if 夜咲美彩2

ドロドロした恋愛なんてなかった場合。

ただの息抜きです。本編とは関係ありません。

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 今日も足繁く美彩の大学に通う。


 大学最寄りの駅で降り、改札口へ向かうため階段をのぼる。


「んっしょ……んっしょ……」


 目の前のギターを背負った女性は息を切らしながら階段をのぼっている。


 なんとなく気になって、彼女に注意を向けていたところ、その時はやってきた。


「んん……あぁ!」

「よっと」


 後ろに倒れて落ちそうになった女性の背中、正確には彼女が背負うギターに手を伸ばし、その体を支えてやる。


「え、え?」


 女性は体が落下してしまうことを覚悟したはずが、なぜか一向に落ちることなく体が静止していることに驚きを隠せない様子を見せる。


 なんか色々抜けているなと思いつつ、腕に力を入れて彼女の体勢を元に戻してやる。


「……戻った。もしかしてわたし、腹筋つよつよ!?」

「んなわけあるか」

「へ!?」


 とぼけたことを抜かすのでついツッコミを入れてしまった。


 驚いた表情を浮かべた彼女が振り返り、俺と顔を合わせる。そして俺の腕に視線を移して、全てを察した表情に変わった。


「も、もしかしてたすけてくださったんですか? あ、あ、あ、ありがとうございます!」

「ある意味自己防衛だから、気にしないでください」


 恥ずかしさからか吃りまくったお礼をいただいたところで、俺はこの話は終わりだと告げる。


 彼女も俺の意図を察したようで、もう一度ぺこりと頭を下げたあと、前を向き直して歩を再び進める。


 このまま立ち去ってもいいけど。目の前でふらふらしながら階段をのぼる彼女が気になってしまい、そのまま後ろについて歩く。


 結局、何度か危なげにふらついたものの、倒れそうになったのはあれきりだった。


 改札口を抜け、大学の方へと向かっていくのだが。どうやら彼女もそっちの方角に行くらしい。同年代っぽいし、美彩と同じ大学の学生かもしれない。


 ……この大学、キャンパスまでけっこう横断歩道あるんだよなぁ。自転車の通りも多いし……うーん。


 平地でもふらつきながら歩く例の女性。まるでギターが彼女の全体重の半分以上を占めているかのようなバランス感覚だ。


「……はぁ」


 結局。自分の心臓のためにも、俺は彼女に声をかけることにした。


「あのー、すみません」

「ひゃい!? え、あ、さっきの人……」

「はい、さっきの人です。そこの大学に行くんすか?」

「あ、はい。そうですけど……?」

「俺も一緒なんで。お願いします、俺にギター運ばせてください」

「……ほえ? えぇ!?」




* * * * *




 なんとか彼女のギターを運ぶ権利を得た俺は、両肩にそこそこの負荷を感じながらキャンパスまでの道を歩く。


 そして。その隣を身軽になった彼女が歩いている。


「あ、あの、本当によかったんですか」

「えぇ。俺の気分はさっきまでと比べて最高に軽いっすよ」

「あ……」

「あなたに俺を変な人だなあって目で見る権利なんてないっすよ」

「え、あ、ごめんなさいっ」


 冗談だったのに。本当にそんな目で見られていたのか。つらい。


「あなたがあまりにも危なげだったから、あのまま見ているより楽ってことっすよ」

「あ、そういうこと……納得しました」

「それはよかった。今までもこんな感じで?」

「あ、いや、その……この子、さっき買ったばっかなんです」


 彼女は拳をグッと握る。


「わたし一年生で、それで、軽音サークルに入って。……大学入学を機に、明るい人になりたいと思ったんです」

「だから音楽を?」

「は、はい。不純な動機だとは思いますが、でも、これだって思って……だめ、ですよね。こんなの」

「いいんじゃない? 変わろうとするその気持ち、俺はめっちゃ応援するよ」

「え……」


 事情を聞いて、俺が彼女を気にかけてしまう理由がわかった気がした。


 彼女は、中学時代の俺に少し似ているような気がしたんだ。


「ただまあ、その前に体を鍛えて欲しいけど」

「あぅ……先輩さんはいじわるさんですね」

「いや俺、先輩じゃないよ。あなたと同級生」

「……ほえ?」

「付け加えるならここの学生でもない」

「えぇ!?」


 既視感のある光景に笑ってしまう。すると彼女は顔を赤らめ、頬を膨らませて抗議してくる。


「今のままでも普通に明るいと思うけどなぁ」

「い、いえ、根暗女ですよ、わたしなんて。……こんなにお話ができるの、初めてなんです」

「相手が変人だと思えば遠慮しないですむからかな」

「……やっぱりいじわるさんです」


 冗談のつもりだったのに、どうやら彼女の機嫌を損ねてしまったらしい。


 思えば、俺はコミュニケーションが苦手な相手に話しやすいと思われる性質なのかもしれない。あの時の美彩もそうだったし。


 キャンパス直前の信号に引っかかり、俺たちは足を止める。


 すると彼女はバッと勢いよくこちらを振り向き、ぷるぷると震えながら口を開いた。


「じ、自己紹介しませんか!?」

「え。……まあ、そうだな。ちょっと今更感あるけど」

「わ、わたし、蓮見はすみって言います! 以後お見知り置きをぉ」

「はすみ? はすって字、もしかして植物のはす?」

「は、はい! お、おかしいですよね、わたしなんかが綺麗な花を咲かせる植物の名前を持っているの……」

「卑下しすぎ卑下しすぎ。いやただ、奇遇だなって。俺の名前にもその字が使われてるんだよ。まあ下の名前で読み方も違うけど」

「……お聞きしても?」

「蓮兎だよ。はすうさぎで蓮兎。んで苗字が……」

「蓮兎……蓮兎さん……」


 俺の声なんて聞こえていないみたいで。彼女……蓮見はぶつぶつと何かを呟いている。そのため自己紹介は中断。


 信号が青に変わり、歩きを再開する。次第に近づいていく目的地。だけどそれ以降、俺たちの間に会話はない。彼女はずっと呟き続けているが。


 そして、そのまま着いてしまった。俺はこの先まで行く意味もないので、ここで蓮見とはお別れになる。


「それじゃあ、蓮見。ギター返すよ。キャンパス内なら安心だな」

「あ、は、はい。ありがとうございます……」

「俺はここで人と待ち合わせだからさ。ギター、頑張ってな」

「……はい」


 ギターを背負い、ふらふらとキャンパス内に入っていく蓮見。


 こけないかと心配してその姿を見届けていると、彼女は突然足を止め、勢い良くこちらを振り返り言った。

 

「ま、またお会いしたいです、蓮兎さん」

「え、名前……」

「こ、これもわたしがキラキラ人間になるための、練習、なので……そういうこと、なのでっ」


 言い逃げするかのように、駆け足で去っていく蓮見。


 練習……か。そう言われてしまえば拒絶する理由が思い浮かばない。


 そうでもない人もいるだろうけど。下の名前を呼ぶのは少し勇気がいるもんな。特別感があるというか。


「蓮兎くん。おまたせ」


 それが好きな子からだと、一気に有頂天になってしまうほど嬉しくなってしまう。


「いや、今来たところだよ。帰ろっか、美彩」

「えぇ。……なんだか嬉しそうね」

「うん。美彩に名前を呼ばれるのってやっぱりいいなって」

「ふふ。何度でも呼んであげるわ。その代わり、蓮兎くんは私の名前をたくさん呼んでね」

「もちろん」




* * * * *




 大学の生活というものは人によってそれぞれで、最後の授業がみんな同じなわけではない。


 だから早く終わった俺が美彩を迎えに行くということが実現できているわけで。それすなわち、日によっては迎えに行くことができないわけで。


 なので彼女を迎えにこの駅に降り立ったのは実に一週間ぶりである。


「あ……蓮兎さんっ」


 そして、蓮見と再会したのもまさに一週間ぶりだった。


 彼女は改札口を抜けた先で、まるで俺を待っているかのように立っていた。


「お、おひさしぶりです」

「どうも。今から大学?」

「は、はい。サークルの練習に参加します。なので……大学までご一緒してよろしいでしょうか!?」

「ははん、さては荷物持ちをさせようとしてるな」

「そ、そういうわけではっ。今日は自分で持てます……あわわっ」


 歩き出そうとした瞬間にふらつく蓮見。


「持たせてください」

「……はぃ」


 恥ずかしそうにギターを渡してくる蓮見に苦笑を返す。


 俺の背中に重みが足されたところで俺たちは歩き出す。


「ギターの練習は順調?」

「ど、どうなんでしょうか。一応いくつかのコードは弾けるようになりました」

「おぉ。よさそう」

「ただ……まだ他のサークルのメンバーと打ち解けることができなくて……みなさんキラキラしていて、わたしなんかが声をかけていいのか考えちゃって……」

「蓮見もその一員になろうとしてるんだろ。大丈夫。蓮見は変わろうと決意した時点で強い気持ちを持ってるはずだから。打ち負けることなんて気にせず、とりあえずサーブを送ってみればいいよ」

「蓮兎さん……わかりましたっ。わたし、がんばりますっ」


 ふんすと鼻を鳴らして意気込む蓮見。


 俺には彼女の背中を押すことくらいしかできないけど。彼女に幸あれと願っておく。


 それからはたわいもない会話が続き、気がついたら赤門まで着いていた。


「それじゃあ俺はここで。練習がんばって」

「は、はい。……あの、ここには毎週来ているんですか?」

「今はだいたいそんな感じかな」

「そう、ですか。……あ、あの、蓮兎さんっ。こ、今度わたしと——」


「蓮兎、さん?」


 俺の名前を呼ぶ蓮見以外の声が聞こえ、瞬時にそちらを振り向く。


 そこには、光のない瞳でこちらをみつめる美彩が立っていた。


「美彩」

「え……も、もしかして、蓮兎さんの待ち合わせのお相手って……」

「……また、彼の名前を」


 表情を厳しくした美彩は早足で俺たちに近づき、そして俺の背負うギターに目をやる。


「蓮兎くん。いつのまにギターを始めたのかしら」

「いや、これは彼女のだよ」

「そう。それなら早く彼女に返してあげて。彼女のものを、彼女のもとへ」


 妙な言い回しをするなと思いつつ、もともとそのつもりだったので、美彩の言うとおりにギターを蓮見に返す。


 その様子を見届けた美彩は、軽くなった俺の肩に再び負荷をかけてきた。


 正確には、俺の腕に抱きついてきた。それはもうベッタリと。


「そして、彼は私のものだから。返してもらうわね」


 そう言って俺の肩に頭を預けてくる美彩は、どうしようもなく可愛らしい。


 そんな彼女に見惚れていると、口を噤んでしまっていた蓮見が動いた。


「……わ、わたし、これで失礼します」


 この場から逃げ出すように駆け出していく。


「蓮見!」


 俺の呼びかけに反応して、蓮見は足を止め、こちらを振り向く。


「俺の苗字、瀬古だから!」


 俺の声が届いたのだろうか。彼女の表情は一瞬曇り、だけどすぐに笑顔を作ったあと、体をあちらに向き直して歩いて行ってしまった。


「それが蓮兎くんなりの誠意ってことね」

「そういうんじゃなくて。ただ、美彩が嫌がることは減らした方がいいかなって思っただけだよ」

「そう。……帰りましょうか」

「あぁ」


 蓮見と別れたあとも美彩は離れる気配を見せず、ひっついたまま駅に向かって歩き始める。


「家に帰ったら彼女、蓮見さんについて教えてほしいわ」

「あの、本当に浮気とかじゃなくて……」

「その心配はしていないわ。ただ、彼女について教えてほしいだけよ。……特に、どんなところが魅力的か、とか」

「どうしてそんなことを」

「その後は、彼女より多く、彼女より熱をこめて、私の魅力を教えて欲しいの。私がどれだけ魅力的か。他の女性を見る必要なんてない。私だけを見ていればいいって蓮兎くんが改めて認識できるように、ね」


 なんというか……美彩らしい仕返しだなって思った。


 そして、それを話す彼女はとても蠱惑的で。


「たくさん愛してあげる。誰よりも深く。蓮兎くんは誰のものでもない、私だけのものなのよって。その体に教えてあげるんだから」


 たまにいじらしい表情をみせるので。


 俺は彼女から離れられないのだと確信するのだった。



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ifはヒロインのキャラの深堀のためのエピソードです。こういうシチュエーションだと彼女らはどう動くのか、それを想像した内容を文章化しています。もうしばらくお付き合いください。

どうしてこんなに蓮見のパートが長くなったのか。それは知りませんし失敗です。はすみす〜

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