第18章 小悪魔な少女

第140話

 あれはわたしが幼稚園に通っていた時のこと。


 自由時間、教室に置いてある共有のおもちゃ……たしか何かのパズルを取り出して遊んでいると、同級生の女の子がわたしの前に立って言った。


「それ、アタシがあそぶの。渡して!」


 どうして既に人が所有しているものを奪おうとするのか理解できなかったわたしは、「どうして?」と疑問を口にした。すると彼女は顔を真っ赤にして、わたしが手に持っていたパズルを掴み、強引に奪おうとしてきた。


「きゃっ」


 わたしが悲鳴めいた声を上げると、同じく教室にいた男の子が飛んできて、わたしからパズルを奪おうとしている女の子の手首を握った。


「さきに何してんだよ!」


 彼はそう言ってそのまま彼女の腕を引っ張り、わたしから引き離そうとする。すると彼女は顔を歪ませて「いたいっ」と悲鳴を漏らした。


「まって」


 わたしが静止をかけると、二人は「え?」という表情を浮かべてわたしの方を見た。


 わたしは二人に微笑みかけ、まず、わたしを助けようとしてくれた彼——しんやくんの方に向き直した。


「しんやくん、かっこよかったよ。ありがとね」

「……お、おう!」


 照れ臭そうに返事をするしんやくんに再びニコッと笑顔を向けた後、今度は彼女——まきちゃんの目を見つめる。


「ごめんね、まきちゃん。まきちゃんがこのパズルが好きなの、わたし知らなくて。よかったらわたしと一緒にあそばない?」

「……いいの?」

「もちろん!」


 すると彼女はぱあっと表情を明るくさせ、「しかたないわねっ。一緒にあそんであげるっ」と言うのだ。わたしがくすくすと笑うと、彼女は少し拗ねたような表情をするけど、そこに先ほどまであった嫌な感情は見えない。


 この一連の様子を見ていた先生が「すごい……」と言葉を漏らしていたのを覚えている。


 わたしは小さい頃から自分の強みについて二つ自覚していることがある。


 一つは、わたしがとてもかわいいこと。実際周りからよく言われるというのもあるけど、パパはカッコよくてママも綺麗だし、それにわたしの尊敬する従姉妹の美彩お姉ちゃんが美人さんだから。わたしの容姿も優れているということは客観的に評価できていた。


 もう一つは、どうやったら他人から好かれるかがなんとなく分かること。いや、分かるっていうのは少し語弊があるかもしれない。正確には、わたしは無意識にそういった行動を取っている。


 例の幼稚園の出来事の時だって、人のものを勝手に奪おうとするまきちゃんに、わたしは内心怒っていたはずだった。だけど口にしたのは謝罪と一緒に遊ぼうというお誘い。


 その際、せっかく助けに入ってくれたしんやくんを蔑ろにしないために、彼にはお礼と称賛の言葉を伝えている。


 すると二人は機嫌をよくし、それ以降の幼稚園生活で似たようなトラブルが発生することもなかった。


 このように、わたしは円滑な交流を図るような振る舞いを無意識にしてしまう。だからわたしの周りにはわたしのことを慕ってくれる人も多く、中にはわたしに好意を持ってくれる人もいる。


 わたしのことを女性として好きだと言ってくれるのは嬉しい。だけど、それは本当にわたしのことが好きなのか懐疑的になってしまう。だって、彼らが見ているわたしは、本当のわたしじゃないから。


 彼らからの告白を断りながら、わたしはこのことについて思い悩むようになってしまった。


 そこでお姉ちゃんに相談すると、お姉ちゃんは少し考え込んだあと、わたしの頭を撫でながら「あなたは人見知りなだけよ。きっと、いつか、ありのままのあなたでいられる相手と出会えるわ」と言った。


 だけどそんな言葉を口にするお姉ちゃんの目は、どこか空虚なもので、お姉ちゃんが本心から言っているものではないと感じてしまった。わたしを慰めるために放った言葉なのか、それともお姉ちゃん自身もそう期待していたのか。流石にそこまではわたしにも分からないけど。


 お姉ちゃんの言葉でも、心の支えにするにはそれはあまりのも脆かった。それでも、わたしはこの言葉を胸に留めている。期待していないつもりでも、わたしはそれに縋っていたのかもしれない。




 * * * * *




 小学6年生の年の夏。


 毎年、お盆の時期になると我が家は揃ってお姉ちゃんのお家にお邪魔しに行く。だけど今年は両親がお仕事のため、先にわたし一人だけでお姉ちゃんのお家に向かうことになった。


 両親は心配していたが、わたしももう小学校の最高学年。お姉ちゃんのお家は遠くないし、一人で行けるもん。


 そう息巻いて家を出た結果、わたしは家の最寄り駅で既に迷子になってしまっていた。


 普段はパパの運転する車で移動することが多いし、電車を利用するときは必ず誰かと一緒だったため、駅構内のつくりが全く分からない。加えて……わたしは方向音痴だから、闇雲に歩けば更に迷ってしまいそう。


 その場から動くことができずあたふたしていると、周りの視線を感じ始めた。中にはわたしのことを心配するような視線をくれる人もいたけど、なかなか話しかけてはくれない。


 恥を偲んで自分から助けを求めようと周りを見渡すと、薄気味の悪い笑顔を浮かべた男性が目に入った。身震いがして、咄嗟に視線を逸らす。


 逸らした先のすぐそばに人が立っており、その人はわたしの顔を覗き込むように屈んで声をかけてきた。


「大丈夫?」

「ひっ。だ、誰?」


 つい怯えた声を出してしまう。するとその人は一瞬絶望した表情を浮かべたが、すぐに切り替えてまた笑顔を向けてくれる。


 改めて容姿を見ると、お姉ちゃんと同い年くらいの男性だった。そんな彼が浮かべる表情を見て、緊張していたわたしの心が和らいでいくのを感じる。


「いきなりごめんね。俺は蓮兎。君が困ってるみたいだからさ、声かけてみたんだ」

「し、知ってますそれ。ナンパのじょうとうく? ってやつですよね。つ、つまりわたし、今ナンパされてます!?」

「不審者度上げてきたね。本気で心配して声をかけたんだけど、もしかして迷子じゃない感じ? だったらもう離れるけど」

「別に迷子じゃありません……いいえ、やっぱり迷子です。わたしたち人類はみな人生の迷子なのですから」

「規模を大きくしてきたね。お父さんとお母さんは?」

「もう家族に挨拶をしようとしてる!? 恋愛は時には勢いも大事だと言いますが、流石に早いと思います……!」

「事を大きくしてきたね。てか、まだナンパだと思ってるんだ」


 どうやら、わたしに声をかけてくれた人……蓮兎さんはナンパ師の方ではないみたい。


 それは蓮兎さんの言葉を鵜呑みにして判断したわけじゃない。


「どこに行く予定だったの?」

「えっと、お姉ちゃんの家ですけど」

「お姉ちゃんの家……? それは君の家じゃないの?」

「わたしの家ではありませんよ。お姉ちゃんの……あ、従姉妹の家です」

「……あー、なるほどね」

「今日はお姉ちゃんの家のところまで、わたし一人で向かっているんです。すごいでしょ?」

「それで迷子になったわけね」

「ねえ、すごいでしょ?」

「あ、うん。すごいすごい。何年生か知らないけど、一人でここまで来れたんだもんな。大したもんだ」

「えへへ。ここまで歩いてきました!」

「近所じゃないか。電車も使ってないのか」

「ぶぅ。だって普段はパパかママに車で乗せてもらっているんだもん。ここまで一人で来たの初めてだもん」


 蓮兎さんとは初対面のはず。だけど、気づけばわたしはパパやママ、お姉ちゃんとお話をしているときと同じ感じで話すことができている。


 わたしは今、家族以外の人と素でお話ができている。


 どうしてそうなったのか。それは分からないけど。蓮兎さんとお話をしていると胸があたたかくなってくる。


「ここに来たってことは、電車に乗るの?」

「はい。〜駅ってところまで行きたいんです。そこまで行けばお姉ちゃんが迎えに来てくれているので」

「あ、そこ俺の家の最寄り駅だ」

「はっ。もしかしてわたし、お兄さんの家に連れて行かれます?」

「行くのはお姉ちゃんの家だよ」

「蓮兎さんって女の人だったんですか!?」

「君のお姉さんの家だよ! 早くナンパから離れてよ!」


 蓮兎さんはわたしみたいな年下に揶揄われても怒ったりしない。それどころか楽しい反応をしてくれる。だからわたしはついつい揶揄うような言葉を口にしてしまう。


「その駅までの切符買ってあげるし乗り方も教えてあげるから、ここから離れようか。……あれ? 今のめっちゃ不審者ぽくなかった?」

「いいんですか? ありがとうございます!」

「あれ? 今までで一番好感触だ。正解がもう分かんないよ俺」


 もっと一緒にいたいと思えた。だから案内してくれるという申し出は嬉しくて、すぐに蓮兎さんのご厚意に甘えることにした。


「わたし、夜咲紗季さきって言います! 小学六年生です! よろしくお願いしますね、蓮兎さん!」

「うん、よろしくね紗季ちゃん。……へ? 夜咲?」


 少し遅れたけど、今後も付き合っていきたいという思いから、わたしは自分の名前を蓮兎さんに告げた。


 わたしの名字を聞いた蓮兎さんが、少し間を開けたあと納得と驚きの入り混じった表情を浮かべたのが気になった。

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