第83話

 晴と更衣室でしばらく談笑をして時間を潰し、授業が終わる頃に俺たちは教室へと戻った。


 教室の前に到着したところで、ちょうど授業を終えた松居先生が教室から出てきて目が合う。俺たち二人を交互に見て、少し眉を顰める。


「お前らなぁ。自分達が今どういう状況にあるのか分かってんのか?」

「仕方なかったんすよ。今後のことで話し合ってて」

「はぁ。まあ、日向とだから許すけどさ」

「さすが松居先生。せこひなファンクラブ会員第一号」

「馬鹿。私は伝説の第零号として名誉会員になんだよ」

「伝説になるのってあんまりいいことばかりじゃないっすよ……」

「な、なんか重みがあるな」


 松居先生は困り顔を浮かべながら、「まあ元気出せよ」と励ましてくれる。松居先生は生徒想いの良い先生です。


「とりあえず、お前たちのサボりに関しては私の特権で目を瞑っといてやるよ。……精神面の負担も大きいだろうしな」

「先生には本当に感謝してます。例の噂の証拠、学校側も取得しているはずなのにまだ呼び出されてないのって、先生のおかげっすよね?」

「まあな。と言っても、あれだけじゃ証拠として弱いし、強行しようとする連中を止めること自体は簡単だったが。……だけど、もって数日だと思え。あいつらもこんな面倒な問題、長く付き合っていたくないだろうしな」

「それについては俺も同感っす」


 小井戸が今日中には例の証拠を押さえてくれるらしい。そうなれば、明日中にはこの問題は解決する。何とか間に合いそうだ。


 松居先生との会話が途切れたところで、晴が前に出て松居先生の目を見て言う。


「あ、あの。松居先生! あたしたちのために色々してくれて、ありがとうございますっ」


 身長の関係上仕方ないのだが、晴は自分より身長の高い松居先生を見上げる形となっており、それはつまり晴は上目遣いをしていることになり、


「ぐっ……んぎゃわいいい」


 晴大好き教師である松居先生は胸を押さえて、今まで聞いたことのないような声を漏らした。


 その後、恍惚とした表情をした松居先生は息を荒くしたまま、次の授業を行う教室へと移動して行った。大丈夫かなあの人。色々と。


 しかし、陽さんといい、松居先生といい、姉属性を持つ美彩といい、お姉さん方を虜にしていく晴はもしかすると年上キラーなのかしれない。


 じゃあ俺はどうなのかと言うと、弟や、妹……がいるわけではないし、別にそれにやられたわけじゃないか。


「えへへ。松居先生ってあたしたちのことを守ってくれて、優しくて素敵な先生だね」


 ——は? 俺の方が守ってあげられるんだが?


 という思考が湧いてくるあたり、俺もその特性にやられてるのかもしれない。


 会話を終えたところで教室に入ろうとすると、後ろから声をかけられた。


「あなたたちも戻ってきたのね」


 声に反応して振り返ると、そこにはさっきまで授業を受けていたはずの美彩が立っていた。


「えっ……美彩。どうして」

「どうしてって、あなたたちだけが抜け出していたら、変に勘繰られるからでしょう。あなたから連絡を受けてから、私も教室を抜け出して保健室で休んでいたのよ」

「あ、なるほど」


 彼女には授業をサボる旨を適当な理由を添えてメッセージで伝えていた。どうも彼女はそれを受けて、自分も授業をサボったらしい。


 咄嗟にそんな行動を起こせるなんて流石だなあと感心する。


 そんな彼女の表情は平静を取り繕っているが、内心怒っていることは俺には分かった。


 ここで追及を行うわけにもいかないので、後でしっぽり聞き出されるんだろうなあと思うと、少しだけ気が重くなってしまう。


 改めて教室に入ると、クラスメイトの視線が一斉に俺たちに集中した。それもそのはずだ。しかし、美彩を加えて三人になったことで、その視線の鋭さは緩くなっているような気がする。


 あの時点でチャイムは鳴ってしまっていたし、駆け込んだところで冷たい視線が突き刺さるのは予想できたのでサボってしまったのだが、美彩の機転によりダメージが軽くなったのは本当に助かった。


 やっぱり、俺は誰かに助けてもらってばかりだ。




 * * * * *




 授業の合間にスマフォを操作し、小井戸と連絡を取った。幸いにも、小井戸がプールの更衣室を去っていく直前の晴との出来事については何も触れて来ず、今日の放課後にまた落ち合おうという話だけをした。


 放課後すぐに会おうと思っていたが、向こうの要望で18時に集合ということになった。俺は別に問題ないので、その時間で承諾した。


 そして放課後。


 今日も今日とて、俺は掃除をするために居残りをし、他の当番の連中はそそくさと帰っていった。


 だけど、昨日と違う点としては小田と晴に加えて美彩も手伝ってくれており、四人での作業のためそこそこのペースで掃除が終わっていく。


 そしてあっという間に掃除は終わり、美彩と晴は荷物を持って俺のところに寄って来る。


「二人とも、手伝ってくれてありがとな」

「いいのよこれくらい。蓮兎くんのためだもの」

「助け合いってやつだよー」

「……そっか。でもありがとな。小田も昨日と引き続き手伝ってもらって」

「なに。瀬古氏の親友としてやるべきことはやったに過ぎん」

「小田……」

「瀬古氏……」

「ほんとにやめてそれ」

「いい加減にしなさい」

「は、はいっ」


 定番になりつつあるやり取りを終えて、美彩はため息をつく。


「はぁ。さ、帰りましょう蓮兎くん」

「あ、今日はちょっと残らないといけなくてさ。二人は先に帰ってくれないかな」

「えっ。どうして? もしかして小井戸ちゃんと会うの?」

「うん。今日中には証拠が手に入るみたいだから、それを確認しようかなって。昼は時間が足りなかったし」

「あ……そ、そっか」


 晴は昼のことを思い出したのか、赤くなった顔を逸らす。それを美彩は怪訝そうな顔で見ていた。


 美彩には、小井戸という協力者と会っていたところに晴がやって来て、女子と密会紛いなことをしていた件について弁解していたから、授業をサボる羽目になったという説明をしておいた。流石に晴とあんなことをしたとは正直に言えない。


「小井戸さんね。私もその子と会ってみたいから、一緒に残っていいかしら」

「えっ。でも結構遅くなりそうなんだけど」

「ふふ。大丈夫よ。そこまでは遅くならない……でしょ?」


 美彩の挑発的な言い方に、今度は晴が怪訝そうな表情を浮かべる。


 おそらく彼女は昨日のことを言っているのだと察し、焦った俺は「あ〜」と適当な相槌を打ってしまう。


「美彩が残るんならあたしも残るよ。別にいいよね」


 別にダメじゃないけど、晴もそうだったが、美彩と小井戸を会わせるのが少し億劫だ。彼女と接触することで、ひょんなことで、今まで保健室に行くと言って彼女に会っていたのがバレるんじゃないかと。


 別に小井戸とはそういう仲ではないけど二人にとっては不愉快かもしれないし、何より小井戸と会っていた理由を二人に知られたくない。


 二人の要望に首を縦に振るのを渋っていると、小田が突然「すまぬ」と謝罪した。


「今から瀬古氏に話がある故、二人きりにしていただけないだろうか」

「えっ。オタくん、本気で瀬古のこと……!?」

「だ、断じて違う! その……詳しいことは話せないが、我的には瀬古氏と二人の方が都合が良いのだ。我儘を言って申し訳ないが、頼む」

「……分かったわ」

「美彩、いいの?」

「えぇ。小田くんは信頼できるもの」

「んー、それもそうだね」

「夜咲氏……日向氏……!」


 二人の小田への信頼の厚さに、当の本人は少し感動した様子を見せている。


「それなら、私たちは先に帰るわね。蓮兎くんと三人でならともかく、二人で学校に残るのは少し厄介だもの」

「そうだね。また何か言ってくる人がいるかもしれないし。それじゃあ二人とも、また明日ね」

「本当ごめんな。また明日」

「その代わり、今度ちゃんと小井戸さんを紹介してちょうだい」

「あたしももう一回会ってお話したいなー」

「……小井戸に頼んでおくよ」

「ふふ。ありがとう。それじゃあ蓮兎くん、小田くん。また明日」


 二人が教室を出て行った後、俺はふぅとため息をつく。


「助かったよ小田。今あの二人を小井戸に会わせるのはなんとなく嫌だったんだ」

「ふふふ。感じ取っておったよ。……まあ、話があるっていうのは本当なのだがな」

「へ? あれってあの場から脱する出まかせじゃなかったのか?」

「うむ。瀬古氏、ちょっと我についてきてくれないか。見て欲しいものがあるのだ」

「あ、あぁ」


 先を歩く小田の後ろについて歩く。


 教室を出て、廊下を歩き、下駄箱で靴に履き替えて外に出ていく。


 どこまで行くんだろうと思っていると、グラウンド横にある茂みのところで小田は足を止めた。


「瀬古氏。少し体を隠しながら、あそこを見てくれないか」

「ん? 何が見えるんだよ……えっ」


 小田が指差した先を見ると、そこにはジャージ姿の小井戸がいた。手にはよくスポーツ選手が使っているようなウォーターボトルを持っている。彼女はそれをとある人のところまで運び、笑顔で受け渡した。


 彼女がいま笑顔を向けている相手は、俺たちの噂を垂れ流した犯人とされている荒平だった。

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