第114話

 どうやら美彩は昼までの休憩時間に一年生のクラスへ出向き、後輩カップルに今日だけあの場所を譲ってくれないかお願いしに行っていたらしい。だから今日に限ってあの二人はいなかったそうだ。


 そして、午後から美彩は普通に俺に絡んでくるようになった。クラスメイトも仲直りしたんだと思ったみたいで、つまらないとボヤいているのが聞こえた。


 昼休憩に俺と美彩が教室から出て行ったのを境にそうなったため、晴は怪訝な目で俺を見てきたが、詰め寄られるようなことはなかった。


 晴は本当に俺たちの帰りを待ってくれていたみたいで、弁当に一つも手をつけていなかった。だから俺たちは三人で一緒に急いで昼食を摂ることになった。


 そんなプチ騒動があった今日の夜。


 晴は最近勉強を頑張っており、分からない問題があったらその問題を添えて連絡をしてくる。俺はその対応をしながら自分の勉強を進めていた。


 人に教える作業は自分の理解の確認にもなるし、彼女のやる気にあてられて自分もやるぞという気になれるので実は助かっている。


 そろそろ期末試験が近いし、その直前には模試がある。そのため、今は勉強するべき期間とも言える。


 それに彼女はこの模試で美彩を納得させる結果を出さないと理系進学を臨めないという話になっている。だから彼女も頑張っているんだろうし、俺もサポートできるところはサポートしたい。


「……質問止まったな」


 さっきまでひっきりなしに震えていたスマフォを眺めて俺は呟く。


 まあ質問する必要もない問題もあるだろうし、質問が止まったということは理解できているということだから喜ばしいことか。


 俺は両腕を上げて体を伸ばし、苦手な科目である国語に取り掛かろうとする。やっぱり苦手意識があるとなかなか手が伸びないが、試験が近いとなればやるしかない。


 ……とはいっても苦手なものは苦手なので、集中力がすぐに切れてしまう。文章問題を読むのは諦めて、適当に文法や単語の見直しに移る。


 そんな逃げの姿勢で勉強を進めていると、しばらくぶりにスマフォが震えた。


 また晴からの質問か、それとも美彩からか……と思ったのだが、そのどちらでもなかった。


 メッセージの送り主は晴ではあったのだが、その内容は先ほどまでとは全く異なるものだった。


『今、ここにいるんだぁ』


 そんなメッセージと一緒に添えられて送られてきた写真に映っていたのは、かつて俺たちが放課後に合流場所として使っていた公園だった。それも辺りは真っ暗で、本当に今撮影したものだと分かった。


『え、なんで?』


 すぐに返事を送ったが、既読は付くだけで向こうからの回答は来ない。


 彼女の意図を察した俺は、適当な服に着替えて家を飛び出し、公園へと向かった。


 街灯が若干照らす薄暗い道を走り続け、例の公園に到着した時には俺は息を切らしていた。


 肩で息をしながら公園の中に目を向けると、そこに彼女はいた。俺と同じ黒のスウェットを着ており、暗闇の中だと見えづらいので灯りの下にいてくれてよかった。


「晴」

「レン!」


 公園の中に入って彼女に声をかけると、彼女は満面の笑みを浮かべて俺に抱きついてきた。


「レン……レン……」

「晴……どうしてこんな時間にこんなところにいるんだ」

「……コンビニにお買い物に出たついで」

「晴の家の近くにコンビニあるだろ」

「……知ってたんだ」

「まあ、時々利用してたし」


 放課後、晴の家に行った帰りにちょくちょく利用していたコンビニを思い出す。晴の家から結構近くにあったはずなので、コンビニのついでにしてはこの公園は遠い。


 嘘を見抜かれてしまった晴は「うぅ」と唸り、俺の体をさらに強く抱きしめる。


「本当はレンと会いたかったの。でも今日は平日だから。美彩の日だから。こんなことしちゃダメなんだけど、でも、我慢できなくて」

「……だからってこんな時間に一人で出歩いたら危ないだろ」

「……えへへ。だってレンが心配して来てくれると思ったんだもん」


 まあ、それはなんとなく察しがついていた。返事がない感じからして、俺が来るまでここから動く気はなかったのだろう。


 俺は一つため息をつき、彼女の右手を握る。


「さあ、帰ろう。もう夜遅いんだから。下手したら補導されちゃうし」

「……うん。わかった。でも少しだけ聞きたいことがあるの」


 晴は繋がれた手をぎゅっと握って聞いてきた。


「……今日のお昼、美彩とどこに行ってたの? 美彩と何をしたの?」


 俺は彼女の目から視線を外したくなる衝動に駆られるが、それに耐えて答える。


「美彩を追いかけてたら、美彩がプールの更衣室に入って。そこで二人で話をしたんだ。主に昨日のことについて」

「……それだけ?」

「あとは、うん。抱きしめ合ったりしたかな。でも……昨日、晴がしてくれたおかげでそういうことはなかったよ」

「ほんと?」

「うん」

「……そっか。うん。レンがそう言うならそうだよね。よかったぁ」


 晴が満足したところで、俺たちは手を繋いだまま帰路に着く。自然とお互いの指が絡まりあっていく。


「えへへ。この道を一緒に歩いてたら、昔のことを思い出すね」

「昔ってほど前のことじゃないけどね」

「細かいことは気にしないのっ。……でも、あの時はこうして手を繋いだりなんかしてなかったよね」

「そうだなぁ」

「あ、でもね。あたし、あの時の感じも好きだったんだよ。いつかレンが手を繋いでくれないかなってドキドキしてた。でもそれが今叶ってる。えへへ、うれしいなぁ」

「……そっか」


 形的にはそうだけど、本当に晴が望んでいたものはこれだったのか。そんな疑問が浮かんできて、俺は相槌が適当になってしまう。


「……ねぇレン。前みたいにさ、放課後うちに来てよ。そして解消しようよ」

「いや、大丈夫だよ。それに今は模試の対策しないとだろ。晴の将来のためにも」

「……うん。分かった。でも我慢できなくなったらすぐ言ってね。ううん。我慢できる前に言って。そうならないように、あたし頑張るから」


 頑張ると意気込む彼女に、俺は「うん」とまた簡単な返事をするのだった。




 * * * * *




 晴を家まで送った後の帰り道。


 ちょうど彼女と解散した時に俺のスマフォに着信が入った。


 相手は美彩だった。


『それで蓮兎くん。今どこにいるのかしら』

「……外だよ」

『それは分かっているの。意外と通話相手の環境音って聞こえるものなのよ。私が聞いているのは具体的な場所」

「……コンビニ帰り、みたいな」

『蓮兎くん。嘘をつくのはやめて』

「……今は一人だよ」

『……そう。さっきまで晴と一緒だったのね』


 やはり美彩相手に誤魔化すことなんて無理だった。そもそも彼女は初めから分かっていたような気がする。


 彼女の推理に対して俺は何も答えなかったが、沈黙は肯定と捉えたのか、彼女は「正解みたいね」と呟きため息をつく。


 なんて言葉を返したらいいだろうと考えていると、受話口からゴソゴソと音が聞こえ始めた。布が擦れるような音。それが収まったかと思うと次はトントンという音がリズムよく聞こえてきて、遂にはガチャッという音が——


「美彩。まさか」


 彼女は何も言わない。だけど先ほど彼女が言った通り、通話相手の環境音というものはよく聞こえるみたいで、シンシンという音を背景にザッザッという音が聞こえ始める。


 彼女が何をしているのか察した俺は地面を蹴って駆け出した。


 どこへ向かえばいいのかは分からない。だけど、おそらく彼女は外に出ている。なら、早く合流するためにも俺は急いで家の方に戻らなければいけない。


 通話を繋げたまま俺は息を切らして走る。向こうに俺の荒い息遣いが聞こえてしまうのもお構いなしに。ただただ来た道を走って戻る。


 そして例の公園まで戻ってきたところで、偶然というべきだろうか、その入り口に彼女は立っていた。


「蓮兎くん」『蓮兎くん』


 目の前の少女から発された声に似た声が耳元からも聞こえる。


 通話が切れて、その少女——美彩は俺のそばまで歩み寄り、そしてキスをしてきた。


 美彩は一度俺から離れ、自身の唇に細くて綺麗な指を添わせて艶やかに笑う。


「蓮兎くんの息切れ、たくさん聞こえてきたわ。私が外に出たと分かって走ってきたのでしょう。こんな夜更けに私が一人で外を出歩いているのが心配で、必死になったのでしょう。嬉しいわ、蓮兎くん。もっと私を見て。私のために一心不乱に行動をして。あぁ……愛おしい。愛おしいわ蓮兎くん」


 見惚れるほど美しい笑顔を浮かべる美彩に、俺は「帰ろう」と声をかける。


 だけど美彩は俺の言葉を無視して俺の体を抱きしめてきた。


「ダメよ。まだ上書きができていないもの」

「上書き?」

「えぇ。どうせあの子とも抱きしめ合ったのでしょう。なのに私とはせずに帰る気なの? そんなこと許されないわ。今晩あなたと抱きしめ合ったのは私よ。それをあなたの体に教え込むまで帰らないわ」


 それはどれぐらい時間かかるんだろうか。そんな野暮なことは聞けず、俺は彼女の細い体を抱きしめることしかできない。


 俺が抱きしめ返したことで彼女は口元を緩ませ、それを俺の口元に近づけてくる。


「これぐらい構わないでしょ?」

「……あぁ」


 夜空から差し込む月の光がどれだけ地上を照らしてくれているのかを、現代人である俺は知らない。だけど願わくは、俺たちの未来を明るくしてくれる程度の光量はあって欲しいものだ。


 そんなことを、夜空に浮かぶ半月を眺めながら思うのだった。

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