第129話

 少し過去を振り返ったあと、会計の作業を再開する。


「それで、今日は久しぶりにその用事とやらに行っていたわけ?」

「あはは。そんな感じっすかねぇ……」


 商品のバーコードをスキャンしながらそう訊ねると、少年は苦笑いを浮かべて答える。


 どうにも本当のことを言っているような気がしない。何かを誤魔化しているような、そんな感覚がする。


「もしかしてアタシに会うために来たとか?」

「それは違いますね」

「……ちっ。なんだよつまんねえな」


 会いたいと思っていたのはアタシだけってか。さっさと会計済ませて帰ってもらおうかね。


「でもお姉さんに久しぶりに会えてちょっと嬉しいっす」


 心臓が跳ねた。ゆっくりと顔を上げると、少年はアタシを揶揄うように笑っていた。少しムカつくが、陰りのある表情よりはいいと思える。


 ……くそ。こいつと関わってると調子狂うんだよなあ。


 少年はこの町に住んでいるわけでもないが、何か用事があって度々こっちに来ていたことは知っている。だけどどこに住んでいるのか、その用事は何なのか。そういった具体的なことは何も分からない。名前も知らないしな。


「……まあ、正直に言うと用事を済ませることはできなかったんすけどね」


 だから少年がぽろっと口にしたその言葉に驚いた。話してくれないと思っていたから。少年の影の正体に触れたからと思ったから。


 気づけばスキャン作業が終わっており、モニターに全商品の合計金額が表示される。


「あ、支払い方法はICカードでお願いします」


 お釣りなんて発生しないスマートな支払いだなと内心笑ってしまう。だけど少年の口元も少々緩んでおり、彼もお釣りを気にしているのだということに気づく。


 例の件を笑い話にできるくらい、アタシらは付き合いが長くなったのだと感じる。


 精算を済ませ、少年はいつものように栄養ドリンクを残して購入した商品を回収する。


「それじゃあ、バイトお疲れ様です」


 そう言って店を去ろうとする少年。


「待って」


 アタシは咄嗟にその腕を掴んでいた。


「え? どうしたんすか。今回は逆に募金しろ、とか?」

「バ、バカ。ちげえよ。……その、だな。久しぶりだし、もっとお前と話がしたいというか」

「はぁ」


 アタシの突然の提案に少年は呆れたような困惑したような、そんな声を漏らす。


 ここで手を離したら少年は帰ってしまう。そう悟ったアタシはその状態のまま、店の奥にいる店長に声をかける。


「店長! アタシ、今から休憩入るから変わって!」

「自見さん……そういうのは僕が決めることであって、君が勝手に言い出すことでは……」


 店の奥から困ったような表情を見せた店長は、少年の顔を見て言葉を止めた。そして数秒考えた後、


「わかった。だけど少しだけね。あと忙しくなったらすぐに戻ってきて。それを守ってくれるなら自由にしていいから」

「店長、最高じゃん」

「調子がいいねえ君は」


 はあ、とため息をつく店長に「すんませーん」と謝罪を入れたところで、アタシは困惑する少年の腕を引っ張る形で店の奥へと向かった。




 * * * * *




 勇気を出してみた結果、少年……瀬古と話をすることができた。そして彼のことが少しだけ分かった気がした。


 瀬古という名字。隣町に住んでいること。高校2年生であること。などなど。そんな基本的な情報すらアタシは今まで知らなかったのだ。だけど今回知ることができた。


 しかし彼はその闇をアタシには見せない。なんならアタシには話さないと宣言されてしまった。でもそれがアタシと一緒にいて心地よい条件だとも言う。


 事情を知らないからこそ、気軽に接することができる。つまりはそういうことだろう。


 それを言われてしまうと、これ以上アタシから聞くことはできなくなってしまう。だから聞き出さない。だけど知りたい。


 そんなアタシを気遣ってか、瀬古は少しだけ話してくれた。この近くに知人が住んでいて、そいつと仲違いしてしまっている状況を何とかしようと足を運んだが、どうも踏ん切りが付かずに会わずに帰るところだったらしい。


 会えばいいじゃねえかと発破を掛けることはできたが、瀬古の表情を見てやめた。ただ怖気づいたわけではなく、考えた結果の行動だと分かったからだ。


 せっかく話してくれたのに、アタシは結局何も言ってやることはできなかった。


 ……あー、くそ。なんなんだ、このモヤモヤした感情は。アイツのことを少し知ることはできたが、むしろ謎が増えてアイツのことを考える時間も増えたような気がする。


 こうしてバイト先から家までの道中、頭の中は瀬古のことばかり。こんなの初めてだ。


 なんか今日は体だけでなく頭も疲れたような気がする。家に着き次第、自分の部屋に戻って一眠りしようかな。


 そんな計画を立てながら自宅の前まで到着すると、隣の家の前に一人の女性が立っているのを認識した。


「あら由衣ちゃん。お久しぶりね!」

「どうも」


 彼女とは昔から交流があるが、たしかに最近は会っていなかったように思える。それにしても、改めてこうして見てみると歳のわりに若く見えるよなこの人。高校生の子供を持つ親には見えない。


「今日は大学からの帰り?」

「いえ、バイトですよ。近くのコンビニで働いてて」

「あらあら偉いわねー。お疲れ様。でもコンビニでバイトしてたんだ、知らなかったなぁ」

「あんまりコンビニ利用しませんもんね」

「そうそう。一家の家計を管理している身としては、少しでも安いお店に行っちゃうのよ。あ、コンビニを悪く言ってるわけじゃないからね! 私だってたまには行くんだから!」

「そんな気を遣わなくていいですよ。アタシは別に金稼ぎに行ってるだけで愛なんて持ってないんで」

「ふふ。そっかそっか。でも続けられてるってことは、何か理由があると思うの。それを大事にしないとね」


 アタシが今のバイトを続けられてる理由……ほとんどは惰性だけど、おそらくアイツの存在が大きいだろう。今日改めてそう感じた。


「そうですね」と適当に返事をすると、目の前の女性は満足気に笑った。


 そして次の瞬間には、腕を組んで悩ましげな表情を浮かべる。


「うーん。前まで由衣ちゃんのことは何でも知ってた、何なら第二の母の気分だったのに、バイト先すら知らないなんて母親失格ね」

「当分会えていなかったので仕方ないんじゃないですか」

「会ってないこと自体だめなのよ! やっぱり寂しいじゃない? そうだ、今日はうちで一緒に晩御飯食べようよ! あの子も喜ぶと思うの!」


 あー、そうだった。この人、こんな風に急に誘ってくるタイプだった。それも凄く目をキラキラさせて言ってくるから断りづらいんだよなぁ。


「……ごちそうになります」

「よーし、決まりね! そっちのお家には私から連絡入れておくから。せっかくだし由衣ちゃんのご両親も誘っちゃいましょう」


 彼女がるんるんと計画を立てる一方で、アタシは乾いた笑いをこぼす。今日は騒がしい夜になりそうだ。


「……ところで、由衣ちゃんはあの子とも最近会ってないの?」


 あの子というのは彼女の娘で、アタシの幼馴染である。


「え? あぁ、そうですね。高校生になってからアタシに構ってくれなくなっちゃいましたよ、あはは」

「充実してるみたいだからねぇ。中学生の時、少し落ち込んでた時期もあったけど、本当に楽しそうなの。……でも、最近元気ないのよ」

「そうなんですか。もしかして、彼氏に振られたとか? なんて」


 あまり想像はできないけど、年頃の女の子だしそういうこともあるかなと半分冗談のつもりで言ってみる。しかし、すぐさま否定の言葉は返ってこず、少し神妙な空気になってしまう。


「……え、正解しちゃいました?」

「あ、ううん。半分アタリなんだけど、半分ハズレ、みたいな?」

「うーん? まだ彼氏じゃないとか?」

「そっちはあながち間違っていないの。私の勘だけど、振られたってわけじゃないと思うのよね」


 振られてはいない。だけど落ち込んでいる。ということは、彼氏と破局寸前くらいの関係になってしまっているということだろうか。


 なるほど……ちょっと待って。どうして急にこんな話をアタシにしてきたんだ。いや、そんなの分かりきってる。


「あのね由衣ちゃん。私の代わりに、あの子の話を聞いてほしいの。ダメ、かな?」


 身長の関係のせいで、アタシは年上の女性に上目遣いでお願いをされてしまう。だけどそれが効果抜群で、アタシは即座に首を縦に振っていた。


「任せてください。あの子の姉貴分として、ここは一肌脱ぎますよ!」

「きゃー、由衣ちゃん素敵!」


 意気込んだセリフとは裏腹に、アタシは心の中で自分のちょろさに嘆いていた。


「それじゃあ私は買い物に行ってくるから、うちの鍵渡しておくわね。勝手に家に入っていいから」

「分かりました」

「じゃあ、お願いね。由衣ちゃん」

「陽さんのお願いですし、それにあの子のためなら全力で頑張りますよ」

「由衣ちゃん頼もしい!」


 買い物に向かった陽さんと別れたアタシは、そのまま日向家に入って行った。懐かしい匂いが鼻腔をくすぐる。


 家に上がり、そのまま階段を上って二階へ向かう。そして一室のドアを軽くノックした。


「……お母さん?」


 部屋の中から弱々しい声が聞こえてくる。太陽のように明るいイメージのある彼女がそんな声を出していると思うと、胸が張り裂けるような思いがし、すぐにドアを開けてしまいたくなる。


 だけどここはぐっと押さえて、なるべく優しい声色を作って声をかける。


「晴ちん。アタシ。由衣姉ちゃんだよ」

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