第138話

「もう少しだけ。あとちょっとだけ、一緒にいて欲しい。話したいことがあるの」


 晴はそう言って、俺の目をじっと見つめる。


 俺もそのつもりだったため「いいよ。俺も話したいことがあるから」とその旨を伝える。


 すると晴の表情は一瞬固くなった。俺から何を言われるのか分からず怖いのかもしれない。


 だけど、なんとなくだけど、お互い言いたいことは同じような気がする。


「レ、レンもあるの?」

「うん」

「……どうしよう。先にレンのを聞いた方がいいかな。それともあたしの方から……」

「じゃあさ、一斉に言ってみる?」


 だから、こんな提案をしてみた。


「え、えっ!? 一斉に……?」

「それなら順番で悩むことないじゃん」

「たしかにそうだけど……いいのかなぁ」

「いいのいいの。はい、せーの」

「え、あ!」


 ほとんど強引に一斉に言う流れを作り、晴の準備を待たずに掛け声をかける。


 晴はもたついたものの、なんとか俺とタイミングを合わせることができて——


「俺たち、また一からやり直さない?」

「あ、あたしたち、初めからやり直してみない?」


 お互いの想いを一斉に口にすることができた。


 やっぱり晴も同じことを考えていたんだなと、俺は自分の予想が合っていたことに安堵する。


 その一方で、晴は目を丸くして「え? え?」と困惑した様子を見せている。思えばさっきから困らせてばっかりだ。


「ど、どういうこと? 一からって?」

「晴の『初めから』ってのと同じだと思う。……また、友達からやり直そう。この歪な関係を正すにはそれしかないって晴も考えたんじゃない?」

「……うん。ホントは嫌だけど、またレンとただのお友達に戻るのは嫌だけど。あたしたち三人が前みたいに仲良くなるには、前の関係に戻るしかないのかなって」

「それで『初め』に戻るって発想に至ったわけだ」


 俺が確認するように問うと、晴はこくりと頷いた。


 その答えに至った経緯はなんとなく晴っぽいなと思い、少し頬が緩む。


「まあでも、お互いに考えが同じなら揉めずに済んでいいな」

「そう、だね。ところでレン、美彩にはもう会ったの?」

「いいや、まだだよ。この答えに辿り着いたのもつい最近なもんでね。彼女とも近いうちに会って話したいなとは思ってるよ」

「そっか。そうなんだ。まだ、なんだね」

「……晴?」


 俯いて、左の拳を胸のところでぎゅっと握り、小さい声で呟くように言葉を発する晴。


 どうしたんだろうと声をかけた次の瞬間、晴はバッと顔を上げて言った。


「一からやり直すって話だけどさ。それっていつからなのかな」

「いつからって、そうだな。明日目が覚めてから、とか?」

「……じゃあ、まだあたしたちは恋人同士なんだね。だったら——」


 晴は突然、俺と繋いでいた手を解き、そしてそのままその手を俺の背中に回し……抱き着いてきた。


「今日まではこうしてもいいんだよね」


 そう言って、俺の体に顔を押し付けてくる。


 そんな彼女を俺は突き放すことなく、むしろ抱きしめ返してやる。すると「えへへ」と蕩けた声が聞こえてくる。


 数秒ほどそのままでいると、彼女の抱きしめる力が強まった。


「ホントはこのままでいたいけど、このままじゃダメだから。あたし、決めたから。変わるんだって。……でも、いやだから。怖いから。今日だけはもう少し甘えさせて。このままでいさせて」


 若干震えるその声に応えるように、俺も彼女を抱擁する力を強める。


 晴は俺たちの今の関係に固執しており、それを守るために必死になっていた。その結果が夏休み前のアレだ。


 それを自分から手放す決断をしたというのが、今までの彼女とは違うのだと強く感じさせられる。


 だけど、変わるのは明日から。だから今日までは、今だけは、明日からはできないことをさせて欲しいと彼女は言う。


 俺は彼女のお願いを断らない。だって彼女の気持ちに強く共感できたから。


 そして、俺も今だからできることをしたいと思ったから。


「いつも思うけど、晴はいい匂いがするよな」

「……ふぇ?」

「髪の毛もサラサラで、元気に動き回るたびに晴の髪が舞うのを見てるのが実は好きなんだ」

「え、え?」

「元気いっぱいで快活少女って感じのくせに気遣い屋で。落ち込みやすいのも優しい心を持っているからなんだろな」

「ま、待って、レン」


 赤くなった顔を上げ、晴は俺の言葉を止めようとする。


 だけど、俺の口は止まらない。


「まだまだたくさんあるけど。俺はそんな可愛らしい女の子、晴のことが好きだよ」


 そう言い終えた瞬間、晴の目からスーッと涙が流れた。


「……待ってって、言ったじゃん。レンの、ばかぁ」

「ごめん」

「……いやだなぁ。レンとまた、なんでもない関係に戻るなんて。レンの彼女のままでいたいよ」


 弱音を吐く晴だが、先ほどの決定を取り消そうとはしない。


 俺は彼女の頭を優しく撫でる。すると彼女は弱音を吐くのをやめ、目元の涙を脱ぐって言う。


「……初めからやり直すんだったら、あたし、今度はクラスの女子の一人から始めたいな。美彩の親友としてじゃなくて、レンのクラスメイトの女子として。そこからレンと仲良くなっていきたい。あ、別に美彩の親友が嫌ってわけじゃなくてね、その、違うからね!」

「わかってるよ」


 美彩の親友でなくなりたいという意味ではないことを必死に伝えようとする晴に、俺は笑ってそう返す。


 関係を一からやり直すと言ったって、それはあくまで恋人関係を解消しようというだけ。晴と美彩の関係が変わることはない。むしろ二人は親友のままでいて欲しい。そのためのリセットだ。


 晴との関係を初めに戻したらどうなるか、か。


「まあ、変わらないだろうなぁ」

「え? なに?」

「ううん。なんでもない」

「なにそれ! めちゃくちゃ気になるやつじゃん! うぅ」

「ひとりごとだよ」

「レンのいじわる! ケチ!」

「ケチってなんだよ。ドジっ子」

「あたし、ドジじゃないし!」

「どの口が言うか」

「もー、違うから! やっぱりレンはいじわる!」


 最後がこんなのでいいのだろうかと思う反面、俺は晴との言葉の応酬を楽しむのであった。

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