ姉も高校時代に遠足で来たはずなのに、忘れちゃってるのかな。
高校の時の思い出なんて、卒業して数年も経てば忘れちゃうものなのかもしれない。
だったら今のあたしの苦しみも、二人との思い出も、いつか思い出すことも無くなってしまうのだろうか。
……それは、やだな。
「さてと。さっそく何か食べちゃおっか。お、しらすパンだって、珍しい。すんませーん」
ユイ姉は到着早々、目に入ったお店の商品を購入し、いくつかある内の一つをあたしに差し出してくる。
「はい、晴ちんの分」
「ありがと、ユイ姉」
「いいのいいの。シェアハピってやつさ」
「それ古くない……?」
「え、マジ?」
ユイ姉は、あたしのキラキラ時代は既に過ぎ去ってしまったのかと嘆きながらパンを口に運ぶ。そしてその味に感動したのか、その表情は明るくなる。
それが少しおかしくてくすっと笑ってしまう。
そんなあたしの様子を見て、ユイ姉は柔らかく笑う。
その笑顔が、あたしの好きな人のそれに重なって見えた。
胸がずきりと痛む。
ユイ姉はあたしのことを本当の妹のように思って接してくれているのは分かっており、あたしはそれに対して嫌だと思ったことは一度もない。むしろ嬉しい。だからこそ、あたしもユイ姉のことを『ユイ姉』と呼んでいる。
だけど今だけは、そうであって欲しくないという感情が湧き上がってしまう。
「何この色の肉まん……すっごい色。観光地だから受け入れられるけど、うちのレジ横に置かれてたらウケるなぁ」
「でも食べてみたくなるの、不思議だね」
「お、晴ちん食べてみる?」
「う、うーん。いいかなぁ」
「あはは、そっかそっか」
そんな感じで、目に入ったものを話題に上げながら歩き進めていくと、大きな赤い鳥居の前にたどり着いた。
以前はここで階段を上るかエスカーを使うかで揉めたんだっけ。その時は結局、折衷案ってことで途中までエスカーを使ったわけだけど……。
「うっわ、結構急な階段だなぁ。これは上り甲斐がありそうだね晴ちん」
胸の前で拳を握ってそう言うユイ姉に、あたしは答える。
「ねえユイ姉。あそこにエスカーって乗り物があるみたいだよ。暑いしさ、それ使わない?」
そんなあたしの提案に、ユイ姉は一瞬目を丸くする。あたしのことをよく知ってくれているユイ姉としては、今のあたしの発言に違和感を覚えたのだろう。
そして、どうしてあたしがそんな提案をしたのか、あたしの一瞬の視線の移動で察したはずだ。
ユイ姉は高校時代に足を怪我した。それが原因で陸上を辞めてしまっている。日常生活に支障はないみたいだけど、あんまり過度な運動は避けたほうがいいと思う。
だからこその先ほどの提案だ。
だけどユイ姉はあたしのお姉ちゃんであり、優しいから、おそらく無理してでもあたしの好みを優先してきそう。もしそうなったら徹底して戦わないと——
「おぉ、めっちゃ便利なものがあるじゃん。いいね、それ利用しよっか」
「……ふぇ? あ、うん」
あたしの提案は意外とすんなり受け入れられ、拍子抜けした声が漏れてしまう。
もしかして、まだ足の調子は良くないのだろうか。不安になったあたしは再び視線を下にさげる。
するとユイ姉は笑い、その場で軽く足踏みをした。
「だーいじょうぶ。気にしなくていいよ、晴ちん。ありがとね。ただ汗かくのは嫌だからさ、それなら金にものを言わせて楽した方がいいじゃん?」
その動作、そして最後のいやらしい言い方、そのどれもがあたしのためにしていることだと分かる。
やっぱりユイ姉は優しくて、あたしのお姉ちゃんなんだなと実感する。
エスカー代もユイ姉が出してくれて、あたしたちは体力を消費することもなく山頂へと向かっていく。
辺津宮、中津宮を経て展望台のある場所に到着した。エスカーはここまでで、ここからは歩きながら下っていく道になっている。
前にも食べたし、それに暑いからタコせんではなくソフトクリームを購入した。眼下に広がるキラキラとした海を眺めながら口の中を冷やしていく。
「あぁ生き返るぅ……」
「あたしたち楽したはずなのにね」
「暑いから仕方ないんだよ。それに、ほら。今アタシたち太陽に近づいてきてるわけだし。そう考えると合理的じゃん?」
「あはは、たしかに。これ以上は上に行きたくないって思っちゃうね」
「だねぇ。でもトンビたちは優雅にアタシらの上空を舞っているわけだ。意味わっかんないねえ。あ、晴ちん。トンビにソフトクリーム取られないように気をつけてね」
「う、うん。でもソフトクリームを取ったりするのかなぁ。イメージとしては唐揚げとか……あっ。あの人、唐揚げ持ってる……」
「ホントだ。これであの人が狙われたらウケる——あっ」
「あっ」
あたしとユイ姉が注目する、夏なのに暑苦しいジャージを着た人が持っている唐揚げを目掛けて、多くのトンビが一斉に襲いかかった。そして……
「悲惨な光景を見たね」
「だ、大丈夫かなあの人……」
「仲間の人が駆けつけてたから大丈夫でしょ」
野生の恐ろしさを目の当たりにあたしたちは急いでソフトクリームを食べ終え、さらに奥へ、最後の奥津宮に向かった。
辺津宮、中津宮とお参りをしてきて、もちろん奥津宮もお参りをする。
お財布をカバンから取り出し、中を確認する。これまでと同じ金額の十円が数枚あるのを確認し、そのうちの一枚を摘む。……しかし、あたしはそれを取り出さず、五百円玉に持ち替え、そのままお賽銭箱に入れた。
* * * * *
晴ちんはおそらく可哀想な恋愛をしてしまったのだろう。
前に彼女は『代わり』なんて言葉を発していた。
この言葉から推察するに、いくつかのパターンが考えられる。
一つ。晴ちんが浮気相手だったパターン。もしそうだった場合、アタシは相手を殺しかねない。
一つ。実は相手には他に本命がいたけど、妥協で晴ちんと付き合っていたパターン。晴ちんが妥協? 殺すぞ。
他にもいろんなパターンが思いついたが、いずれにしても晴ちんは相手に騙されてしまっているのだと結論付いた。
だからそんな奴は忘れてもらおうと思い、気分転換のためにお出かけを提案した。江ノ島にしたのは、恋人の聖地とかいうのにあやかって、晴ちんの男運が上がればいいなという思いからだ。良縁を祈るってやつだ。
そんな江ノ島を散策している途中でアタシは思い出した。途中というか、もう終盤に差し掛かったところでやっと気づいた。
ここ、高校二年生の時に遠足で来たわ。
詳しいことは聞いてないけど、なんとなく晴ちんの相手は同じ高校の生徒な気がする。それが同級生だったら……やっばぁ。アタシのチョイス悪すぎでしょ。バカすぎ。
失態に気づいて自分を責め立てていると、アタシたちは鐘のある丘に辿り着いた。近くのフェンスには多くの南京錠が付けられており、一個一個に二人組の名前が書かれている。
まさかねと思いながらそちらに適当に視線をやると、アタシの目に『晴』という字が飛び込んできた。上に別の南京錠が被っているため名前しか見えないが、その筆跡には見覚えがあった。
そして、その隣には同じ筆跡で『蓮兎』と書かれてある。
たしか晴ちん、例の相手のことを『レン』って呼んでたっけ。蓮兎……レン……。
あぁ。来てるわ。晴ちん。ヤツと。
今ならまだ引き返せる。確定はしていない。だけど気になってしまい、アタシは上に乗っかっている南京錠をどけようと手を伸ばす。
「ユイ姉」
南京錠に触れようとしたところで、晴ちんに声をかけられた。
アタシはどこか後ろめたい気持ちがあり、焦って晴ちんの方を振り返る。
「ど、どしたの晴ちん」
「あのね、ユイ姉。変なお願いかもしれないけど……あたしと一緒に鐘を鳴らしてくれないかな」
「へ?」
鐘って、あの鐘? いまカップルたちが列に並んで鳴らしている、あれ?
晴ちん、もしかして男性不信になって、
「ちょっと確認したいことがあるの。だめ、かな?」
そんなわけもなく、どうやら晴ちんには考えがあるみたいだ。
少し気恥ずかしいが、晴ちんに上目遣いで頼まれて断れるはずもなく、アタシは「オーケー」と承諾した。
カップルに混ざって列に並び、周囲からの視線に耐えながら女子同士で鐘を鳴らす。
ごわんごわんと鈍い音があたりに響き渡る。音の発信源である鐘を見つめるアタシに対し、晴ちんは自分の手を見つめていたのが印象的だった。
鳴らし終えたので丘を下りると、晴ちんは小さい声で聞いてきた。
「ねえ、ユイ姉。ここに来る時にさ、
「え? あー、うん。アタシの前のバイトの話ね」
「うん。あたし、それを聞いてずっと考えてたんだけど、相談を持ちかけられた時に、回答を避ける以外にその責任から逃れるためにはどうしたらいいのかな」
晴ちんの質問の意図はよく分からなかった。だけど、その質問に対してアタシは答えを持ち合わせていた。
「それは簡単だよ、晴ちん。……相手の好きなようにさせればいいんだよ。相手がこうしたいって言った方に背中を押す。そしたら相手は自分の意見が通って嬉しいだろうし、自分の考えで動いたんだからこっちの責任も比較的軽くなるしね。……さっきアタシがしたでしょ? 晴ちんのエスカーを使おうっていう提案に乗っかって、全ての責任を晴ちんに背負わせたの」
「え……で、でも、あたしは全然イヤじゃなかったよ」
「そりゃそうだよ。だって晴ちんからの提案だもん。自分の提案を受け入れられたら、やっぱりそれが正解だったんだって思い込んじゃうんだよね。まあ今日は暑かったし、本当に正解だったかもしれないけどさ」
ただ、あの時は別に自分が責任を負いたくないとかいう考えはなかった。晴ちんがアタシの足のことを気にしてくれているのは分かったので、無理して階段を上っても晴ちんが満足できるとは思えなかったからだ。だけど良い例だと思ったので、そう言った。
アタシの答えを受け、晴ちんは考え込むように顔を俯かせる。
どうしてこんな質問をしてきたんだろうと聞き返そうとしたその時、晴ちんのカバンから短い音が聞こえた。有名なメッセージアプリの着信音だ。
すると咄嗟に晴ちんはカバンから携帯を取り出し、画面を点けて通知を確認する。晴ちんはこの前からずっとこんな調子で、例の着信音が鳴るたびに携帯を確認している。
おそらく奴からの連絡が来るのを待っているんだと思う。気にしないでいいじゃんと気軽に言えるわけもなく、アタシは遠慮せずに確認していいよと言っている。
「え……」
晴ちんの口から困惑の声が漏れる。
アタシはそれに反応し、つい聞き出してしまった。
「どうしたの、晴ちん」
「え、えっと、今度近所でお祭りがあるでしょ。たくさん花火が打ち上がるやつ。中学の時に陸上部で一緒で、今も同じ高校に通っている女子からそれに誘われちゃって……」
「へぇ。その子とは仲良くない感じ?」
「う、うーん。昔は一緒に遊びに行ってたりしてたけど、今は会ったら話すくらいかなぁ」
「ありゃ、微妙な距離感。それで、その子だけなん?」
「ううん。他にも誘ってるみたい」
「ふーん……で、晴ちんはどうするの?」
「うぅ。……ユイ姉、どうしたらいいと思う?」
目を潤わせ、眉を下げ、上目遣いでそんなことを聞いてくる晴ちん。
こんなことを聞いてくるということは、晴ちん自身はそんなに乗り気じゃないんだなと察する。
だから、楽な回答としては「行かなくていいんじゃない?」だ。
でも、それじゃダメだ。
「行ってみれば? 気晴らしになるかもしれないじゃん」
「…………え」
アタシがそう答えると、想像していたものと違ったのか、晴ちんは戸惑いの声を漏らした。
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