【Web版】好きな子の親友が俺の〇〇を管理している

土車 甫

第1部

第1章 代わりにしていいよ

第1話

 恋に落ちる瞬間を覚えている人はどれだけいるのだろう。そもそも自覚していない可能性だってある。後になって、あの時かなあなんて考えるのだ。


 カップルが誕生して、周りが馴れ初めを聞くときなんてシチュエーションはよくある。その時に答える好きになったきっかけも、相手に好印象を抱いたいくつかの瞬間の一つでしかない。もしかしたらその答えの日時より前には既に相手に夢中になっているかもしれない。


 だって夢中になると相手の良いところがやたら目に入ってくるのだ。その中で一番インパクトのあったものをあげても、夢中になったきっかけが真の答えなんじゃないかと思う。


 そんな面倒くさい考えが俺、瀬古せこ蓮兎れんとの頭の中を駆け巡る。


 俺も今、恋をしている。立派に高校生をしているなと思う。どんな結末になっても、将来これが俺の青春だったと胸を張れたらな、なんて。


 どんな結末になってもとは言ったが、やっぱり望むのはハッピーエンドなわけで。つまりはこの恋が成就することを期待してしまう。


 でも、この恋は実らないのではないかと思えてきた。だって……




 * * * * *




 俺が初めて恋に落ちたと自覚したのは中学三年生の最初の日だ。


 当時、俺のクラスの立ち位置としてはイジられ役だった。


 学校という閉鎖的なコミュニティには自然とカーストが生まれる。誰に教えられるでもなく、生徒は自然と周囲の人間を従うやつと従わせるやつとで格付けしていく。それは個人で決定しているように見えて、意外にも合意的な決定がされているのが面白い。


 だが、そのために決定は揺るがないものとなる。何十人の人間の中に共通認識が形成される。これは非常に恐ろしいことだ。


 上位層は何をしても許される。授業時に少しおちゃらけた態度を取れば周囲は笑い、誰かに厳しい態度を取れば周囲はその相手が悪いのだと断定する。


 一方で下位層は何も許されない……ということもないが、少し窮屈な暮らしにはなってしまう。本人らもそれを自覚しているため、教室の端に集まってコソコソと活動をして楽しんでいる。彼らは彼らなりの有意義な時間を過ごしているのだ。


 じゃあ中間層はどうなのか。上位層にも下位層にもなれる存在。自分は周囲の評価よりイケているんだと上位層に食い込もうとする者もいれば、上を諦めて下に属することで落ち着く者もいる。


 中間層のそんな彼らは能動的な人たちで、同じく中間層に属している俺は違った。受動的というべきだろうか。気が付いたら上位層のグループに属していた。


 しかし、それは評価されたから昇格したわけではない。上位層の玩具として持ち込まれただけだった。いわゆるイジられ役だ。


 中学校に上がると周囲の小学校から生徒が集まってきて、俺たちが生活するコミュニティは前より大規模なものとなった。そのためかカーストというものは小学校時代より確固として存在するものとなり、人は上下を明確にしたがった。


 だから俺は中学校に入学してから三年生に上がるまで、小学校時代に中間層でのんびりとしていた生活は奪われ、上位層にイジられ続ける生活が始まった。


 上位層はどこか華やかだった。ただ駄弁っているだけでも、これが青春だと言わんばかりの爽やかさだったり魅力があった。そこに属している俺も、はたから見たら輝いて見えたのかもしれない。


 だけど俺の心は貧しかった。望んでもいない立場を与えられ、それが当然だという空気に呑まれる。自分が何のために存在しているのか分からなくなった。だけど自分では動こうとは思わない。だから今ここにいるのだ。


 二年生に上がった時、このポジションからもおさらばだと思ったが、カーストは不変で普遍であり、非情だった。


 だから三年生に上がってクラス替えが行われてもそれは続く。実際にその通りで、上位層の男子に「おい、こっちに来いよ」なんて手招きをされる。それは友人を招くそれではない。だけど俺はそれに従う。


「こいつモノマネが得意らしいんだよ。ほら、やってみせろよ。今ドラマで話題のアレだよアレ」


 そいつは一年の頃から同じクラスで、今までもこうして俺に無茶振りをし、情けない俺を馬鹿にすることで笑いを取っている。それが分かっているのに実行しようとしている俺も馬鹿だ。


 チラッとグループの面子を見ると、一人見慣れない顔があった。今回のクラス替えで初めて一緒になった女子だ。どうやらこの子に自分の力をアピールしたいらしいな。


 そんなことはどうでもいい。今は言われたことをやるだけだ。


「二倍返しだ!!」


 家で母さんが見ているのをチラッと見ただけのドラマのワンシーンを真似てみせる。元々俺はモノマネが得意なわけでもないし、その作品を知らないんだからクオリティはお察しである。だけど、これが奴の注文通りのものなのだ。


「ブヒャヒャヒャヒャ! 何だよお前下手くそだなあ! 得意って言うのは嘘だったのかよ!」


 そいつが笑ったのを皮切りに、周囲のクラスメートも笑い始める。俺も顔を伏せながら「ハハッ」と苦笑を漏らす。


 だけどその中で一人笑っていない人がいた。


「つまらない」


 彼女がそんな感想を口にした瞬間、場の空気が凍った。俺に無茶振りをしてきた男子生徒は狼狽し、周囲の奴らは気まずそうに目を伏せている。


「お、面白くなかった? おい瀬古! てめえがつまらないモノマネをするから——」

「やらせたのはあなたでしょ? どうして彼に責任を擦りつけてるのよ。他のみんなも、同調するだけで、誰もこの状況がおかしいと思わないの? ……つまらない人たちね」


 彼女は呆れたような口調でそう言う。俺を弄りあげていたクラスメートたちがどんどん小さく見えてくる。


 次の瞬間、彼女の目と俺の目が合った。その大きくて綺麗な黒い瞳に意識が引き込まれてしまいそうになる。


「あなたも自分の意志を持たず、彼らの言いなりになって。つまらないわ」


 彼女はそう言うと踵を返し、長くて綺麗な黒髪を靡かせながら俺たちのもとから離れて行った。


 それから、彼らが俺をイジってくるようなことはなかった。そのため、俺は上位層グループに居場所はなくなり、これからは独りなのかななんて考えていた。


 しかし、彼女の言葉が俺の脳内で何度も何度もリフレインされる。「自分の意志を持たないつまらない男」だと。


 このままではいけないと思った。自分を変えたい。そのためにはまず、自分から動いてこの状況を打破することが大事だと思えた。


 能動的に動くのだ。となれば、中間層の俺が取る行動といえば上位層に媚び売るか下位層の仲間に入れてもらうかだ。上位層はありえない。だから下位層のもとへ向かった。


「あ、あの」

「え……?」

「……なにかね?」


 昼休み。教室の片隅で談笑しているグループのもとに話しかけに行くと、彼らは俺の顔を見て訝しげな表情を浮かべた。


 それもそうだ。彼らもあの一部始終を見ていたのだ。上位層に捨てられたからこっちに流れてきたんだろう。そう思われても仕方なかった。


 だけどここで諦めてしまったらダメだとなんとか踏ん張る。


「盗み聞きみたいになってごめん。さっきトルパニの話してたと思うだんけど、俺も会話に入れてくれないかな……?」


 トルパニ。正式名称『トルネード・パニック』。風魔法を操る主人公がヒロインを襲う魔物たちを撃退する話で、その風魔法によって発生するちょっとえっちなシーンが盛り込まれた少年漫画だ。


 彼らは先ほどからトルパニについて談笑をしていた。実は俺も愛読しているため、話ができるんじゃないかと思えたのだ。


 俺に話しかけられたクラスメートはメガネをクイっと上げ、目を……いや、メガネを光らせる。


「……推しは誰かね」

「えっ。えっと……ふ、フウちゃんかな」

「ふむ。活発少女のフウか。どこに魅かれたんだ?」

「いつも元気良くてムードメーカーだけど実は周りのことをよく見てて、陰では悩んでいたりするのが健気で。あと……こっそり主人公に恋しているところ」

「わかる!!!!!!! にわかはやたら元気の良さを推してきたり、優しい性格が良いと言ってくるが、彼女の魅力の真髄は別にある!! 表と裏つまり陽と陰のギャップ、そして密かに抱く恋心。あぁ甘美なり。お主、なかなかやるじゃないか」

「ど、どうも」


 予想外のハイテンションなリアクションが返ってきたため、少し怯んでしまう。


 しかし、心の中は晴れ晴れとしていた。もやがかかっていた視界が、パッと開けたような気がする。


 中学校に上がってから、自分が読んでいる漫画の話をすることなんて今までなかった。思えば、初めて自分の好みを語ったような気がする。


「ちなみに我はウインドちゃん推しだ。あの巨乳は最高だ」

「あっさ! にわかコメントすぎるだろ」

「何を言うか! 巨乳無くしてウインドちゃんを語れるわけがないだろう!」

小田おだ氏はまだまだですな。ちなみに僕の嫁はタツマキちゃんです。ロリこそ至高」

「…………」

「…………ん?」

「ん? じゃねえよ、理由続かないのかよ。まだ浅いコメントしかしてないぞ」

「タツマキちゃんの魅力を語るに多くを語る必要はないってことですよ」

「ものはいいようだなぁ」


 彼らと話しているとついついツッコミを入れてしまう。そのやりとりは小気味が良かった。彼らもへへっと笑っている。


 こうして俺は彼らと校内外問わずで時間を共にすることになった。


 教室で彼らといつもと変わらず馬鹿な話をしていると、なんとなく視線を感じてそちらを振り向いた。その先には、俺が能動的になるきっかけを与えてくれた彼女——夜咲やざき美彩みさがいた。


 彼女と目が合う。これで二回目だ。前回は呆れたような目をされた。しかし今回——


「ふふっ」


 彼女は微笑んでいた。


 その時だ。俺が夜咲美彩に恋してしまったのは。いや、もしかしたら俺に転機を与えてくれたあの時から既に俺は恋に落ちていたのかもしれない。どちらが正しいのか、それは今の俺には分からない。神のみぞ知るってやつだ。


 結局、中学を卒業するまでの約一年間、彼女に告白することはできなかった。だけど時折会話をするような仲にはなったし、何より進学先の高校も一緒なのでそこまで焦っていなかったのもあった。


 だけどこのままではズルズルと何もしないまま終わってしまうと思えてきた。確かに俺は変われたが、能動的と積極的は違う。


 高校入学と同時に、これからは能動的ではなく積極的へとギアを変更した。


 するとまあ、俺は単純なもので、入学式の日に彼女を校舎裏に呼び出した。


「なに?」


 風が舞い上がり、揺れる彼女の髪と桜吹雪が幻想的だ。


 そんな彼女に見惚れながらも、俺は自分の感情を告白する。


「好きです……付き合ってください!」


 なんの色気もない告白の言葉。昨晩、夜な夜な考えた『ぼくのさいきょうのこくはく』は先ほどから頭の片隅にすら残っていない。彼女の姿を目の当たりにした瞬間消え失せたのだ。


 まだ寒さが残る春先の季節。なのに顔は熱く、耳まで熱を感じる。


 彼女は俺の告白に一瞬驚いたような顔をし、あの時見せた微笑みを浮かべ、


「ごめんなさい」


 はっきりとそう言った。


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