第115話

 月は雲によって隠され、街灯に照らされた夜道を美彩と手を繋いで歩く。


 かつて俺が憧れていたシチュエーションが叶っているはずなのに、俺の心は思ったより踊っていなかった。


 隣を歩く美彩が前を見ながらきいてくる。


「ねぇ蓮兎くん。今晩、晴と会ったのはあの子からのお誘いかしら」

「……どうだっけか」

「そう。あの子からなのね。あの子がどうやってあなたを誘い出したのかは知らないけれど、どうせ蓮兎くんはあの子の気持ちを察して行動したのでしょう」


 そこまで分かるのかと驚くと同時に、まあでも美彩だからなと変な納得感を得る。


「江ノ島の件でもそうよ。あなたはあの子が錠前を付けるのを止めようとしたけど、結局あの子の気持ちを聞いて折れてしまった。けれどあのままでは危険だと判断したあなたは、すぐに私とあの子の名前が書かれた錠前を用意して同じように取り付け、その様子を写真に収めた。……あれはあの子のためにしたのでしょ? 実際、役に立ったわけなのだけれど」


 そう。あの錠前を撮影した写真は役に立った。


 遠足に行った次の日、教室で守屋に問い詰められたのだ。


「瀬古! お前と日向の名前が書かれた誓いの鍵があったのを俺は見つけたぞ! どういうことか説明してもらおうか!」


 奴はそう言って、俺と晴の名前が書かれた錠前の写真を突きつけてきた。


 だから俺は自分のスマフォを操作し、例の写真を見せ返してやった。


「俺たち三人の絆が永遠に続きますようにって願っただけだ。だから俺と美彩、俺と日向、そして美彩と日向。全組み合わせ分あんだよ」


 俺がそう反論すると、守屋は悔しそうな顔をして退散して行った。


 しかし、一番上の段に設置したとはいえ目立たないよう工夫をしたのに見つけてくるとは、やっぱりあいつ面倒な性格してるな。


 回想を終えたところで、美彩が俺の手をぎゅっと握ってくる。


「あなたの機転のおかげで晴は助かったわ。けれど、確実だったのはやっぱり晴が錠前を付けるのをやめさせることじゃなかったかしら」

「まあ、そうだろうね」

「けれどあなたはそれをしなかった。分かっていたけれど、あなたは本当に晴に甘いわ」

「別にそういうつもりはないんだけど」

「無意識な方がタチが悪いのよ。はぁ。妬ましいわ」


 美彩はそう言って先ほどより強く俺の手を握ってくる。ほんの少しだけ痛い。


 そして彼女はじっと俺のことを見て言う。


「もし、あえてあの子を突き放した方があの子のためになるってなったとき、あなたはどうするのかしら」

「……それが晴のためになるならそうするさ」

「本当かしら。あの子が涙目であなたに助けを求めてきても?」


 晴が今にも泣きそうな表情で訴えてくる姿を少し想像してみる。……辛いな。


「ほら。あなたはあの子に甘いのよ」


 顔に出ていたのか、それとも感じ取ったのか。


 美彩はぷいっと前を向いて唇を尖らせる。そして、例のごとく手で不満を訴えてきたのだった。




 * * * * *




 今日は日曜日。休日だ。


 だけど俺たちは学校に来ている。なぜなら模試があるからだ。


 部活動をしていない身としては休日に学校に来ることはなかなか無く、登校中、いつもすれ違うサラリーマンと出会わないなど同じ朝なのに違和感が凄かった。


 教室に着くと、そこにもいつもと違う光景が広がっていた。普段なら騒がしく話しているクラスメイトたちが、黙々とノートや参考書を読んだりしているのだ。


 進路選択という人生の岐路が目の前にあるためか、晴だけでなく他の生徒もこの模試には力を入れているらしい。


「瀬古氏。本日の戦の準備はいかほどかな」


 小田に話しかけられ、俺は苦笑を返す。


「お手柔らかにって感じだな。そういえば小田は文系に進む予定だっけ」

「うむ。なので理系科目はとうに捨てておる」

「威張れることじゃないぞ〜」


 小田の本気か分からないジョークに軽くツッコミを入れて笑い合っていると、俺たちに近寄ってくる者が一人いた。美彩だ。


「蓮兎くん、おはよう。意気込みはどうかしら」

「おはよう。まあ、やれるだけやるつもりだよ」

「そう。私的にはC判定くらいは取っておいて欲しいものね」

「そう簡単に言うなよ……。ところで日向は?」

「……あの子なら、ほら。必死に復習しているわよ」


 美彩が指差した先は晴の席だった。


 晴は自分の席に座り、他のクラスメイト同様に参考書と睨み合いをしている。いや、その真剣具合は誰にも負けていないか。


 なんとか美彩のお許しが出る結果を出して欲しい。俺はただただそう祈るばかりだ。




 * * * * *




 すべての科目の受験を終えて、教室中にハァ〜というため息が響き渡る。


 俺も体を伸ばしてリフレッシュする。やっぱり一日中、机に向かうのは辛いな。


 ちらっと晴の方を見る。後ろからなので表情は見えないが、特に落ち込んでいる感じはない。手応えとしては上出来だったのだろうか。


 前から流れてきた解答集を受け取ったところで、松居先生がクラス全員に声をかける。


「はい。休日なのにおつかれさまでした。私もおつかれさまでした。解答集回ったと思うから、それ使って自己採点した奴から帰っていいぞ」


 それを聞いたクラスメイトたちは直ちに自己採点に取り掛かる。その様子から、早く帰りたいという強い意思が感じられる。


 俺も早く家に帰って休みたいので解答集を開き、問題集にメモしておいた自分の回答と照らし合わせる。


 ……本当にそこそこって感じだなぁ。


 可もなく不可もなく。それが俺の本日の結果だった。まあ記述式だったし、部分点を期待しようかな。


 すべての科目の採点を終えたところで、俺の席に美彩がやって来た。


「おつかれさま、蓮兎くん。結果はどうだったかしら」

「美彩もおつかれ。まあやれるだけやれたって感じかな」

「はぁ。もっと色よい返事が聞けるものだと思っていたのだけれど」

「すんません。あ、でも古文はいい感じだったよ。この前美彩に教えてもらったからかな」

「ふふ。それは嬉しいわ。それならまた今度、別の科目もみっちり教えてあげるわね」

「お手柔らかにって感じだなぁ」

「何よそれ」


 俺のいい加減さに美彩は呆れたような表情を浮かべるが、次の瞬間にはふっと笑う。


 俺の冗談が通じたのか、それとも自分のおかげで俺の成績が上がって喜んでいるのか。もしくはその両方かもしれない。


 机の上を簡単に片付け、俺は美彩の隣に立つ。


「晴の結果を聞きに行きましょうか」

「そういえば、どれぐらい取れてたらOKなんだ?」

「そうね。六割は取って欲しいところね」

「六割? 結構厳しくない……?」

「別に意地悪で言ってるわけじゃないわ。今はまだすべての単元を習っていないのだから、現時点でそこそこ取れていないと後が怖いでしょう。それに今回は例の二科目に特に力を入れていたのだから」

「……そうだなぁ」


 美彩の意見は一理も百理もあったため、俺は何も反論することができなくなった。


 俺は美彩に黙って付き従い、晴のもとへ向かう。近づくと俺たちの気配を感じたのか、声をかける前に晴はこちらを振り向いた。


 その表情は晴々したものとは言えないが、曇っていると思えないものだった。


「晴。自己採点は終わったかしら」

「う、うん。終わったよ」

「そう。それなら結果を教えてくれるかしら」


 美彩は早速本題に切り込んだ。俺は晴の口に注目して息を呑む。


「えっと、数学は六割強取れたよ」

「おぉ! すごいじゃないか」

「えへへ。レ……瀬古が教えてくれたおかげだよ」

「日向が頑張った結果だよ」


 数学はなかなかの好成績だったみたいで、俺は安堵のため息をつく。自分の力不足で残念な結果を迎えることにならなくてよかった。


 自分の力不足といえば、途中から美彩が教えることになった物理の方はどうだったんだろうか。


「それで、物理の方はどうだったのかしら」


 美彩が催促するように物理の結果をきく。


 すると、晴は唇を噛み締め、ゆっくりと口を開く。


「……五割くらいだった」


 瞬間、重たい空気が俺たちの間に流れる。


 俺は咄嗟にその空気を追い払うように大きな声を出す。


「いや! 十分取れてるだろ! 元々苦手科目だったのにここまで伸ばすことができたんなら、これからも伸びるって!」

「瀬古……」


 俺を見つめる晴の瞳には若干の涙があった。


「そうね。初めの頃と比べたら、すごく頑張ったと思うわ」

「美彩……!」


 美彩に認められたと思った晴は、一気に表情を明るくさせる。


 だけど、美彩はそこまで甘くなかった。


「それで、他の科目はどうだったのかしら」

「え……」

「他の科目の自己採点も終わったのでしょう。教えて、晴」

「……うん」


 晴は理系に進学するために、苦手科目であるにも関わらず数学と物理で点数を取るために必死に勉強してきた。その甲斐あって、二つの科目はなかなかの点数を取ることができた。


 しかしその弊害か、辛うじて得意科目はキープできているが、他の科目の大半の得点が前回の模試の結果と比べて下がっていた。


「たとえ二科目の成績が上がったとしても、他の科目の成績が下がるのであれば本末転倒よ。受験は総合戦なのだから」

「……で、でも仕方ないじゃん。今回は数学と物理の対策で一杯いっぱいだったんだから。次は大丈夫だもん」

「けれど、進路選択のアンケートは来週までに提出よ。つまり、これが最後のチャンスだったのじゃないかしら。それに、受験のチャンスは一度きりよ」

「べ、別にこれは受験じゃないじゃん。模試だよ。あたしにはまだチャンスがあるはずだよ」

「……そうね。今日は模試なのだから、チャンスはこれっきりじゃないわよね」


 まさかの晴が美彩を言い伏せることに成功した。俺は先ほど数学の結果を聞いた時より強い衝撃を受ける。


 晴もこれは勝ったと思い笑みを浮かべ始める。


 だけど美彩は未だ冷酷な表情を浮かべていた。そして、言う。


「晴。今から生物の問題を解いてみて」

「……え?」


 どうして生物を? それも今から? そんな疑問を俺だけでなく晴も抱いただろう。だけど美彩の顔を見て、これは本気だと悟る。


「……わかった」


 晴はまだ納得はしていない様子だったが、とりあえず美彩の言う通りにするようだ。


「手は抜かないでね。場合によっては、担当の先生から晴の小テストの解答を見せてもらうから」

「……うん」


 それから数十分間、模試が終わったのにも関わらず教室で晴一人だけが問題に取り組んでいた。


 次第に教室に残っていたクラスメイトも帰っていき、残るは俺たちだけになってしまった。


 そしてタイムリミットがくると美彩が回答を回収して採点を始め、しばらくして結果が出る。


「……七割ってところね」

「え、すご」


 思いがけない高得点に、俺は思わず率直な感想を漏らす。


 しかし当の本人は複雑な表情を浮かべていた。


「晴。あなた凄いじゃない。特に勉強していないのにこの点数を取るなんて」

「……期末試験の対策してたからだよ」

「嘘をつきなさい。あなた、数学と物理に専念していたでしょう」

「……たまたまだよ。たまたま知ってるところばっかり出たんだよ」


 意地でも生物の高得点を認めようとしない晴に、美彩はわざとらしく大きなため息をつく。


「晴。あなた、物理ではなく生物を選択しなさい。それなら理系でも大丈夫だと思うわ」

「やだ」

「今回、あなたはよく頑張ったわ。でも、やっぱりあなたは生物の方が得意なの。これを捨てる道理がどこにあるのよ」

「やだ」

「晴」

「やだ!」


 遂には叫ぶようにして拒絶する晴の瞳には大量の涙が溜まっていた。


 そんな瞳で晴は美彩のことを睨む。


「美彩、あたしとレンを引き離さそうとしてるだけでしょ」

「はぁ。違うわよ。私はあなたの将来のことを考えて言ってるの」

「嘘! 絶対そうだよ。絶対、絶対そうだよ……」


 晴の言っていることが分からず困惑していると、そんな俺に気づいた美彩が説明してくれる。


「理系の中でも物理選択者と生物選択者でクラスを分けられるっていう話があるのよ。その方が学校側も時間割の管理が楽でしょ」

「……なるほど」


 俺は得意科目である物理を選択するわけだが、仮に晴が生物を選択した場合、せっかく同じ理系に進んだのに別のクラスになる可能性があるということか。


 そんな説明を美彩から受けている間に晴は荷物の整理を済ませ、リュックを持って立ち上がった。そして俺の手を掴む。


「レン。帰ろ。二人で」

「え、でも」

「いいじゃん。今日は休日だよ。あたしの日なんだから、あたしと一緒に帰ろ」

「待ちなさい、晴。休日といっても今日は学校があったのだから、あなたが蓮兎くんと一緒に帰るのはダメよ」

「じゃあ、あたしの日がまた少なくなっちゃうじゃん! もともと2日しかないのに、今日なくなったらたったの1日だよ!?」

「仕方ないじゃない。これは学校行事なのだし」

「仕方ないで済まされないよ! ……ねぇレン。あたしと帰ろ?」


 涙で潤んだ瞳に上目遣いで、晴は俺にそんなお願いを言ってくる。


 正直、そのまま彼女と一緒に帰ってしまいたいと思った。こんな重苦しい空間から逃げるように、二人で教室を飛び出したいと。


 瞬間、昨晩の美彩の言葉が頭の中に響いた。


「……晴は生物を選んだ方がいいと思う」

「っ!」


 俺がそう言うと、晴は俺の手を離した。


 そして彼女の頬に涙が伝う。


「なんで……なんでレンもそんなこと言うの……? レンはあたしの味方じゃないの……?」

「お、俺は晴の味方だって。でも——」

「今日は一人で帰るっ」

「晴!」


 教室を飛び出していく彼女を追いかけようとしたが、美彩に腕を掴まれてしまう。


「今は一人にしておきましょう。あの子は少し頭を冷やすべきなのよ」

「……でも」

「蓮兎くんが悔やむことなんて何もないわ。むしろよく言ってくれたわ。蓮兎くんが言ってくれたおかげで、あの子も少しは考えるようになるでしょ」


 ……俺は何を悔んでいるだろうか。生物を選べって言ったこと? 俺の実力不足ゆえに、物理を最後まで教えきれなかったこと? それとも……


「蓮兎くん。折角だから、今日は私と一緒に帰りましょう」


 そう言って彼女の提案を受け、俺は視線を落とす。


「今日は俺も一人で帰るよ。少し考え事がしたいし」

「……そう」


 美彩は一瞬悲しい表情を浮かべたあと、俺の腕を離し、笑顔を作ってみせる。


「今日はおつかれさま、蓮兎くん。また明日、学校で会いましょう」

「うん、おつかれ」


 互いに挨拶を交わしたところで、俺はなんとなしに窓の外を眺める。


 先ほどまで教室の中に差し込んでいた夕日が沈んでいく。


 ……松居先生のところに行ってみるか。

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