if 夜咲美彩

ドロドロした恋愛なんてなかった場合。平和な世界。

ただの息抜きです。本編とは関係ありません。

———————————————————————


 電車を乗り継ぎ、とある駅に降り立つ。


 そこに俺のホームグラウンドはないはずなのに、迷いなく道を進んでいく。


 数分歩いてたどり着いた、とある大学の赤門前で足を止め、背景に溶け込むように息を潜める。


 別に悪いことをしているわけではないし、大学は公共の場所ではあるけど、なんとなく居心地が悪い。


 それは、ここが国内トップの大学であり、俺がそこの受験に落ちたからかもしれない。ここはお前の居場所じゃねえんだぞと。


 まあ、そんなこと知ったこっちゃない。俺は別に学問を修めるなんて高尚な理由でここに来たわけではない。


「ごめんなさい。待たせたかしら」


 最愛の彼女の迎えという最高な理由で来たのだから。


「いや、ちょうど今来たところだよ。あー、このやりとり何度やってもいいよなぁ」

「ふふ。本当に蓮兎くんは好きね」

「あぁ! もう最高だよ」

「あら。なら、これ以上にもっといいことはないのかしら。……例えば、こんなことをしてみたり」


 いたずらな笑みを浮かべた美彩が、俺の腕に抱きついてきた。


 すると当然だが周囲の学生の鋭い視線が俺に突き刺さることになる。


 美彩は高校の時から美人だったが、大学に入ってからはさらにその魅力に磨きがかかり、ついに俺の語彙力では表現できないものとなっている。いや前からできてはいなかったが。


 とにかく。そんな美女に公衆の面前で抱きつかれてしまった俺は矢面に立たされたわけで。幸せだけど地獄なわけで。


「美彩さん。ここ外ですよ」

「だめ。敬称なんて付けないで。距離を感じて悲しくなるわ」

「……美彩。俺の体に突き刺さっている凍てつく視線に気づいてるよね」

「えぇ。とても気持ちがいいわね」

「たしかに優越感はあるけどさ。それ以上に体が震えるんだ」

「あら大変。私があたためてあげるわ」

「どうしよう。この秀才、話が通じない」


 遠い目をする俺。一方で、美彩はそんな俺をみてくすくすと笑っている。


 いつからだったか。彼女は俺を揶揄ってくるようになった。それは彼女の従妹である紗季ちゃんの小悪魔さを想起させるほどで……いや、それ以上かもしれない。


「ごめんなさい。冗談よ。……けれど、蓮兎くんにくっついていたいのは本当。ずっとこうしていたいわ」

「っ!」


 愛おしさが爆発しそうになる発言をして、俺の肩に頭を預けてくる美彩。


 そんなことをされたら、振り払うことなんてできない。


 これも惚れた弱みというものだろうか。


「……いやぁ、春先も過ぎたっていうのに今日は少し寒いと思ってたんだよ。だからこのぬくもりが丁度いいというか……離したくないな」

「蓮兎くん……」

「帰ろっか。美彩」

「えぇ」


 ぎゅっと力が込められ、彼女の愛情を体に感じる。


 今、俺たちの周りには俺たちだけを囲う空気の層ができている気がする。それが他者の視線なんてバリアしてしまい、屁でもない。


 さっき来た道を一人で歩いた時より長い時間をかけて戻り、電車に乗る。


 ずっと、右腕にぬくもりを感じながら。


 時折、右肩に重みを感じながら。


 鉄の箱に揺られ、俺たちは本当に外界から遮断された場所へ向かう。


 大学に入ってから一人暮らしを始めた俺の城。都内1Kの狭いアパート。


 だけど、他者の視線は一ミリも入ってこない、俺たちだけの空間。


 ドアを開けて中に入り、ドアが閉まった瞬間、今まで隣にいた彼女が正面にやってきた。触れ合う面積が広がる。


 俺も彼女の背中に手を回し、そして強く、その身体を抱きしめる。


 すると美彩は顔を上げ、俺の目をみつめる。


「蓮兎くん。わかるかしら。ずっと。ずっと私の脳内に、幸せホルモンが分泌されているの。あなたに抱きついてから、ずっと」


 幸せホルモン。それは過去に俺が照れ隠しで披露した知識。


 人間は他者に触れ合うことで幸せホルモンと呼ばれるオキトキシンを脳内に分泌し、幸せを感じるという話。


 そう。俺たちの頭は今、オキ漬けにされている。


「蓮兎くん……」


 熱を帯びた瞳が揺れ、熱い吐息が首筋にあたる。


「もっと。もっと分泌しましょう。全身で抱き合うの。腕だけでなく、脚も絡めて。もしかしたら素肌同士の方が効果的かもしれないわ。……ね、蓮兎くん」


 彼女の手が俺の腰に移動する。


「触れ合える場所は見えるところだけじゃないわ。……身体の中も、私たちは触れ合うことができるの」


 彼女は目を瞑り、唇を小さく突き出す。


 それに応えるため、俺はそのぷっくりした赤みのある唇に、自分の唇を押し当てる。


 強く押し当てて、離して、また押し当てて、離して。今度は長く押し当てて。


 彼女の身体を腕で支えながらそれを繰り返し、ほぐれてきたところで、彼女の中と触れ合う。


 お互いのざらざらとしたものを絡め合い、たまに別の場所にも触れたりして。


 俺たちは幸せに浸されていく。


「はぁ……はぁ……蓮兎、くん……」


 瞳から涙をこぼし、息絶え絶えの美彩が言う。


「まだ、触れ合える場所、残っているわ」


 彼女は力の入っていない体で、だけどはっきりと、俺を誘惑するように口にする。

 

「部屋に入りましょう。そして、もっと浸かりましょう。幸せホルモンに」


 彼女の言葉に頷き、二人で部屋の奥へと入っていく。


 そして俺たちは、脳も、体も、全てとろとろになった。



———————————————————————

みたいなね

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る