第76話
昼休憩もやはり普段通りに振る舞うため、俺たちは一緒に弁当を食べる。
一部のクラスメイトからの視線が痛いが、それを気にしないためにも会話が止まらないように話題を提供し続ける。
しかし、いつも明るくお喋りをしている晴がこんなにも静かだと、盛り上がろうにも盛り上がらない。美彩も頑張って明るい話題を提供しているが、晴の反応は相槌止まりで、そこから話が展開されない。
結局、空元気をよそおった食事時間を過ごすだけで終わった。
食事を終えた俺は弁当を片付けて立ち上がり、
「ちょっと協力者に会ってくるよ」
と言った。予想していたが、俺の発言を聞いて美彩は眉をしかめる。
「誰それ。私たちはついて行かなくていいのかしら」
「……あぁ。俺だけで来てくれっていう指示なんだよ」
「そのような指示を出す人を信じてもいいのかしら」
「そこは心配しなくてもいいよ。俺の知ってる人だからさ。それと、いずれ二人にも紹介できるよう説得はしておくよ」
「……そう。分かったわ」
なんとか納得してくれたみたいなので、晴のことは美彩に任せて、俺は協力者のもとへ向かおうと思ったその時、
「ねえ瀬古」
晴が声をかけてきた。思わずそちらを振り向くと、彼女は俺のことをまっすぐ見ていた。そんな彼女の瞳には不安が宿っていた。
「あたしたち三人、一緒にいた方がいいんだよね」
一瞬、胸が小さく跳ねた。彼女に心を見透かされた気がしたからだ。
俺は動揺を隠しながら答える。
「……あぁ、そうだ。だけどごめんな。今回ばかりは俺一人で行ってくるよ」
「……うん。わかった。あたしたちここで待ってるから。戻ってきてね」
「午後も授業があるんだから、戻ってくるに決まってるだろ」
「……うん、そうだよね。変なこと言っちゃったね」
自分の発言がおかしかったと言う彼女だが、依然としてその目は俺に「行かないで」と訴えてくる。
「……蓮兎くん。あなた……」
今の晴とのやり取りから何かに勘づいたのか、美彩からも同じような目を向けられる。
俺はそんな彼女たちの想いを振り払い、廊下へと出て行った。
そして廊下を歩きながらスマフォを開く。そこには、前の休憩時間に届いたメッセージが表示されている。
『いつもの場所で会いましょう』
差出人は小井戸だ。おそらく例の噂について話し合おうということだろう。
そしてそのメッセージに、俺だけで来いと言った旨の指示はない。
別に二人に小井戸の存在を隠したいわけじゃない。ただ、今日は俺一人で行きたかっただけだ。だって……
「瀬古先輩」
裏庭を目指して廊下を歩いていると、目の前から現れた男子生徒に呼び止められてしまった。後輩カップルの彼氏の方、カーくんだ。
何の用だろうと返事をしようした瞬間、彼は周りに聞こえるよう大きな声で言った。
「瀬古先輩、見損ないましたよ。まさか瀬古先輩がそんな方だったなんて思いませんでした」
怒気を孕んだ声だった。それもそのはず。彼は俺をリスペクトしていると言っていた。それは人前で告白する勇気を讃えている部分もあったが、一番は誰かを一途に思い続けていることだと彼は言っていた。今回流れた噂は、まさしく彼を裏切った形になるだろう。
目つきを鋭くしたカーくんが、俺に近寄ってくる。
「この先は通しませんよ。もう瀬古先輩の好き勝手にはさせません」
そんなことを、またしても周囲にいる生徒たちが聞こえるように大きな声で言う。
そしてもう一歩近づいてきて、今度は小声で、俺だけが聞こえるように言った。
「西階段を使ってプールの更衣室に行ってください」
つい「へ?」と声が出そうになったが、俺から離れたカーくんに睨まれて言葉を呑み込む。
そして俺は何も言わず、彼に背中を向けて廊下を進んだ。行き先は屋外にあるプールだ。
* * * * *
うちの学校には立派なプールがある。しかし、授業は選択制のため、それを選んでない俺は一度も利用したことがない。
たしか水泳部は最近廃部になったとかで、この時期は誰も使っていないはずだ。カーくんは更衣室に行けと言っていたが、果たして開いて……るな。普通に入れたぞ。
万が一のことを考えて、一応男子更衣室を選んで入ったが、それは正解だったみたいだ。先客は俺に気付き、笑顔を浮かべて手を振ってくる。
「せーんぱい。お久しぶりです」
「小井戸。ここは男子更衣室だぞ」
「知ってますよー。だって先輩のことだから、女子更衣室には入らないだろうなって思ったんす」
「よく分かってるな」
「先輩のことっすから!」
ドヤ顔を披露する小井戸を見て、俺の心は少し落ち着きを取り戻す。
「なぁ小井戸。裏庭に集合じゃなかったのか?」
「ボクはそのつもりでしたよ。でも、高畑さんがここを紹介してくれたんすよ。どうやらここ、高畑さんたちが最近見つけたイチャイチャスポットみたいっすよ」
「俺たちはイチャイチャスポットを離れて、また新しいイチャイチャスポットにやって来たのか。てか、それってここは二人の愛の巣ってことじゃ」
「みたいっすね〜。いやぁ、普段お二人はここで何をしているんでしょうねぇ」
「うっ……なんか一気に居づらくなった」
「あはは。まあ、先輩とボクなんで。そんな緊張しても無駄っすよ」
「んー、まあそうだな」
「そんな簡単に納得されると、ちょっと複雑っす」
乙女心って難しいなと思いつつ、俺は先ほどから抱いていた疑問を小井戸にぶつける。
「それで、なんで裏庭じゃなくてここなんだ?」
「どうも、先輩がよくお昼に裏庭に出没するって言う情報が流れてるみたいで、あそこには先輩に恨みを持ってる人が集結してるみたいっす」
「ガチのディストピアになってんじゃねえかあそこ。じゃあ、カーくんナーちゃんは俺を守ってくれたってことか!」
「そうみたいっすね〜。ほらね、先輩。持つべきものは後輩っすよ」
「だなぁ。カーくん様ナーちゃん様小井戸様だ」
「ボクも入れてくれてるということは、さては先輩、今デレ期っすね! まだ継続していたんすね!」
「今なら、小井戸に今まで恥ずかしくて言えなかった感謝の言葉を全てぶちまけられるよ」
「そ、それは恥ずかしいので結構です!」
何だよその反応。デレ期終了するぞ。てかデレ期って何だよ。
……あー、楽しい。小井戸とこうして馬鹿してる時間は、何も考えずにいられていい。頭痛も心なしか軽くなっている。
だけど、少しでも会話を止めたら黒いモヤが俺の心を握り始める。
「……こほん。それで先輩。今流れてる噂の件についてなんですが、収める方法をなんか思いついたりしてますか?」
「……あぁ」
「お、さすが先輩っす。実はボクも考えてて、おそらく先輩と同じかと……先輩?」
「小井戸。この噂の被害者は誰だ?」
「……夜咲先輩っす」
「加害者は?」
「……一応、先輩と日向先輩っす」
「つまり周囲の非難の矛先は俺と日向にある。じゃあ、日向が被害者になったらどうなる?」
「……先輩」
「実は日向は俺に脅されていただけで、嫌々俺と関係を持っていた。そうだな、脅しの内容は『言う事を聞かなければ夜咲を酷い目に合わせる』ってのはどうだ」
「先輩」
「そして今回、夜咲にも同じ脅しをかけた。『口裏を合わせないと日向を酷い目に合わせるぞ』ってな」
「先輩」
「彼女たちは親友のために自分を犠牲にしていた。尊い友情だな。つまり、夜咲と日向は被害者で、加害者は俺だけになるんだ」
「先輩」
「あとは俺がこの学校から離れれば、この件は解決だ。むしろ二人は同情されて手厚い対応を受けるだろう。父さんと母さんにはまた迷惑をかけるけど、俺の残りの人生をかけて親孝行をすれば何とか許してくれ——」
「先輩!!」
小井戸が声を張り上げて俺を呼ぶ。そこで俺の言葉は止まってしまった。
小井戸は怒気のこもった目で俺を見つめている。だけど、その目にはうっすらと涙が溜まっている。
「先輩。ダメっすよ。そんな考え方をしたら」
「だって、小井戸。無理だよ。この噂を覆すものが何もないんだ。あったとしても、それを手に入れる前に二人が倒れてしまう」
「精神が疲弊してるのは先輩もっすよ」
「……何言ってんだ。俺は注目されることには慣れていて……」
「前に言ったじゃないっすか。先輩は大事な人の幸せで自分も幸せになれる人だって。それって裏を返せば、大事な人が悲しんでたら先輩も辛いってことですよ。……自分を犠牲にしてお二人を守ろうなんて、先輩らしい考え方だなって思いました。だけど、それは夜咲先輩が、日向先輩が、先輩のご両親が、そしてボクが絶対に許しません」
瞬間、小井戸の瞳から一筋の涙が流れた。それにも関わらず、彼女は俺をまっすぐ見つめ続けている。教室を出る前に見た晴の目と同じ。俺を遠くへ行かせないと言っているかのような目だ。
俺は目を瞑り、すぅと深呼吸をして心を落ち着かせる。そして目を開いて、彼女の瞳をまっすぐ見返す。
「ありがとう小井戸。俺、ちょっとおかしくなってたみたいだ」
「……先輩はいつもおかしいっすけどね!」
「なんだとー。……はは」
「……へへっ」
俺たちは少し恥ずかしくなりつつも、見つめ合ったまま笑う。
こうして彼女に解決方法を話したのも、心のどこかで、彼女に止めてもらうことを期待していたのかもしれない。
本当に。後輩様様だな。
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