第84話

 ジャージ姿の小井戸が、甲斐甲斐しく部活中の荒平の世話をしている。その姿はまるで……


「瀬古氏。小井戸氏はサッカー部のマネージャーをしておる」

「見た感じ、そうみたいだな」

「実際に我は昨日、サッカー部の者から確認を取っておる。確かに小井戸氏は、ゴールデンウィーク明けた頃からサッカー部のマネージャーをしておる」

「入部の時期が中途半端だな」

「それは我も気になったが、本人は入部する部活を悩んでいたからだと言っていたらしい」

「なるほどね」


 なんとなく、小田が俺をここに連れてきて、何を伝えたいのかが分かった。


「小田は、小井戸が荒平のスパイなんじゃないかって言いたいんだな」

「……そうだ。全ては仕組まれておったのだ。奴が瀬古氏を陥れようとする計画というものは、昨日始まったのではない。数週間前から既に始まっていたのだ」

「となると、俺たち側の情報は小井戸を通じて荒平に筒抜けってことだな」

「うむ。瀬古氏がこの後、小井戸氏に会うと聞いて、その前にこの事実を伝えねばと思ったのだ」

「なるほどな。うん、助かったよ小田。だけど——」

「二人はそこで何をしてるんだ?」


 後ろから声がして、思わず振り返る。そこに立っていたのはクラスメイトであり、サッカー部員でもある甲斐田だった。


「か、甲斐田氏。我たちは、その、だな」

「小井戸でも見てたか? なんだ瀬古。あの二人だけじゃ飽き足りず、うちの天使にも手を出そうとしてんのか?」

「なっ! ち、違うぞ甲斐田氏! 瀬古氏はだな——」

「いいよ小田。こいつ、本気でそんなこと思ってないから。だろ?」

「へ?」


 俺が小田を止めると、甲斐田は「ふっ」と笑う。


「瀬古、どうして分かったんだ?」

「お前は嘘つきだからな」

「それを言われると痛いな。……瀬古。この後、小井戸と会うんだろ」

「どうしてお前がそれを知ってんだよ」

「いいだろ今はそんなこと。俺もその場に一緒せてくれないか?」

「なんで?」

「……瀬古に協力したいだけだ。罪を償いたいって言った方がいいかな」

「それなら勝手にすればいいんじゃないか」

「瀬古氏!?」


 甲斐田の申し出を俺が受け入れたことに、小田は驚愕の声を上げる。


「たしかに甲斐田氏は昨日、我と一緒に暴れそうになった瀬古氏を抑えてくれたり、夜咲氏と日向氏の護衛を手伝ってくれたが、本当に信じていいのか? そもそも、瀬古氏はまだ小井戸氏のところへ行くつもりなのか?」

「甲斐田を許したわけじゃないけどさ。どうせ、小井戸と既に繋がってんだろ?」

「どうだろうね」

「だ、だったら尚更警戒するべきじゃないか!?」

「小田には感謝してるよ。俺も一瞬、あれを見てあいつのこと疑ってしまったけどさ……小井戸は、俺の大事な後輩なんだ。敵だとは思えない」

「……そうか。瀬古氏がそう決めたのなら、我はもう何も言うまい」

「悪いな」

「なに。我と瀬古氏の仲じゃないか。礼を言うことはあっても、謝ることはないよ」


 あまりの小田のイケメンぶりに惚れそうになる。惚れないけど。


 甲斐田は俺たちのやり取りを見て、「お前たちの関係って何かいいな」と呟いていた。




 * * * * *




 小田は先に帰ってもらい、甲斐田は部活へ戻って行った。


 俺は約束の時間まで校内を適当にうろついて時間を潰した。人とすれ違うたびに攻撃的な目を向けられたり、陰口を叩かれたりしたが、特に心に傷を負うことはなかった。ただ一人で良かったと思うだけだ。


 約束の時間が近づいてきて、校内が次第に静かになってきた。ほとんどの部活が今日の活動を終えていっているのだろう。


 俺はプールの更衣室……ではなく、西階段の下に向かっていた。そこでしばらく立っていると、甲斐田がやって来た。


「待たせたね」

「部活だって知ってたし、気にすんなよ。小井戸はもう行ったのか?」

「みたいだね。荒平先輩が彼女のことを探してたよ。……それ、何を持ってるんだ?」

「ん? あぁ。いちごミルクだよ。小井戸を餌付けしようと思ってな」

「彼女はそんなのが好きなのか」

「サッカー部にいる時は飲んでないのか?」

「少なくとも俺は見たことないね。水ばっかり飲んでるイメージだよ。そもそも、うちみたいな運動部であまりそう言ったジュースを飲むこと自体珍しいけどね」

「それもそうか。って、こんな話してる場合じゃないだろ。早く行こうぜ」

「だね」


 甲斐田は俺と小井戸が落ち合う場所までは知らないみたいで、俺が案内する形で一緒にプールの更衣室へと向かう。


「へえ、鍵とかかかってないんだ」

「意外とな」

「……そうだ。瀬古。ちょっとそのいちごミルク、俺に譲ってくれないか? もちろん料金は払うからさ」

「別に金はいいけど、なんでだよ」

「彼女はまだ俺のことを警戒してるみたいだからさ。少しは好感度を稼ぎたいなって思ってね」

「イケメンがなんか言ってるよ」

「たしかに顔が良ければ比較的信頼を勝ち取りやすいけど、そういうのって他に大事なものがあるからね」

「自分で自分の顔が良いって言ってら」

「自覚することは大事だよ。それじゃあ、先に行かせてもらうね」


 嫌味を言ってもサラッと避けてくる感じ、やっぱりこいつはイケメンとして生きてんだなあと思わされる。


 甲斐田は更衣室のドアをノックして、ゆっくりとドアを開けて中に入っていく。


「せんぱ——えっ。どうして甲斐田先輩がここにいるんですか」


 姿は見えないが、中から完全に距離感のある話し方の小井戸の声が聞こえてきた。


「俺も瀬古に協力したいって昨日話したじゃないか。これ、好きなんだって? 受け取ってくれるかな」

「……いりません。私、いちごミルクとか別に好きじゃないので」

「えっ。そうだったの?」

「せ、先輩!?」


 驚愕の事実が耳に飛び込んできて、思わず身を乗り出して会話に入ってしまった。


 俺の姿を確認した小井戸は目を丸くして驚いている。


「マジか……すまん。俺、ずっと小井戸はいちごミルクが好きなんだと思ってそればっかり買ってた。悪かったな」

「え、あ、あのっ、違うんすよ! その、ボクはっ、本当に先輩に買ってもらったいちごミルクが好きなんです!」

「え、マジ? ちなみに、その甲斐田が持ってるやつ、元は俺が買ったやつな」

「えっ!? じ、じゃあもらうっす!」


 小井戸はそう言って、さっきまで拒否していた甲斐田の持っているいちごミルクを受け取り、付属のストローを差して飲み始めた。


「ぷはー。やっぱり先輩に買っていただいたいちごミルクは美味いっす!」

「本当に? 無理してない? 俺のクソみたいなセンスに合わせてくれなくてもいいんだぞ?」

「本当ですってーだからそんなネガティブにならないでくださいよー今後も先輩にはたくさん買って欲しいんすからー」

「自分で買うっていう考えは?」

「ないっす!」

「……はぁ。まあいいけど」


 俺は今後も小井戸のいちごミルク専用の財布として生きていくことを受け入れていると、甲斐田の笑い声が聞こえてきた。


「あははは。小井戸お前、瀬古の前ではそんな感じなんだな」

「え……あっ。甲斐田先輩がいるの完全に忘れてました……」

「くくくく。いやぁ、うちの天使がこんな感じの子だったとはな。他の奴らが見たらどう思うか——」

「甲斐田先輩。絶対に他の人に話したりなんかしないでくださいね」

「え。あ、うん」

「それと、今すぐこの部屋から出ていってください。今から先輩と大事なお話があるので」

「わ、分かった」

「あ、でも帰らないでくださいね。甲斐田先輩とも少しだけお話したいので」

「……了解です」


 完全に萎縮してしまった甲斐田は、小井戸の指示通りに更衣室から出ていった。けど、この後話があると小井戸が言っていたので、おそらくあまり遠くには行っていないだろう。


「先輩」


 甲斐田の背中を見送った後、小井戸の方を振り向くと、彼女は頬を膨らませて俺を睨んでいた。


「何であの人を連れて来ちゃうんすか」

「連れて行けって言われたから」

「知らない人を連れて来ちゃダメって教えてもらわなかったんすか!」

「甲斐田は知らない人じゃないし、それを言うなら『知らない人について行っちゃダメ』だけどな。てか、小井戸のその感じって俺の前でだけなんだな」

「うっ。そ、それは、あれですよ。先輩ならこんな感じでも許してくれるかなーって思って」

「俺って最初から舐められてたってことか。まあそうだよな。出会い頭で心抉られてたし。そりゃ舐められて当然か」

「うわー元気出してくださいよ先輩ー本当は先輩のためなんですー先輩がこっちの方が嬉しいかなって思ってー」

「マジ?」

「……マジっす」

「やっぱり小井戸はめちゃくちゃいい後輩だったんだなぁ」

「ふふーん。そうですよそうですよ! なんたってボクは先輩の後輩っすからね!」


 いつものこの感じ。俺はたしかに小井戸のこの調子に何度も救われてきた。


 だけど、それも俺のためにしてくれたものだったのか。


「ありがとな小井戸。俺のために」

「……先輩?」

「だけど、もう大丈夫だよ。無理させて悪かったな」

「……無理ってなんのことっすか」

「無理して元気なキャラを演じてくれてたんだろ。そんなお前の負担に気づいてやれなくて悪かったな」

「……先輩。それ本気で言ってますか?」

「…………」

「たしかにボクの素はこれじゃないかもしれませんが、先輩とお話ししていて辛いとか苦しいとか、そんなこと思ったことなんて一度もないっすよ。むしろ、楽しいんすよ。もっと先輩とお話したいなあとか、明日も会えるかなあって思うんです。先輩の前では、ボクの素はボクなんです。だから、だから!」


 小井戸は俺の手を両手で握って、しっかりと俺の目を真っ直ぐと見て言う。


「ボクから離れようとしなくていいっすからね、先輩!」


 少し目に涙を溜めてそんなことを言ってくれた彼女の頭を、俺は気づいたら撫でていた。


「あ、あの、先輩」


 小井戸は戸惑った様子を見せ、少し顔を赤くさせている。


「すまん小井戸。さっきのは半分冗談だ」

「な、なんすかそれ! って、半分ってなんすか半分って! それじゃあ半分は本気ってことですか!?」

「だなあ。小井戸にまで無理させてたなんてーってちょっと自分に絶望してた」

「そんなことしないでいいんで! 全然無理してないっす! むしろ先輩と一緒にいる時間は、その、好きです!」

「ありがとなー小井戸ー」

「うわー撫でるならもっと優しくしてくださいーでもなんかこれも嬉しいボクがいるー」


 ぐしゃぐしゃと少し雑に頭を撫でてやると、小井戸は文句を言いながらも気持ちよさそうに目を細める。


「まあ、なんだ。ちょっと確認しておきたいことがあってな」

「なんすかそれ。ボクが無理しているかどうかって話とは別にってことっすよね。……あ、そういうことっすか」

「さすが小井戸、気づいたか。……悪い! ちょっと小井戸を試させてもらったんだ。本当に荒平のスパイなんかじゃないって。小井戸は俺の大事な後輩なんだって。それを確認したくて、あんな意地悪なこと聞いた。本当にごめん!」

「……もー。先輩は仕方ないっすねー。これくらいのことで、ボクが先輩を怒るわけないじゃないっすかー」


 小井戸は悪戯っぽく笑う。だけどその目は慈愛に満ちていた。


「たしかにボクはスパイですが、むしろ逆っすよ。サッカー部にスパイとして潜入していたんすから」


 ドヤ顔でそんな発言をする小井戸に、俺は頬を緩ませる。


「なんとなく分かってた」

「えー。驚く先輩を見たくて、今まで隠してたんすから驚いてくださいよー。でもボクのこと信じてくれてる感あって、これはこれでいいっすね!」

「大事な後輩のことを信じてやれずにどうするんだよ」

「……やばいっす。今のちょっとキュンってなりました」

「惚れんなよ」

「それはないっすねー」

「それは助かる」

「それはそれで複雑っす。……えへっ」


 照れ笑いをする小井戸を思わず可愛いと思ってしまい、盛大に頭を撫でてやる。すると「もっと丁寧にしてくださいよー」と抗議の声が上がったが、俺は構わず続行する。


「でも先輩、ちょっとボクのこと疑ったんじゃなかったでしたっけ」

「あれは俺じゃない。俺の中に眠るもう一人の僕がな」

「適当な言い訳しないでください! てかその設定、ボクの設定と若干被るのでやめてください!」

「え、小井戸のそれってそういう設定だったの? 中二病はそろそろ卒業しとけよ」

「先輩が言い出したんじゃないっすかー、もー! 違いますからねー!」


 おふざけがヒートアップして来たところで、甲斐田が「あのー、まだ話終わらない感じかなー?」と顔に青筋を立てて現れたので、俺たちは冷静になって報告をし合った。


 小井戸のスパイ活動によって得た証拠を含め、お互いに十分な証拠を揃えることができたことを確認し、明日の朝イチに松居先生のところへ行くことが決まった。


 それから約束通り、今度は俺が外に出て小井戸と甲斐田の二人の話し合いが始まった。先に帰ろうと思ったが、もう外も暗いし、小井戸を駅までは送ってやらないとなと思い待つことにした。


 二人の話し合いは十分も経たずして終わり、「お待たせしましたー」と小井戸が更衣室から出てきた。続いて甲斐田も出てくる。


 それから、小井戸を駅まで送るよと申し出たら、二つ返事で小井戸は「お願いしまーす!」と言ってきた。甲斐田は別で帰るらしい。


 駅までの帰り道、俺の隣を歩く小井戸に訊ねる。


「甲斐田にどこまで話したんだ?」

「あんまり詳しいことは話してないっすよ。ボクが勝手に話すのも悪いので。あの噂の内容は本当に嘘で、その証拠を集めてたーってことを軽くお話ししたのと、ちょっと協力をお願いしただけっす」

「協力? まだなんかあるのか?」

「はいっ。まあ明日になればわかるっすよ! それより、先輩に送ってもらえるなんて今日はラッキーデーっす!」

「夜咲や日向と一緒に帰るお誘いを断ってるから、もしこの様子を二人に見られたら俺は殺されるかもしれないな」

「……やばいっすねそれはー」

「想像したくないな。さ、早く帰ろうか」

「そんなこと言いながらも、ボクの歩くスピードに合わせてくれる先輩優しいっすね!」

「お前はその、俺のささやかな気遣いを全部説明するのやめろ! やりにくくなるだろ」

「へへっ。先輩、ごめんなさーい」


 謝りながらも全く反省の色が見えない小井戸に、俺は思わずため息をつく。


 だけど、彼女の楽しそうな様子を見ていると、特に怒りとかそう言ったものは湧いてこないのだった。




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第77話の蓮兎たちの噂の証拠のくだり、少し変更しました。

具体的には、小井戸の友人がその証拠を見たと言っていた云々を消しました。

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