第81話
昨日、美彩に見せてもらった動画や聞かせてもらった音声は、噂を否定するのに有力な証拠となりえるのだが、それが生きる状況にはまだなっていないというのが俺と美彩の共通見解だった。
そのため、今日朝イチに松居先生にそれらを提出するということは叶わなかった。
だけど、大きな一歩ではあった。あとは条件させ揃えば、俺たちの無実は証明されるはず。そっちの方は小田や小井戸が頑張ってくれている。早速、昼の小井戸との打ち合わせの際に話してみる予定だ。
登校してきて、下駄箱で上履きに履き替える。
それにしても、今日も今日とて多くの視線が突き刺さる。というより、昨日より多いかもしれないし、その視線の鋭さも増している気がする。
教室に入ると、物凄い勢いで守屋が迫ってきた。その手にはスマフォがある。
「おい瀬古! お前、これを見てもまだ噂を否定すんのかよ!」
「は?」
守屋が見ろとばかりにスマフォを押し付けてくるので、手に取って見てみると、その画面には俺と晴が雑貨屋で商品を眺めている写真が映っていた。具体的には、晴が商品を両手で持っており、それに対して俺が何かを言っている。
たしかに写っている二人の距離は近く、恋人同士にも見えなくもない。なにより、晴の笑顔がとても眩しい。
この格好と店、もしかして……この前、晴と横浜にデートに行った日のやつか?
だとしたら、手を繋いでいないタイミングの写真だったのは助かった。だけどこれを証拠として見せてくるってことは、他にも何かあるのだろうか。
まじまじと写真を見続けていると、守屋にスマフォをぶん取られてしまった。
「いつまで見てんだよ! ほら、早く白状しろよ。もうこの証拠は全校に流れてんだぞ」
「それが噂の証拠なのか」
「あぁそうだよ。俺は部活の先輩にもらったんだ」
「他にもあんの?」
「あ? あぁ何枚かあるぞ」
「ふーん」
「何だよその態度は!」
正直、あの写真は証拠としては弱いと思った。他にもあると守屋は言うが、あの写真をまず見せてきたと言うことは、あれが一番証拠として強いと守屋は踏んだのだろう。だとしたら、他の写真もそこまで脅威ではない。
「とにかく、噂は嘘だから」
「は、はぁ!? まだ認めねえのかよお前!」
「認めるもクソもねえだろ。ほら、そろそろチャイム鳴るぞ。席に座らせろよ」
「おい! 瀬古!」
守屋の声を無視して、俺は自分の席に座る。美彩と晴を一瞥すると、彼女らはギリギリまで一緒にいてお互いを防衛していた。
昨日、教室内では多少は軟化したと思えたのだが、息を吹き返したかのように、守屋や例の女子三人組を始めとした一部のクラスメイトはかなり攻撃的になってしまった。
彼らに色々と言われるが、俺たちは一貫として三人で居続けた。今日も昼ご飯は三人で一緒に食べる。
「弁当を開けて真っ茶色だったらテンション上がるよな」
「それは蓮兎くんだけよ」
「えっ。あたしも喜んじゃうかも。お肉いっぱいだぁって」
「育ち盛りが求めているのは栄養バランスより肉なんだよ」
「いいこと言うじゃん!」
「はぁ……あなたたちのお母様方は泣いているわよ」
「うぅ……それはやだぁ。ごめんねお母さん。今日帰ったら、いつもお弁当作ってくれてありがとうって言おうかなぁ」
「俺が急にそんなことを言ったらキモがられそうだ」
「そうかしら。蓮兎くんのお母様なら、喜んでくださるかもしれないわよ」
「想像できないなぁ」
「ふふ。私の見立てでは、あなたと一緒で、お母様も少し素直になれない方なのよ。特にあなたの前ではね」
「ツンデレだ!」
「いや俺はツンデレじゃないし、親のツンデレとか誰も求めてないから」
そんなたわいもない話を繰り広げる。いつもの日常と変わらない、平和な時間を過ごせている気がする。
だけど、そこに聞きたくもないノイズが入ってくる。
「なんでこんな状況でも三人で食べられるのかな」
「ぶっちゃけさ、3人とも頭おかしいんじゃね?」
「普通じゃないよねー」
「夜咲さんって、なんでまだ日向さんと仲良くしてんのかな」
「まだ瀬古は彼氏だから、百歩譲って分かるけどね。私だったら顔も見たくないわ」
「夜咲さんってもしかしてそういう趣味があるんじゃない? ほら、他人に自分の恋人を取られて興奮するやつ」
「何それ、ありえない。めっちゃ引くわぁ」
「日向さんって実は結構可愛いよな」
「は? 俺は前から気づいてたから。てか胸でけえよな」
「友達の瀬古とやったんならさ、頼み込めば俺たちもワンチャンあるんじゃね?」
そんな心無い言葉が、俺の耳に入ってくる。ともなれば、俺の近くにいる二人にも聞こえているわけで。さっきまでそこにあった2つの笑顔は、暗く沈んでしまっていた。
なおも止まらないクラスメイトの陰口に、俺は我慢ならず、遂に、
——バンッ!!
机に拳を叩き付けていた。
教室中に轟音が鳴り響き、クラスメイト全員の視線が一点に集中する。その一点である俺は立ち上がり、言い返してやろうと口を開いたその時、
「瀬古氏! やめるのだ!」
「瀬古! 気持ちは分かるが、そこまでにしとけ」
駆け寄ってきた小田と甲斐田によって止められてしまった。
「っ…………」
目の前にいる奴らにぶつけるはずだった言葉の行方に困り、俺は口を開けたり閉じたりを数回繰り返したあと、息を吐いて口を閉じた。今になって、さっき机を叩いた拳が痛み始めた。
「瀬古氏。少し頭を冷やそう」
「二人のことは俺たちが見守ってるから、外の空気でも吸ってこい」
二人にそう言われて、俺は首を縦に振った。
食べかけの弁当箱を見つめる。母さんに心の中で謝りながら、それを片付けて鞄にしまった。
「ごめん。ちょっと行ってくるな。ちょうどいい時間だし」
「蓮兎くん……えぇ、わかったわ。私たちは大丈夫よ」
「瀬古……」
「……ごめん」
俺が教室を飛び出すと、後ろから小田と甲斐田に詰め寄っていくクラスメイトの声が聞こえてきた。
俺があそこで我慢できたら。あんなことをしなければ。小田と甲斐田にまで迷惑をかけることもなかったのに。
俺はまた間違ったのだろうか。頭が痛い。
だけど、今はやれることやるしかない。プールへ向かおう。
* * * * *
プールの更衣室に到着すると、小井戸は既に来ていた。
「どうもー先輩。お疲れ様っす。顔色悪いっすね」
「お疲れなもんでな。悪いけど、ちょっと今日は巻きで話すぞ」
「あー。お二人を教室に置いてきてますからね」
「……やっぱり小井戸にはお見通しだな」
「先輩のことっすからね!」
元気よくそう言う小井戸を見て、俺は微笑む。少しだけ元気が出てきた。
「あ、そうだ。まずはボクからご報告っす。例の噂の証拠っすけど、今日中には掴めそうです」
「え、マジ? それはすげえ助かるんだけど、思った以上に早かったな」
「ふふん。ボクのこと褒めてくれてもいいっすよー」
「いや本当に、小井戸様のおかげで私の今後の人生が救われました」
「なんか嫌な褒められ方っす!
「よくやった」
「今度は偉そうっすね! 先輩だからって無条件で偉いってわけじゃないんすよ!」
「ありがとな、小井戸。本当に助かったよ」
「うっ……急に直球投げてくるのはやめてほしいです。って、今日はこんなことしてる場合じゃないんじゃないでしたっけ」
「まったくだ」
「先輩から始めたんじゃないっすか! ボクも乗っかっちゃいましたけど!」
いかんいかん。小井戸と話してると、自然といつもの感じになってしまう。
だけどさっきまで沈んでいた気分がだいぶ回復した気がする。おそらくそれを分かっていて、小井戸もあえて乗っかってくれたのだろう。本当に、小井戸には感謝してもしきれない。
「あ、そうだ。俺も小井戸に報告することがあったんだった。実はな——」
「レン。ここで何をしてるの?」
「え?」
「ん?」
聞き慣れた声が聞こえた。そして、俺を「レン」と呼ぶのは一人しかいない。
更衣室の扉の方を振り向くと、そこには瞳を暗くした晴が立っていた。
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