第137話
花火を見終えたあたしたちはお祭りの会場を後にして帰路に着いた。
電車に乗ったとき、携帯に亜紀から連絡が来ていたのに気づいた。内容は騙す形でお祭りに誘ったことに対する謝罪と、あの後の報告だった。
飯田くんはひどく落ち込んだ様子で亜紀たちと合流したらしく、その姿から結果を察した亜紀たちは飯田くんの励まし会にシフトしたようだ。なのであたしが合流する必要はないみたい。
適当に返事をした後、あたしは車窓から外を眺める。もう夜空に花火は打ち上がっていない。だけど耳の奥で、ドン、ドンと破裂する音が聞こえているような気がする。
あたしは未だレンと手を繋いでいる。車内は冷房が効いていて、体温がかなり奪われていく中、あたしの右手だけはずっと熱を帯びている。
この熱のせいで、この幻聴は聞こえているのかな。
* * * * *
あたしの家の最寄り駅で降りてからも、あたしはレンと手を繋いでいる。あたしはもちろん、レンからも離そうとする気配が一切ない。
「それに俺は、見られてもいいと思ってるし」
花火を見ていたとき、レンが口にした言葉を思い出す。別に疑ってなんかいなかったけど、あの言葉は本当だったみたい。
つられてあの時のレンの他の言葉や行動も思い出される。
なんとなく、今までのレンとは違うような気がした。なんだろう。掴みきれない違和感。だけど、あの感覚をあたしは知っているような気がする。
……そうだ。一年前のレンだ。美彩に猛アタックしていた時のレンと同じ感じがしたんだ。
……勘違いじゃないといいな。
「晴はさ」
レンが前を向いたまま話を始める。
「夏休みの課題どれくらい進んだ?」
「……えっと、あんまりかな」
「そっか。なんか祭りが終わると、そろそろ夏休みも終わる感じするなあって。間に合わなさそうだったら言ってくれよ」
「もしかしてレンは終わったの?」
「大体はなぁ。あとは読書感想文みたいな細々したものやったら終わり」
「なんか意外。レンってこういうのギリギリでやるイメージだったから」
「否定はしないかな。……まあ暇だったからさ。他にやることもなかったし、ぱぱっと済ませておいたわけ」
「え?」
もっと意外なことを聞いたあたしは驚いて声を漏らす。
「レンは、小井戸ちゃんや紗季ちゃんとずっと一緒じゃなかったの?」
「あ、あー……たしかに頻繁に会ってたけど、毎日ってほどじゃなかったよ。それに解散する時間も早かったし。だいたい小井戸に誘われて遊びに行って、小井戸が解散って言って帰宅。その間の時間もそんなに長くなかったな」
「そう、だったんだ。毎回小井戸ちゃんから?」
「だなぁ。んで誘われて行ってみれば絶対、紗季ちゃんがいる感じ」
小井戸ちゃんと二人きりで遊んだりはしてなかったんだ。……もしかして、小井戸ちゃん、あたしたちとの約束を守ってくれてたの……?
「紗季ちゃんから二人で遊びに行こうって言われたこともあったけど、まあ、流石に高校男子一人が女子中学生を連れ回すのはまずいかなって断ってたよ。はは」
そう笑うレンからは嘘のにおいがした。明らかに何かを誤魔化すような笑い。
おそらく紗季ちゃんと二人きりだと美彩のことがチラつくからだろう。小井戸ちゃんといれば、二人合わせて後輩の一人としか見れない、みたいな感じで大丈夫だけど。
「そういえば、課題に関連してだけどさ」
話題を転換するようにレンが切り出す。
「夏休みの内にさ、物理の予習とかしておこうぜ。俺も置いてかれそうで怖いしさ」
また嘘のにおいがしたが、今度は少しだけ。おそらくあたしのことを気遣ってくれて、あたしのためだけじゃなくてレンのためにもなる勉強会を開こうとしてくれてるのだろう。
そのさり気ない優しさに心が暖まるのを感じつつ——あたしはその提案を断る。
「ううん。それはいいかな」
「……え?」
「あたし、生物選択に変えるから。……ごめんね」
申し訳ない気持ちもあったが、あたしはレンの顔をまっすぐ見て言う。
レンは驚愕の表情を浮かべるも、すぐに柔らかい笑顔を浮かべた。
「別に謝ることなんかないけどな」
「ううん。謝りたいの。レンには勉強をみてもらっていたこともあるけど、二人が、あたしのために意見してくれていたのに、あたしは好き勝手言っていたこと。それにやっと気づいたの」
「それ自体、そこまで気にすることじゃないよ。俺らは俺らで自分の考えを好き勝手言ってただけだからさ。ただ、その先で晴が困難に陥ったら全力でフォローはしようって話してたけどな」
レンたちはあたしの進路について本気で考えてくれていた。それも、その先の可能性のことも。
あたしは自分が恥ずかしくなって言葉を返すことができず、代わりにレンの手を強く握る。もっとレンとの繋がりを感じたくて。離したくなくて。
そろそろあたしの家に着いてしまう。着いてしまったらレンと別れてしまう。その事実に目を背けるよう、視界から家を外すために視線を下げた。
そして気づいた。レンが変な歩き方をしているのを。どこか足を引きずるような歩き方。慣れない下駄を履いてるからだろうか……あっ。
「レン、もしかして鼻緒ずれしてる?」
あたしがそう訊ねると、レンは「あー」と自身の頭を掻いた。
「ちょっとだけね。下駄なんて初めて履いたもんだから歩き方が下手っぴだったんだろな」
「待ってて。あたし絆創膏持ってくるから!」
「だ、大丈夫だって。あとは帰るだけだし——」
「いいから! ……待ってて。絶対に。帰らないでよ」
断ろうとしたレンだったが、あたしの真剣さが伝わったのか最終的には「わかったよ」と折れてくれた。
レンを家の前で待ってもらい、あたしは家の中に入る。すると玄関の開く音を聞いてかお母さんが顔を出した。
「晴ちゃん。おかえりなさい」
「ただいまお母さん。あのね、救急箱ってどこにあるっけ?」
「えっ、晴ちゃん怪我したの!?」
「ち、違うよ。えっと、あたしじゃなくてね……」
「……ふーん。なるほどね。救急箱ね、持ってくるから待ってて〜」
お母さんは完全に察したようで、ニッと笑ったあとリビングに姿を消した。そして数十秒後、救急箱を手にして戻ってきた。
「ありがとう、お母さん」
「いいのよ。あ、これ消毒用のアルコールね。傷口にドバドバかけちゃえ」
「え、えぇ!?」
困惑するあたしに、お母さんは悪戯っぽく笑う。だけど、あまり冗談っぽく聞こえなかった。
* * * * *
絆創膏を持ってきてくれるらしく、家の中に入って行った晴を街灯で照らされた道の中待つ。
夏だから当たり前だが、夜なのに暑苦しい。だけど夜らしく遠くの音も聞こえてくる。さっきまではバイクが走る音が聞こえていた。既に鳴り止んでおり、おそらく近くで止まったのだろうと推察できるは、もしかしたらもっと遠くかもしれない。
「おまたせ!」
遠くに意識を向けていると晴が救急箱を持って戻ってきた。
「はい、足見せて。家の塀に寄りかかっていいから」
「了解」
お言葉に甘えて日向家の塀に寄りかかり、下駄を脱いだ右足を晴に差し出す。街灯に照らされた俺の右足の一部は赤くなっており、少し痛々しい。
晴はそれを見て目をぎゅっと瞑ったあと、地面に置いた救急箱から取り出したアルコールをぶっかけてきた。
「いつつっ。結構染みるなぁ」
「…………」
「は、晴さん? なんでさっきから無言でアルコールを傷口にかけ続けてるの? そこそこ苦しいんだけど?」
「……ごめん。でもちょっとだけ仕返しさせて」
仕返し……そう言われると何も抵抗できなくなり、俺はヒリヒリとした痛みに耐え続ける。
しばらくして、俺の足には絆創膏がいくつか貼られた。さっきまで擦れていた鼻緒部分との摩擦が軽減されて幾分か楽だ。
「ありがとう、晴。これで楽に帰れるよ」
「うん。どういたしまして」
「…………」
「…………」
お礼を伝えてから、静かな沈黙が続く。
祭りは終わった。晴の家にも着いた。怪我の治療もしてもらった。いい時間だし、あとはもう帰るだけだ。
今は晴と手を繋いでいない。だから振り返って帰路に着くことも容易だ。
だけど、まだ帰るわけにもいかず。俺は晴の手を握ろうと手を伸ばす。
その時、晴の手もこちらに伸びてきて、俺たちの手は思ったより早く繋がれた。
「レン」
静寂を切り裂いたのは晴の声だった。
「わかってる。もう遅いし、レンも早く帰らないとレンのお母さんが心配しちゃうことも。……でも、もう少しだけ。あとちょっとだけ、一緒にいて欲しい。話したいことがあるの」
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