第141話

 電車の乗り場まで案内してくれることになった蓮兎さんは、早速案内をしようと動き始めた。それ見てわたしは、


「あ、あの、蓮兎さん。わたし、喉が渇きました……」


 蓮兎さんの行動を妨げるように、そんなことを言った。


「でもお迎え来てるんでしょ。急がなくていいの?」

「ふふん。少しは迷うかなと思って早めに出てきたのでまだ大丈夫ですよ」

「ドヤ顔で言うことじゃないけどね。それじゃあ、そこのカフェにでも入ろうか」

「よかったですね蓮兎さん。ナンパ成功ですよ」

「あ、うん、そうだね」


 わたしの揶揄いに対し、蓮兎さんはテキトーな返事をする。少しむっとしたが、あしらう感じはなかったのでよしとしよう。


 近くにあったカフェに入り、カウンターでわたしはリンゴジュースを、蓮兎さんはアイスコーヒーを注文した。


 年上だからと奢ってくれたのでお礼を言い、テーブルに着いて喉を潤わせながら談話をする。


「お姉さんのところに行くのは久々なの?」

「いえ、ちょくちょく遊びに行っていますよ。家も近いので。ただ、いつもはパパとママが連れて行ってくれるんですけど、今日までお仕事があるから先に一人で行っておいて欲しいと言われまして」

「それで迷子になったと」

「街に一人取り残された感覚に陥っただけです」

「あ、うん、そうなんだ」


 プライドの問題もあるけど、蓮兎さんにはあまり子供っぽくみられたくないという気持ちから、迷子であったことを遠回しに否定する。


 でもそんな行動がむしろ子供っぽさを増長させたのか、わたしのことを見つめる蓮兎さんの目が優しくなる。


「それにしても、蓮兎さんはよくわたしに話しかけてくれましたね。他の大人の方は見てみぬふりって感じでした」

「大人になると余計なリスクを考えてしまうからね。まあ、俺は積極的に動くことを信念としているから」

「積極的、ですか? つまり蓮兎さんはナンパの達人?」

「よし、ツッコミ放棄はやめだ。俺はナンパ師じゃない。それだけでも認識を改めてくれないかな?」

「でも、こうしてわたしと一緒にお茶してますよ? これってナンパの常套手段だとお姉ちゃんから聞きました」

「喉乾いたって言ったの紗季ちゃんだよね? あと君の歪んだ考え方の原因を知って俺は複雑だよ」


 どうしてお姉ちゃんが原因でナンパ師さん扱いをされていると知って複雑な心境になるのか。


 理由はわからないけど、なんとなく嫌だなって思った。


 だから今までの発言を訂正することにした。


「ごめんなさい。今までのは冗談です。最初から蓮兎さんのことナンパ師さんだとは思っていませんよ」

「えっ」


 蓮兎さんは驚いた表情を浮かべる。


「蓮兎さん、わたしがいい加減なことを言っても話を続けてくれるので、つい調子に乗ってしまいました。てへっ」


 いつもと変わらず、わたしが考える間も無くわたしの体は動く。気づけば舌をペロッと出していた。ちょっと恥ずかしい。


 でも、わたしに向けられる蓮兎さんの目に熱がこもったような気がした。


 蓮兎さんはゆっくりと右手を動かし、押さえるように自身の胸に手を当てる。


 もしかして、さっきのわたしの仕草にキュンとしてくれたのだろうか。……嬉しい。男性がわたしに悶えてくれたことで、初めてそんな感情が湧いた。


 蓮兎さんはわたしの四つ年上。パパやママはそうでもないかもしれないけど、わたしたちにとって四歳差というのはとても大きい。だから蓮兎さんはあくまで頼れるお兄さん……のはずなんだけど、


「わたしにお兄さんがいたらこんな感じなのかなって思いました。お姉ちゃんはいますが、男兄弟はいないので」

「それは嬉しいな。俺も下の兄弟には憧れてたからね」

「本当ですか!? ……でも」


 わたしの口は勝手に動いて、


「わたしとしては蓮兎さんはお兄さんじゃなくて、彼氏さんだったらもっと嬉しいかもです」

「っ!?」


 そんなことを口走ってしまう。


 それは相手を喜ばせるためにしたのか。それとも、わたしのためにしたのか。


 いや、多分両方だなと、心の中で密かに笑った。




 * * * * *




 カフェを出ると、改めて蓮兎さんはわたしを改札まで案内してくれた。


 そして改札の先を指差しながらこの後の行き方を教えてくれる。


「この改札抜けたら二番線のホーム……あそこの階段を降りたところに行って。そしたらあとは来た電車に乗るだけだから」

「ありがとうございます。……あの。蓮兎さんのお家も同じ駅の近くなんですよね?」

「え? うん、そうだけど」


 ご迷惑かもしれないけど。これでお別れは寂しいから。


「……一緒に電車に乗って欲しいです。親切に教えていただきましたが、わたし、まだ怖くて」

「よし分かった一緒に行こう」


 わがままを言ってみると、蓮兎さんは即答で承諾してくれた。


 まだ一緒に居られるんだと分かり、わたしの胸は高揚していく。


 蓮兎さんと一緒に改札を抜けてホームに降り、同じ電車に乗り込むと、蓮兎さんは一つだけ空いている席にわたしを座らせてくれた。


「あ、あの。そういえば蓮兎さんはどうしてお出かけされていたんですか? もしかして誰かと待ち合わせてしていましたか……?」

「ううん。何の目的もなくふらっと出かけただけだよ。特に用もないから帰ろうと思ってたところだったし。だから気にしないで」


 そう言って笑顔を見せてくれる蓮兎さん。だけど、わたしの記憶では、わたしに声をかけてくれた蓮兎さんがいた位置は改札の方向だった気がする。


 わたしは方向音痴だから。間違っているかもしれないけど。さっき改札まで案内してもらっていたとき、迷子中のわたしが立っていた位置を確認したから。


 それに、蓮兎さんはそういう人だと思うから。


「紗季ちゃん。次の駅で降りるよ」


 考え込んでいると、出発してから何駅目かに止まったところで、蓮兎さんが声をかけてくれた。


 わたしは色々な期待を胸に、蓮兎さんにお願いをした。


「はい、わかりました。……あ、あの。駅に降りてから道に迷わないか不安で。人も多いですし。手、繋いでくれませんか?」

「喜んで」


 差し伸べられた蓮兎さんの手を見つめる。わたしの手よりひとまわりふたまわりも大きい。


 わたしはゆっくりと手を伸ばし、その手を握り返す。すると蓮兎さんの方からも握り返されて、身体がビクッとしてしまった。


 手を握られているだけなのに、蓮兎さんの力強さを感じた。でも握り方はとても優しくて、蓮兎さんの内面を表しているかのように思えた。


 手が冷たい人はあたたかい心の持ち主なんて言うけど、蓮兎さんの手から伝わるぬくもりはわたしの心をあたためてくれる。そんな感じがした。


 少しぽわぽわとした気持ちのまま次の駅で降り、改札を抜けると会いたかった人物の姿が見えた。


「お姉ちゃん! やっと会えました〜」

「紗季」


 わたしが声をかけると、その人物——お姉ちゃんはわたしの存在に気づいて返事をしてくれた。


 そして次の瞬間、わたしの隣を見て怪訝そうな表情を浮かべた。


「えっと……これはどういうこと? どうして私の従姉妹が私のクラスメイトと一緒に現れたの?」


 ……お姉ちゃんのクラスメイト?


「迷子になっているところに偶然会ってな。ここまで案内しただけだよ」


 蓮兎さんはお姉ちゃんに対して砕いた態度のまま返事をする。


「……そう。それで、どうして二人は手を繋いでいるのかしら」

「それはまた迷子になられても困るから」

「じゃあもう離してもいいんじゃないかしら。愛しの妹に手を出されているようで……少し嫌だわ」

「あ、すみません」


 お姉ちゃんに促され、蓮兎さんはわたしの手を離そうとする。


 反射的にわたしは蓮兎さんの手を握る力を強めた。すると蓮兎さんは困惑した表情を浮かべる。


「紗季ちゃん? 手を離してくれないかな?」

「お姉ちゃんと蓮兎さんってお知り合いだったんですか?」

「おっとここでお得意のスルー発動か。夜咲は中学の頃からのクラスメイトだよ」

「ふーん。そうだったんですね」


 高校に入って、お姉ちゃんに初めてのご友人ができたのは聞いていた。だけどそのご友人は女性だったはず。


 お姉ちゃんも蓮兎さんもお互いのことをクラスメイトって言ってるし、そこまで仲がいいわけではないのかな……?


「……それだけ?」

「え?」


 どこか不満げな表情で、お姉ちゃんはそんなことを訊ねる。


 すると蓮兎さんはきょとんとした顔をした後、「あー……」と少し困ったような、そして恥ずかしそうな表情を浮かべて言った。


「そして、夜咲は俺の片思いの相手だよ」


 打って変わってお姉ちゃんの表情が満足げなものに変わる。


 お姉ちゃん大好きなわたしにとって、それは喜ばしいことのはず。


 わたしの体が目の前で繰り広げられるラブコメに興奮している素振りを見せる中、わたしは胸に走るズキズキとした痛みを覚えていた。

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