第85話

 昨日は小井戸を駅まで送った後、家までの帰り道で美彩と晴の二人に証拠が全て揃ったことを伝える旨のメッセージを送った。


 逆に小井戸からはメッセージが届いた。家に着いたという報告と、「ごめんなさい」と謎の謝罪を受け取った。駅まで送ることはそこまで労力がかかることではないのに。


 そして今日。


 ついに俺はこの噂に終止符を打つために登校する。


 ……なんか昨日より視線が痛い気がする。特に青いネクタイをした生徒からの視線が突き刺さっており、その目には明らかな殺意が篭っている。


 どうして今日になってパワーアップしたんだ。だけど、今日でこの視線とはおさらばだし、あまり気にする必要もないか。


 教室に入ると、その瞬間、俺のところに詰め寄ってきた守屋に胸ぐらを掴まれた。守屋の目は完全に血走っている。昨日の比じゃない。さっき見た一年生たちの目に似ている。


「苦しいんだけど」

「うるせえ! てめえ、よくも、よくも俺たちの天使に手を出したな!」

「は?」


 天使ってどこかで聞いたな……あ、そうだ。昨日、甲斐田が彼女のことをそう呼んでいたな。


「守屋、一旦手を離してくれ。胸ぐらは掴まれてるけど、状況が掴めてない」

「つまんねえこと言ってんじゃねえよ! クソッ……これを見ろよ! 昨夜うちの生徒がSNSに投稿されたやつだ!」


 なんかデジャヴだなあと思いながら、守屋が持っているスマフォの画面を覗く。


 そこには、「うちの学校の噂の人、噂とは別の子とも仲良くしてるみたい」という文を添えて、俺と小井戸が一緒に歩いている姿が小さく確認できる写真が映し出されていた。それも、俺と小井戸の右手と左手が被っており、まるで手を繋いでいるように見える。


 もちろん、俺は彼女と手を繋いで一緒に歩いたことなんてないので、ただ重なっているのがそう見えるだけだ。


 この背景、周りの暗さ的にも昨日の下校の時の写真だろう。


「瀬古……お前、俺への当てつけか? 俺が好きだった小井戸のことを手籠にして、俺に対して復讐がしたかったのか!? そんなつまんねえことに、あの子を巻き込んだってのか!?」


 激昂する守屋だが、正直そんなこと一度も企んだことないし、守屋が告白して振られたっていう相手が小井戸だったのも今初めて知った。


 そのため、俺と守屋との間で明らかな温度差があった。


「守屋かわいそー。瀬古鬼畜すぎるだろ」

「てか、ここまでくるとやり手すぎてウケる」

「一番可哀想なのは夜咲さんだろ。また裏切られたんだぞ」


 他のクラスメイトが口々とそんなことを言っているのが聞こえた。


 美彩の話題が出たので、美彩の方を振り向いた。瞬間、背筋が凍った。美彩は光を失った目で一度も瞬きもせず、俺のことをずっと見つめていた。


 美彩でこれなら……と今度は晴の方を向くと、こちらの目も暗闇で染まっていた。


 守屋にいくら詰められようとも余裕だったのに、彼女ら二人の表情を見てから冷や汗が止まらない。


 早く説明しないと、と思ったその時、教室に松居先生が入ってきた。


「おい瀬古。こっちに来い」


 かなり端的な指示だったが、むしろ助かった。俺は「はいっ」と元気よく返事をした。


「松居先生。私も行きます」

「あたしも」


 二人がそんな表明をしたため、クラスメイトがざわつき始める。


「やべえ。くそ修羅場じゃん」

「立ち会いてえ」

「いや死人出るぞこれ」


 死人って、それ多分俺だよね。


 とにかく今は松居先生についていくことにした。俺が教室を出ると、二人も宣言通り教室を出た。そして、俺を挟むように二人は位置取る。


「ねえ蓮兎くん。小井戸さんとは協力関係にあると聞いていたのだけれど、あの写真はどういうことかしら」

「違うよね。小井戸ちゃんとはそういう仲じゃないよね。レンがあたしたち以外選ぶわけないもんね。ね、レン」


 歩きながら両側からそんな詰問を受ける。答えようとすると、松居先生に「他の教室はホームルーム始まってるから、お前ら静かに歩け」と言われてしまい、俺は生徒指導室に着くまで非常に気まずい時間を過ごした。


 生徒指導室に全員が入り、扉を閉めた瞬間、松居先生が机を叩いた。そして俺を睨んでくる。


「どういうことだ瀬古。私はお前を信じていたんだけどな」

「誤解ですよ先生」

「誤解も何もないだろ。今回はただ距離が近いだけっていう言い分は通らないぞ。普段なら、こんな手を繋いでいる写真1枚でギャーギャー言わないが、お前の置かれている立場は分かってるだろ?」

「それはもう重々承知してますよ」

「なら、この写真一枚でお前のクズっぷりが証明されてしまうってことも分かってるんだろうな」


 自分は無実だと胸を張って言えるのだが、松居先生の凄みに怯んでうまく言葉が出てこない。


「蓮兎くん」

「レン」


 両隣からも圧を感じる。


 無実を証明するためにはその証拠がいる。それはここ数日で思い知らされたことだ。しかし、この容疑に関してもそんな都合のいい証拠なんてない。俺が何かを言ったところで、相手が俺の言い分を認めず突き返してきたら終わりだ。


 証拠は全て揃ったと思ったのに、まさかこんなところで終わってしまうとはなと絶望していたその時、ドアがノックされた。そして、返答も待たずしてドアは開かれた。


「し、失礼しまぁす……」


 怯えた様子で入ってきたのは、まさに疑惑の渦中にある小井戸だった。


「小井戸」

「うぅ。せんぱぁい。この空間めっちゃ怖いです」

「安心しろ。俺もめっちゃビビってるぞ」

「安心できませんよそれぇ」


 俺より怯えた様子の小井戸が現れて、俺は少し落ち着いてきた。去年のウォータースライダーの時と同じだな。


「先生。小井戸も呼んだんですか?」

「いや。私は呼んでいないが」

「え?」

「あ、あの、一応、ボクの意思で来ました。たぶん、先輩困ってるだろうなーって思って、早めに。例の噂の証拠を提出しないといけないので……」

「証拠だと?」


 「証拠」という言葉に松居先生が反応する。これでそっちの話に移るのかと思ったのだが、


「ちょっと待ちなさい。私は今、蓮兎くんと小井戸さんの関係について問いただしたいのだけれど」

「そ、そうだよ。まずはそっちが先だよ!」


美彩と晴の心情としてはそれどころではなかった。


 そんな二人に対して、さっきまで怯えた様子を見せていた小井戸が呆れたような表情を浮かべる。


「え? もしかして先輩方、そんな理由でここに来てたんすか? ……ふーん」


 そんな小井戸の様子に、二人は少しムッとした表情をする。


 このままではここで争いが起きてしまうと考えた俺は、仲裁するためにも、話を進めるように小井戸に声をかける。


「小井戸。証拠をみんなに見せてやってくれないか」

「あ、はい。いいっすよー。ちょっと待ってくださいね」


 先ほどまでビクビクしていた彼女はどこかに行ったみたいで、小井戸は堂々とした様子でスマフォを操作し、とある画像を表示した。


「まずこれなんすけど、うちのサッカー部の一部の部員が入っているグループのトークのスクショです。ここには、先日の交流会を企画している過程が映っています」

「交流会だと? なんだそれは」

「あ、先生はまだ知らなかったんすね。ゴールデンウィークに入る前日、サッカー部の荒平先輩が企画した、日向先輩を狙った交流会が開催されたんすよ」

「は? 日向を狙った、だと?」

「あ、あれ。先生の顔が修羅に……と、とにかく続けるっす。まあその交流会で、荒平先輩は日向先輩を強引に連れ出して、日向先輩に告白したんすよ。もちろん日向先輩は断ったので、激怒した荒平先輩によって暴力を振るわれようとしたその時、先輩がやってきて日向先輩は助かったってことがあったんです」

「……本当なのか?」

「小井戸の言った通りっすね」

「……彼女の話したことは全て事実です」

「……本当です」

「っ」


 俺たち三人が小井戸の話を認めたことで、松居先生もそれが事実なのだと認め、唇を噛んで怒りを顕にする。


「どうして、そのことを学校側に話してくれなかったんだ」

「……証拠がなかったので」

「……そうか。この件は、我々学校側にも非があったのだな。すまない」


 頭を下げる松居先生に、俺たちは慌てる。大人の謝罪ほど焦るものはない。


「とまあ、そんなことがあったもんで、荒平先輩は先輩に恨みを持ったわけです。その仕返しとして思いついたのが」

「例の噂を流すことだった、ということか」

「そうっすね。それについても証拠があるっすよ。これです」


 そう言って小井戸が見せてくれたのは、誰かと荒平が話しているトークの履歴のスクショだった。相手側が荒平で、「実はこんな話を聞いたんだけどな」と例の噂を流している証拠だった。そしてそれが何十枚もあった。


「ふむ。たしかにこの数は常軌を逸しているが、こいつが噂を作り出した張本人だという証拠としては弱いんじゃないか?」

「そうっすね。だから、一応こんなものも用意しました」


 次に見せてもらったトーク履歴には、またもや荒平と誰かのトーク履歴を写したスクショだった。ただ先程のものとは異なり、荒平の発言の情熱のベクトルが違う。これは、完全に相手を口説こうとしている内容だ。


 しかし、昨日の日付の会話内容は穏やかではなかった。今まで荒平からのアプローチをやんわりと躱してきた話し相手だが、ついに荒平の好意を拒絶する内容のメッセージを送り、それを皮切りに荒平の言葉はかなり語気が強くなっているし、暴力的な内容になっている。まるで、晴が告白を断った時のようだ。


「このメッセージを受けているの、ボクなんですよ。この執着心と攻撃的な感じ、立派な証拠にならないっすか?」

「たしかに。今まで我々が認知していた荒平の人柄とはかけ離れていて、奴の本性を主張する証拠としては十分だな」

「それはよかったです。と、まあこんな感じで荒平先輩から恐ろしいほどのアプローチを受けまして、サッカー部の甲斐田さんに相談したところ、日向先輩も同じ被害に遭われたけど先輩が助け出したというお話をお聞きしまして。ですので、ボクも助けてもらいたいと思い、先輩に相談を持ちかけてたんすよ」

「あれ? 二人の出会いは別の人からの告白って言ってなかった?」

「はい。それを機に先輩とお話できるようになったのは確かで、先輩と少しお話をしてみて本当に信用できる方だなと思って、やっと相談を持ちかけたんです。ね、先輩」


 いま小井戸が言ったことの半分は本当だが、半分は嘘だった。俺はそんな相談を受けたことがない。だけど、それは俺の事情を考えてくれての嘘だと分かったので、俺は首を縦に振って肯定した。


「その相談を蓮兎くんに受けてもらっている間に、あなたたちはそんなにも親しくなったということね」

「……まだボクたちの関係を疑ってるんすか? はぁ。じゃあそっちの証拠も見せるっすね」


 今度は写真を何枚か見せてくれた。それは守屋が見せてきた写真にとても類似しており、おそらく時系列的に例の写真の前後だと思われる。


「ほら、これ。連続で撮られた写真なんすけど、全然手を繋いでいるようには見えないっすよね。あの一枚だけ、あの一瞬だけ、ボクと先輩が手を繋いだんだとこれを見ても思いますか?」

「……そう、ね。思わないわ。いえ、思えないわ」

「うん……もしかしてって思ったけど、たまたま手が重なってそう見えただけだったんだね」


 なんとか誤解が解けたみたいで安心していると、小井戸は大きくため息をついた。


「誤解が解けたみたいでよかったです。なんなら、日向先輩が最近特に先輩と親しげだったのも、荒平先輩に襲われかけてから男性が怖くなって、身近にいた頼れる人が先輩だったっていう路線で行きましょう」

「なるほど。確かにそれなら、噂を否定する良い材料になるな」

「そうっす。それじゃ、次の証拠として夜咲先輩お願いします」

「あなた、私の持っている証拠も知っているのね」

「当たり前じゃないっすか。ボクは先輩の協力者っすよ?」

「そう、だったわね……」


 美彩は曇った表情で自身のスマフォを操作して例の動画を流し始めた。それはかなり遠くから撮影されたものだが、あの日、あの橋の上で俺と晴と荒平が揉めているシーンを撮ったものだった。


「……かなり小さいが、辛うじてお前たちだと分かるな。そして何か揉めてることもなんとなく分かる」

「これと、あとは音声ファイルがあります。流しますね」


 美彩が次に再生した音声ファイルは、交流会の会場となったカラオケでの一部始終を録音したものだった。荒平がやって来て俺たちに絡み始めたあたりからの音声が、しっかりと録音できていた。


 それを聞いて、松居先生は腕を組んで頷く。


「うん。これだけの証拠が揃っていたら、あの頭の固い連中も納得するだろう」

「これらに加えて、先輩があの日、救急車で運ばれた経緯も立派な証拠になると思います」

「……そうか。瀬古が入院したのは、その日からだったな。そんなことがあったんだな……よし。後は私に任せろ。絶対にお前たちの容疑を晴らしてくるからな」

「は、はい。お願いします先生」

「ちょっとお前たちの携帯を借りることになるけど、いいか?」

「私は別に構いませんが……」

「あっ。ボクはちょっと御免被りたいと言いますか、夜咲先輩の携帯に全ての証拠を送るので、それでいいっすか?」

「私はそれでもいいが、夜咲もそれでいいか?」

「それでしたら、私もまとめてクラウドに上げますので、その共有URLを松居先生にお教えします」

「なんでもいいからとっと渡してくれ」


 そんなわけで、美彩と小井戸はスマフォを操作して証拠となるファイルのアップロードに勤しみ始めた。


 その間、松居先生は俺のそばに寄って話しかけてきた。


「さっきは悪かったな瀬古。お前のことを疑って、怒鳴ったりなんかして」

「まあ先生の気持ちも理解できるんで、気にしなくていいっすよ。それに先生にはかなり助けていただいていると思ってるんで」

「……そうか。そう言ってもらえると助かるよ。しかし、小井戸って一年生は凄いな。あれだけの証拠を集めてきて、疑いの目を向けてくる私たちに堂々とそれらを突き付けてきた」

「そうっすねぇ。彼女は少し変わってるなって思っていましたが、あそこまでとは思わなかったすよ」

「それに、なんかお前と口調が似てるよな」

「そうでしょうか」

「急に口調を正すな。お前の口調が丁寧だとなんか鳥肌が立つ」

「それはひどくないっすかね」


 でもまあ、確かに似ているなぁと思う。俺も自分と近い年上に対してはこんな感じの口調になるし。


 でも、あの日以前に彼女の前でこの口調で話しているところを見せたことはなかったと思うので、あまり俺のとは関係ないんじゃないかと思う。俺の口調はトルパニのキャラの影響だし。


 松居先生とそんな話をしていると、晴が俺のブレザーの裾を掴んで引っ張りながら聞いてきた。


「ねぇレン。小井戸ちゃんって、何者なの? あんなに証拠集めることができて……」

「何者……なんだろうなぁ。俺もよく分からないんだよ」

「そうなんだ、レンも知らないんだ……えへへ」


 彼女について何も情報を提供することができなかったのに、晴はどこか嬉しそうだった。


 しばらくして二人のファイルのアップロードが終わり、それらを松居先生が引っ提げて学校側へ直談判しに行ってくれた。もちろん、俺たちも当事者として呼ばれたりもしたが、特に提出した証拠と矛盾することもなく発言することができた。


 こうして俺たちの戦いは終わった。




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第77話の蓮兎たちの噂の証拠のくだり、少し変更しました。

具体的には、小井戸の友人がその証拠を見たと言っていた云々を消しました。

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