第82話

 小井戸とプールの更衣室で話し合いをしているところに、虚ろな目をした晴が現れた。


「は、晴!? どうしてここに……」

「レンの後を追ってきたの。それより、あたしの質問に答えてよレン。ここで何してるの? その子、誰?」

「えっと、彼女は俺たちの噂を否定するために協力してくれてる、例の協力者で、小井戸茉衣って言うんだ。晴、彼女と会ったことあるだろ?」

「え? ……あ、もしかしてこの前、あたしに告白してきた人からあたしを助けてくれた子?」

「そ、そうです! 自分、小井戸茉衣って言います!」

「小井戸ちゃんって言うんだね。あの時は本当にありがとね。……で、レンとはどういう関係なのかな」

「えっと、そう、ですね……先輩とは、先輩後輩でやらせてもらってます、はい」

「レンって部活に入ってないのに、どうやって小井戸ちゃんとそんな関係になったの?」

「そ、それは、ですね……えっとー……」


 小井戸は晴の質問に言葉を詰まらせる。俺たちの関係を素直に話すとなれば、晴と美彩との関係に俺がかなり悩んでいる事実を本人に話さないといけないことになる。


 だから小井戸は話せない。こんな時まで俺のことを考えてくれるなんて、最高の後輩すぎる。


「えっと、小井戸。話してもいいかな、あの時のこと」


 俺がそんな助け舟を出すと、小井戸は「えっ」と一瞬困惑した後、俺の意図を読んでくれて「いいっすよ」と答えてくれた。


 俺は晴に向かい合い、彼女の目を見て話す。


「前に小井戸もしつこい告白を受けていて、そこに居合わせた俺が助けたことがあったんだよ。その時のお礼をしたいってずっと言ってきてくれてて、そのお礼を今、協力という形でしてもらってるんだよ」

「……じゃあ、レンと小井戸ちゃんはそういう仲じゃないの?」

「ないない」

「ないっすないっす」

「……小井戸ちゃんのそれ、なんか煽られたみたいで、いやだ。中学時代、テニス部の友達の試合を見に行った時に、ミスした選手の相手チームがそんな感じのこと言ってたの思い出した」

「わーごめんなさい! ないですないです!」


 慌てて口調を正してもう一度同じことを言う小井戸に、晴はクスッと笑った。


「ごめんね小井戸ちゃん。冗談だよ」

「……へ?」

「最初は本気で勘違いしちゃってたけど、よくよく考えればそんなことないなって。レンがあたしと美彩以外の女の子のこと好きになるはずないもん。だから途中から気づいてたんだけど、やっぱりレンと二人きりだったのはちょっといやだったから、意地悪しちゃった。ごめんね」

「あ、はい。誤解が解けてよかったっす」


 晴は笑顔を浮かべているが、小井戸は完全に萎縮してしまっている。俺からも小井戸に謝りたい。すまん小井戸。


 一件落着したところで、晴が俺のところに寄ってくる。


「ねえねえ。協力してくれてるってことは、小井戸ちゃんはあたしたちの関係知ってるの?」

「あーうん。大体のことは話してるよ。ごめんな、勝手に話して」

「ううん。あたしは全然大丈夫だよ。……じゃあ、こうしてもいいよね」


 晴は俺に抱き着いてきて、頬を俺の体に擦り付けてくる。


「えへへ。学校でレンに甘えられるなんて、いいところだねここ」


 そんな晴の言動を前にして、小井戸は苦笑を浮かべる。イチャつくカップルを前にした時の気まずさは俺も思い知らされているので、小井戸に同情する。


 晴は何かを思いついたのか、「あっ」と言って顔を俺から少し離し、小井戸に向かって質問を投げかけた。


「ところで、小井戸ちゃんはどっちの味方なの?」

「え? 味方ってどういうことっすか?」

「あたしたちの関係を知った上でさ、あたしと美彩、どっちかの肩を持ったりするのかなって」

「あーそういうのはないっすよ。その点に関してはボクは中立っす。……強いて言うなら、先輩の味方っすかね」

「うぅ。やっぱり小井戸ちゃんは……」

「晴。多分、小井戸のたちの悪い冗談だから。あいつ、いつもあんな調子なんだよ」

「レンが小井戸ちゃんのことわかってる風に話すのもやだ!」

「ぷっふー。大変そうっすねせんぱーい」

「誰のせいだと思ってんだ」

「元を正せば先輩のせいっすよ」

「それもそうか」


 普段なら自虐モードに入るところだが、今日はそんなことしてる場合じゃないので封印。てか、晴の前であんな感じで話そうとは思えない。


「そういえば、晴はどうしてここに来たの? 夜咲は?」

「そんなの、教室から出ていく時のレンが心配だったから追いかけてきたんだよ。美彩はクラスメイトの女子に捕まっちゃった。ほら、あの3人」

「あー……なるほどね」

「レン、手ぇ大丈夫? 痛くなかった?」


 晴は悲しげな表情を浮かべ、さっき机に叩きつけた俺の手を握ってくれた。


「今は痛くないよ」

「ほんと?」

「本当」

「よかったぁ。えへへ。あたしたちのために怒ってくれてありがとねっ」


 お礼を言ってくれた晴は、また俺の体に密着してきた。抱きしめてくる力が強くなる。


「それで、二人はここで何を話してたの?」


 晴は俺にくっついたまま、そんな質問をしてきた。


「どうやったら噂を否定できるかっていう話を昨日して、今日はそのための証拠について話し合ってたんすよ」

「それって何の証拠なの?」

「え、えっと、それは……」

「俺から言うよ。晴……多分、この噂を流したのは荒平だ」

「えっ」

「あいつは、俺を陥れるためにこんなことをしたんだと思う。晴と美彩を巻き込んでごめんな」

「……違う、違うよ。だって、あの人がレンを恨む理由って、あの日のことが原因でしょ。だったら、あたしが悪いよ。あたしがレンと美沙を巻き込んだんだよ」

「違う。晴。落ち着いて話を聞いてくれ」

「……ねぇレン」


 晴が顔を上げて、俺の目を見てくる。彼女の目は、先ほどと同じ、いやそれ以上に深く暗闇に染まっており、そして濁ってしまっている。


「あたしの身体ね、男の人にとって価値があるんだって。クラスの男子がね、そう言ってたの。それに荒平先輩ってあたしに告白してきたし……あたしの身体を荒平先輩に捧げたらさ、もうこんな苦しい思いしなくなるのかな? レンと美彩が笑っていられるようになるのかな? ねえレン……教えてよ」

「……そんなこと、絶対にさせるわけないだろ」

「どうして? 本当に役に立つか分からない証拠を頑張って探すより、こっちの方が早いよ」

「どうしてって、それは……晴。晴の身体は、俺のものなんだろ?」

「……うん」

「なら、荒平が晴の身体を触っていいわけないだろ」

「……うん。そうだね。でもね、レン。ちゃんと定期的に教えてくれないと、あたしの身体が誰のものなのか分からなくなっちゃうんだよ。だから、ね。レン。教えて。あたしの身体に。あたしの身体は誰のものなのかって。今」

「……今?」

「うん。だって苦しいんだもん。あたし、早くこの苦しみから逃れたいよ。だから、早く解決する方法、取っちゃうかもしれないよ——んっ」


 もうそれ以上彼女の言葉を聞きたくなく、彼女の口を塞いだ。そして舌を侵入させ、それは更に深くなっていく。彼女が俺を抱きしめる力も増し、彼女の舌も俺を受け入れてくれる。


「あ、あわわわわ。さ、先に出ておきますね!」


 慌てて更衣室を出ていく小井戸には目もくれず、目の前の女の子をひたすら可愛がる。どこにも行くなという思いを込めて。


 こんな所でこんな事をしているのを見られたら、噂は完全に真実だと決定づけられてしまう。そんなことは分かっている。だけど、俺の体は止まらない。


 しばらく彼女とキスをし続け、顔を離すと、お互いの口から糸が引いていた。


 完全に顔を紅潮させ、息が乱れている彼女の目をまっすぐ見て言う。


「晴。しよう」

「……うん。えへへ。嬉しい。あたしの身体に証拠をつけてね。レンのだって。ちゃんと」


 彼女ははにかみ、ポケットからある物を取り出して、俺に手渡してきた。


「これ……」

「えへへ。いつでもレンを解消させてあげられるように持ち歩いてたの」

「……そっか」

「……あのね。ここにはベッドもないし、普段通りの体勢は取れないでしょ? ……あたしね、後ろからしてほしいの。だめ?」

「わかった。そうしよう」

「うん! あ、そうだ……見て、レン」


 晴は妖艶な表情を浮かべ、自身のスカートをたくし上げた。その中から黄色の下着が現れる。


「えへへ。この前レンに選んでもらったやつだよ。約束したもんね。これつけた格好でしようって」


 瞬間、俺の中に僅かにあった理性が飛び散った。


 いろいろ準備をした後、晴は更衣室のロッカーに手をつける。そして、俺は彼女の身体に抱きつく。


「レン……あたし、これ、好きかも」


 顔だけこちらに向けて、晴はそんなことを言ってくれる。


「レン……あたしの腕、掴んで。両腕」




 * * * * *




 事後処理を済ませた後、床に胡座をかいて座り込む俺の脚の上に晴が座り、体は俺に預けた姿勢でしばらく談笑をした。


「レン……あのね、その、さっきのはね」

「嘘だったんだろ?」

「え……分かってたの?」

「あぁ」

「どうして分かったの……? どうして分かってたのに、その、し、してくれたの?」

「したのは、なんていうか……理性が抑えられなかったんだよ、うん。晴みたいな可愛い子に迫られたらさ、我慢できないって」

「ほ、ほんと? えへへへへへ」

「本当だよ。あと、嘘だって分かった理由は……晴がそんなことするわけないとは思ったから、かな。……そもそも、今は俺以外の男にあんまり近づけないだろ」

「……うん。えへへ。レンはあたしのこと、何でもお見通しだね。……あの日以来、男の人がちょっと怖いんだよね。いざ何かあっても、全力で抵抗したら何とかなると思ってたのに、それが無理なんだって分かってからさ」

「……そっか」

「うん。だからさ、レン。あたしね、今度から告白は受けないようにするね。呼び出されても行かないようにする」

「晴が自分でそう決めたんなら、俺は何にも言わないよ」


 どうもこの学校の生徒の告白は面倒な奴が多いしな。俺含めて。


「だって、レンがいてくれるなら他の人にどう思われてもいいもん。それに、あたしの身体はレンのだから。もう誰にも触ってほしくない」

「……晴?」

「えへへ。あのね、レン。さっきの、ね。すごく気持ちよかったよ。なんか、レンにあたしの身体が支配されてる感じがして、気持ちがふわふわしてくるの。あたしの身体は完全にレンのものになったんだぁって。そしたらね、全身から幸せって感じの何かがね、ばばーって出てきたの」


 その時、チャイムの音が聞こえた。午後の授業の始まりの合図だ。


「あ。レ、レン。どうしよう。チャイム鳴っちゃった」

「……サボっちゃうか」

「え?」

「一コマくらいサボってもいいだろ。次の授業って松居先生だし。今はもう少し、晴とこうして話をしていたいかな」

「あ……う、うん! しよ! お話! えへへ。レーン。好き。大好きだよ。レン。レン。遠くに行っちゃダメだよ。あたしのこと置いてかないでね。あたしはレンのなんだからね。レン。レン。レン」


 甘えてくる晴の体を強く抱きしめながら思う。


 彼女は時折不安定になってしまう。今さっきまで、彼女の心は噂によるストレスによって壊れかけてしまっていた。


 だけど、こうして俺と体を重ねたことで、彼女は安定を取り戻した。


 俺のことが好きだからだろうか。それとも、あんな関係を築いてしまったからだろうか。


 俺はこれからどうすればいいんだろうか。正解が全く分からない。

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