第23話

 母は強し。これは母親の腕っぷしが強いというわけではなく、子供を守るときに母親は修羅にでもなるということを意味する言葉だ。


 ただし、我が家においては言葉のままの意味が適用されるかもしれない。


 俺の友人が家に遊びに来たのにも関わらず、常にイニシアチブを持っているのは母さんだった。そして今、母さんは「二人ともっと親睦を深めたい!」とか言って、夜咲と日向とそれぞれ個人面談を行なっている。二人にとっても災難だろうが、母さんを止められる人はこの場にいなかった。まさしく天災だ。


 まずは夜咲が呼ばれて一階に降りている。そのため、俺の部屋には俺と日向の二人きりになった。心なしか日向がさっきより近くに座っている気がする。


「ねえ、レン。二人きりだね」


 日向は自分の手を俺の膝の上に置き、潤んだ瞳をこちらに向けてくる。気づけば俺の呼び方が変わっていた。


「え? あぁうん。悪いな、母さんのわがままに付き合わせて」

「ううん。それはいいの。あたしもレンのお母さんと仲良くなりたいし。……それでさ、レン」


 日向は俺の目から視線を外さないまま、手だけをゆっくりと動かす。その行き先を察し、俺はその手を掴む。


「日向。何をしようとしてるんだ」

「だって好きな子が自分の部屋に来たんだよ? さっきまで一緒にいたんだよ? レン、興奮してるかなって。次は美彩と二人きりになるし、今の内に解消しておこうよ。ね?」

「必要ないって。この際俺を信用できないのはいいけど、そもそも下に母さんもいるのに、そんなことできるわけないだろ」

「……で、でもさ。万が一とかあるじゃん。用心しておいて損はないでしょ? レンも気持ち良くなれて、損することなんて」

「日向!」


 日向の両肩を掴む。彼女の目はどこか虚ろだ。


「今日は友達が遊びに来てくれた。それだけだ。だから日向が想像するようなことにはならないから、日向がそんなことをする必要はないんだ」

「……じゃあ、あたしはいらないってこと?」

「はぁ? 日向も遊びに来てくれた大事な友達だろ。そんなわけないよ」

「……本当? あたし、ここにいていいの?」

「当たり前だろ」

「……一つお願い聞いてもらっていい?」

「あ、あぁ」

「そのままあたしを抱き締めて。ぎゅって」


 一瞬、彼女が何を言ったのか分からなかったが、理解した時には何も考えずに実行していた。そうしないといけないと思ったのだ。


「……えへへ。そっか。あたしはここにいていいんだ。レンのそばにいていいんだね」


 日向は何か呟きながら、自身も俺の背中に腕を回してくる。


 今まで何度も抱き締めてきたその身体は、今までにないほど脆く感じた。今手放したらどこかへ行ってしまう気がしてつい腕に力を入れてしまい、日向が「んっ」と少し苦しそうな声を漏らすので「すまん」と慌てて力を抜こうとすると、


「いいよ。そのままで。レンの好きなようにして」


 と耳元で囁かれる。熱い吐息と一緒に。


 このまま彼女を強く抱き締めて、壊れてしまうのは彼女の身体だろうか。それとも……


 しばらく抱きしめ合っていると、日向はゆっくりと俺から離れて行った。そして俺の隣に座り、いつもの綺麗な瞳を俺に向けてくれる。そして「そういえばさ」と話を始めた。その口調はいつもと同じだ。さっきまでのは無かったことにするつもりなのかなと思い、俺はその話に乗っかることにする。


「本棚にトルパニがないけど、どこかに隠したの?」

「しっかり見てんな……そうだよ。日向にはもうバレちゃってるけど、夜咲はまだ知らないからな。流石に女友達にアレを読んでるのを知られるのは恥ずかしい」

「まぁ美彩は特にそういうのに疎そうだしね〜。バレたら幻滅されてたかもよ? 英断だったね」

「そこまで過激じゃないんだけどなぁ。まあ友人を失うのは痛いし、昨日の自分にグッジョブを捧げよう」

「ところでさ、レンは誰推しなの?」

「……内緒」

「あのさぁ、男の内緒とか何の魅力もないから! ほら、ぱっと言っちゃいなよ。楽になれるよ?」

「俺は容疑者かよ……はぁ」


 俺はわざとらしくため息をつき、日向から視線を外して自室の壁を見ながら呟くように答える。


「フウだよ。フウが俺の推し」


 すると隣から「えっ」という声が聞こえた。彼女はトルパニを読み始めている。だから、フウというキャラがどんなキャラなのかを、彼女は知っている。


「……へぇ、そうなんだ。えへへ」


 彼女は恥ずかしそうにはにかむ。その姿は、今、俺の頭の中に想起されているキャラとそっくりで……。




 * * * * *




 夜咲と入れ替わりで、今度は日向が母さんとのガールズトークという名の個人面談へと向かった。


 そのため、今度は夜咲と二人きりという状況になってしまった。日向にああは言ったが、やはり夜咲と二人きりになるのは緊張する。日向と二人きりになることは最近多いので、いまさら緊張するなんてこともないのだが、夜咲とはそういった機会は滅多にない。日向抜きで遊びに行く際も、あの日を除けば常に紗季ちゃんがいるし。


 そして何故か夜咲も俺との距離が近い気がする。日向とは逆隣に座っているのは妙な巡り合わせだなと感じる。


「母さんのわがままに付き合わせて悪いな。何か変なこと聞かれなかったか?」

「とても有意義な時間だったわ。蓮兎くんの幼少期のお話なんて特に傑作で」

「マジで何の話してたの!? 絶対余計なこと話してるよあの人!」

「あなた、そんなこと言って昔はお母さんっ子だったのね。もしかして今もそうなのかしら? こういうのをツンデレって言うのよね?」

「やめてくれ! それは多感な時期の少年に母親弄りはNGだという世の理に反するぞ!」

「ふふ。聞いたことのない理だわ」


 聞いたことがなくても理解していただきたい。理不尽だと言われるかもしれないが、弄られる方が理不尽だと俺は強く主張したい!


「ところで俺と夜咲の関係性とかって母さんに言ってないよな……?」

「関係性って何かしら」

「とぼけないでくれよ……その、俺が夜咲に告白した、とか」

「あら、話したらダメだったの?」

「え!? マジで話したのか!?」

「……ふふ。冗談よ。あまりそういったことを話す雰囲気じゃなかったから、話題にも上がっていないわよ」

「はぁ……よかったぁ」

「そんなに知られたくないの?」

「母さんのことだから、そんなことになったら俺を散々いじり倒すだろうかなぁ。あとシンプルに恥ずかしい」

「あなたに恥ずかしいなんて感情あったのね」

「そりゃあるよ失礼だな」


 たしかに教室で愛の言葉を叫ぶやつに羞恥心なんてなさそうだけどね、一応あるから。


 夜咲はまたクスクスと笑う。やっぱり今日はご機嫌みたいだ。


「そういえば、紗季のことをお話ししたら、ぜひ今度会わせて欲しいと仰ってくれたわ。だから今度は紗季も連れてくるわね」

「別に俺はいいけど、そうなると日向への紹介の方が先じゃないか?」

「……そうね。そうだったわね」


 別にいつになってもいいと思うけど、そろそろ日向に紹介してやってもいいんじゃないだろうか。母さんの暴走が良い機会になるとはね。


 何故か俯いてしまった夜咲。何か考え事でもしてるのかなとその様子を見ていると、夜咲はゆっくりと顔を上げて「私も聞きたいのだけれど」と逆に質問し始めた。


「さっきまで晴と二人きりだったのよね。あなたたち、何をしていたの?」

「え? ……いやー、普通に喋ってただけだけど。うん、特に何も無かったよ」


 そう、何もなかった。ナニかありそうではあったけど未然に防ぎました。だから嘘はついていない。


 なのに何故、夜咲さんはそんな鋭い目つきをされているのでしょうか?


「そう。じゃあ質問を変えるわ。……どうしてあなたから、晴の匂いがするのかしら? 教えてくれるわよね、蓮兎くん」

「ひっ」


 射抜くような視線を向けられ、俺はつい情けない声を漏らしてしまう。


 何でバレたんだろう……たしかに抱き合ってたから匂いがついていてもおかしくないけど、そんなすぐ分かるものなの?


「えっと……実は、ちょっとだけ揉み合いになってな。日向があまりにもアルバム写真で煽ってくるから、アルバムを取り上げようとして、その攻防戦の時についた……のかな?」

「……そう。理解したわ」


 理解してくださいました。ぱっと思いついた適当な理由だったけど、何とか誤魔化せたみたいだ。


「蓮兎くんって晴とはそういう事するわよね」

「そういうことって?」

「その……身体に触れたりってこと」

「い、言い方言い方。言うなればあれは取っ組み合いであって……ちょっとした喧嘩だからさ。ほら、夜咲とはそんな喧嘩とかないじゃん」

「……だからって私を仲間外れにするの? ねえ、蓮兎くん。あなたの身体に触れていいかしら?」

「え、なんで!? ちょっ、夜咲!?」


 聞いておきながら俺に有無を言わせず、夜咲の細くて白い指が俺の顔に触れる。そして夜咲の片脚が動き、俺の膝の上を跨いでいく——その時だった、


「戻ってきたよ〜」


 そんな声と共に日向がドアを開いて部屋に戻ってきた。夜咲の行動は速く、既に元の位置に戻っていた。


「……あれ? どうしたの?」

「ん、いや何もないよ。なあ夜咲」

「……えぇ。何もなかったわ。何も」

「……そっか。気のせいか!」


 アハハと笑う日向。だけどその俺に向けられた射抜くような視線は「嘘つき」と言っているように見えた。

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