第75話
俺たちは松居先生の後ろについて廊下を歩き、授業終わりの教室へと戻った。
入る前まで騒がしかった教室が、俺たちの姿が現れた瞬間静かになった。クラスメイト全員の視線が俺たちに注がれる。美彩はどこ吹く風といった様子だが、晴は体をビクッとさせている。
松居先生は俺たちから離れ、教壇の方に進み、教室中に届くよう少し大きめの声で話す。
「えーっと、あれだ。今、変な噂が流れているみたいだが、本人たちは否定している。というわけで、噂はデマ。少なくともうちのクラスではこれ以上騒ぐなよ」
それだけ言うと、松居先生は教壇を降りようとする。
松居先生は何も具体的なことを話さなかった。そのためクラスメイトは納得がいかず、松居先生に詰め寄っていく。
「ち、ちょっと待ってくださいよ先生。ちゃんと説明してください」
「そんな簡単に納得できないですよ!」
「本人たちが嘘をついてる可能性もあるんじゃないですか?」
そんな質問が飛び交う中、松居先生は大きくため息を吐いて答える。
「これ以上騒ぐなって言ってるだろ。それと、今回に関しては被害者の立場にある夜咲自身も否定してるんだ。つまり被害者なんていないんだから、お前らがどうこう言う筋合いはない。ほら、次の授業の準備してろ」
しっしっと集まる生徒たちを手で払うようにして、松居先生は教室を出て行った。皆、まだ納得のいっていない顔をしながら自分達の席へ戻っていく。
それから俺たちは休憩時間が終わるギリギリまで、三人で一緒にいた。
周囲から俺たちの一挙手一投足を観察する視線を感じたが、なるべく気にしないよう普段通りを意識した。
そして次の授業を終えると、すぐに美彩と晴は俺の席へと集まろうとする。これは先ほど話し合った通りだ。だが、それを邪魔しようとする者がいた。
自分の席から立ち上がった美彩のもとへ、何人かの女子が集まる。彼女らはたしか、先日「夜咲さんの話を聞きたい」と言って美彩を連れ出して行ったメンバーだ。
「夜咲さん。どうして瀬古のところへ行こうとしてるの」
「愚問ね。彼女が彼氏のところへ行くのに、どうして疑問が生じるのかしら」
「だって! あいつ、夜咲さんに隠れて浮気してたんだよ?」
「先ほど松居先生が仰ったように、そのような事実はないの。だから、あなたが私の行動を止めようとする道理もないの。もういいかしら」
「あっ……」
美彩は心配してくるクラスメイトを言い負かし、彼女らの横を通って俺のところまで来た。
美彩は人に何を言われても自分を曲げず、言い返すことができる。それは俺が彼女に惹かれた魅力の一つだった。
一方で、
「日向さん。もしかして瀬古のところに行こうとしてんの?」
「噂は嘘なのかもしれないけどさ、今はそういうの控えておいた方がいいんじゃないの? 私さぁ、前から思ってたんだよね。日向さんと瀬古ってなんか距離近いなって」
「それウチも思ってた。やっぱりこの二人、怪しいんじゃね?」
「ねえどうなの日向さん。私たち、本人の口から聞きたいなぁ」
「っ…………」
晴は席から立つこともできず、彼女の席を囲んでいるクラスメイトに詰められていた。
「てか親友の彼氏盗るとかやばくね?」
「やり方もエグいよね。身体使って瀬古を誘惑したんでしょ?」
「まぁ日向さん、胸は大きいもんね。やっぱり男は巨乳好きか」
「それは私に刺さるからやめて欲しい」
「あ、ごめん」
どうやら肉体関係を持っていることになっているらしい。いや、実際持ってるんだけど。一応、今はそれを否定するスタンスを取らないといけない。
晴は顔を伏せたまま、ただただその小さな体を震わせていた。もう彼女から立ち上がることはできないだろうと察し、助けに行こうと思ったその時、
「晴。こっちにおいで」
美彩が晴に声をかけた。
すると晴はぱっと顔を上げ、「う、うん!」と元気よく返事をした。そして周りにいるクラスメイトに「ご、ごめんね」と軽く謝罪を入れて彼女らの横をすり抜けてこちらにやって来る。
「大丈夫?」
「う、うん。えへへ。ありがと、美彩」
「お礼なんていらないわ。親友が困っていたから助けただけだもの」
「うぅ……美彩ぁ」
晴は今にも泣き出しそうな表情で、美彩に抱き着く。美彩はそれを受け止め、晴の頭を撫でてやる。前まではよく見ていた光景だ。
こんな仲睦まじい二人の姿を見せられて、クラスメイトも「噂って本当にデマなのでは?」と思い始めているのではないだろうか。仮に噂が本当であれば、二人はいがみ合っているはずなのだから。
しかし、相変わらずこちらに敵意を向けてくる者が消滅することはなかった。
特に守屋や美彩に絡んでいた女子達の視線は、常に俺たちを見張っていた。
次の休憩時間、二人がこちらにやって来る前に守屋がやってきた。その目は完全に俺を見下している。
「おい瀬古。お前、よくあんなことしていて俺の相談なんか乗れたよな」
「……しつこく頼み込んできたのは守屋だろ」
「うるせえ。お前のアドバイスのせいで、俺はあの子に振られたんだぞ」
振られた? こいつ、もう例のマネージャーに告白したのか? 告白は当分できないとか言ってなかったか?
というより、これは完全に守屋の八つ当たりだ。自分が失敗した理由を俺にしたいだけだ。
「それでもう諦めたのか? 俺は何回も挑めって助言したはずだけど」
「……あんな思い、何度もできるかっての。そこで俺は気づいたんだよ。瀬古。やっぱりお前は異常だ。あんなことを何度も何度も繰り返せて。それも皆んなの前でな。だから、浮気なんてこともできるんだよな」
「それは論理の飛躍が過ぎないか」
「うるせえよ。お前はどこか感情が欠落してんだよ。だから何度も自分が傷つく行為をできるし、夜咲さんが傷つくようなことも平気でできんだよ」
「感情がないと恋もできねえだろ」
「だからうるせえって言ってんだよ! 犯罪者がいちいち口答えしてんじゃねえよ!」
なんかもう、話しても無駄だなと思えてきた。こいつらは結局、自分の望む通りの情報しか聞き入れる気がないのだ。いくらこちらが正論をかざそうとも、守屋の考えが変わることもないだろう。
前は俺のことを「師匠」なんて言って慕ってくれたのに。こうも手のひら返しがすごいと笑いが出てきそうになる。笑えるわけもないが。
「守屋。そこまでにしとけ」
どうしたものかと考えていたところ、俺たちの間に割り込んできたのは甲斐田だった。
「甲斐田。だけどよ」
「噂が本当なら許し難いことだけどさ、俺たちはまだ例の証拠も見れていないわけだし。今は三人の言うことを信じるしかないだろ」
「……ちっ。俺は絶対に信じねえからな」
そんな捨て台詞を吐いて、守屋は自分の席へと戻って行った。
「どういうつもりだ甲斐田」
「助けてやったのに、その言い方はないだろ。まあ仕方ないか。あれだけのことをしたんだし」
「贖罪のつもり?」
「……どうだろうね。それじゃ、俺がいたら二人も近寄れないだろうし、俺も自分の席に戻るよ」
甲斐田は多く語ることもなく、すんなりと自分の席へと戻って行った。
そして入れ替わりで美彩と晴が近くに寄ってくる。
「蓮兎くん、大丈夫?」
「ごめんね。あたしが震えてたせいで、あたしに付き添ってくれた美彩も助けに行けなくて」
「いや、全然大丈夫だよ。むしろ離れてくれていて良かったよ」
この数時間で、晴は完全に衰弱してしまっている。美彩も表には出していないけど、その内側に抱えているストレスは尋常じゃないだろう。
あるのかも分からない一発逆転の無実の証拠。それを手に入れるまでに、二人の精神が保つだろうか。
……やっぱり、腹を括るしかないのかな。
ズボンのポケットの中でスマフォが震えた。
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