第123話

 紗季ちゃんと手を繋いで一緒に街中を歩く。彼女とこうして過ごすのは今日が初めてではないからか、特段緊張はしない。


 歩くたびに彼女のシュシュでまとめられたポニーテールがゆらゆら揺れる。それが少し可愛らしい。


 小井戸とはもちろん手を繋いでいない。だけど紗季ちゃんとは反対側のポジションを確保している。


「そういえば、紗季ちゃんはここの駅まで一人で来れたの?」

「あ、ボクが迎えに行きましたよ。紗季ちゃんが方向音痴なのは知っていたので」


 小井戸と紗季ちゃんが初めて出会ったときも紗季ちゃんは迷子になっていたらしい。だから小井戸も紗季ちゃんの性質を熟知しているわけだ。


「なるほどね。納得だ」

「むぅ。言わないでくださいよ茉衣さん! それに蓮兎さんも、納得ってどういうことですか! わたしは方向音痴ではありません。遠回りが好きなだけです」

「目的地に着けるか保証がないのは遠回りとは言えないのでは」

「蓮兎さん、いじわるですっ」


 紗季ちゃんは頬を膨らませて唇を尖らせる。だけど俺の手を離そうとはせず、むしろ握る力を強めてくる。それがまた可愛らしい。


 そして、そんな仕草が誰かに似ている。


「あ、着きましたよ」


 小井戸の目的地到着を知らせる声で我に返る。


 俺たちがやって来たのはスイーツバイキング。こちらは紗季ちゃんのリクエストだ。なんとも可愛らしい場所だろうか。


「ここ、テレビで紹介されていて気になっていたんです!」

「へぇ。じゃあ期待できるね」


 そう。テレビで紹介されるものはなんだかんだ良いものが多い。あの時だって……


「ささ、入りましょう先輩。こんなところ、小田先輩とは行けませんよ」

「それは言えてるな」


 たしかに男同士で行くのは気が引ける場所だ。現に、他のお客さんも女性同士かカップルしかいない。


 よくよく考えたら、俺たちの組み合わせは傍から見たらどう映っているのだろう。俺と小井戸の組み合わせはまだ分かるが、紗季ちゃんは少し歳が離れているし。親戚の集まりとか?


「わぁ〜! たくさんケーキが並んでますよ、蓮兎さん!」


 普段はどこか大人びているが、いまは年相応のはしゃぎ方をする紗季ちゃん。そんな彼女の姿を見て和む。


 うん。やっぱり紗季ちゃんは妹的なポジションだろう。全然似てないけど。


 運良く席が空いていたみたいで、俺たちはすんなりテーブルへと案内される。


 案内されたのは椅子とソファが対面に配置されてるタイプの席だった。


 まあ二人にソファを使って貰えばいいと思い、俺は椅子に腰掛ける。すると紗季ちゃんが隣に座ろうとしてきた。


「紗季ちゃん。ソファの方が柔らかくていいと思うよ」

「わたしにとっては蓮兎さんの隣が一番です」

「小井戸の隣より?」

「はい!」

「ちょっ、なんすか先輩その質問。絶対自分に勝ち目があると思ってしましたよね」

「勝てない戦はしない主義なんだ俺」

「紗季ちゃん。この先輩、最低ですよ」

「わたしも勝てない勝負は挑まない主義なので、一緒ですねっ」


 一緒だと言うが、紗季ちゃんの場合は負け戦が存在しないのではないだろうか。俺と前提が違う気がする。


「はぁ……まあボクが一人でいいっすよ。さて、ここは制限1時間みたいなので、早速取りに行っちゃいましょう」

「はい! えへっ、たくさん食べちゃいますっ」

「いってらっしゃい。俺は二人の荷物を見張っとくよ」

「大丈夫っすよ先輩。この国は平和っすよ。それにこのお店のお客さんがそんなことすると思いますか?」

「んー、でもなあ」

「わたし、蓮兎さんと一緒に取りに行きたいです」

「行こっか。ケーキが俺を待っている」

「ボクのときと対応が全然違う! 先輩ひどいっす!」


 紗季ちゃんに上目遣いでお願いされたら、ねぇ。断ることなんてできないわけよ。


 紗季ちゃんは本当に甘え上手だと思う。これは年下だからとかではなく、男心をくすぐる術を得ているような気がする。だけど自然な感じ。つまりは天性の才能だ。


 前に誰かに言われたように、俺は本当にこういう風に甘えられるのに弱いのかもしれない。




 * * * * *




 大皿に種々雑多なスイーツを盛り合わせたものをテーブルに並べる。


 バイキングって何度取りに行ってもいいのに、どうして一度目に取りすぎちゃうんだろう。そんなことを来る度に考えている気がする。


「えへっ。たくさん取りすぎちゃいましたっ」

「まぁせっかくのバイキングだしね。過ぎたくらいがいいのかも」

「そうですよね! こういうのは気分の問題です!」

「食べ切れなかったら俺が食べるからさ、もう自由にやっちゃってよ」

「はい、ありがとうございます! 蓮兎さん、頼もしいですっ」


 紗季ちゃんにキラキラとした眼差しを向けられる。


 うーん、自分のはもっと少なめにしておけばよかった。


「まさか先輩、紗季ちゃんの食べかけを狙ってませんよね?」


 小井戸はそんなことを言ってきてニヤッと笑う。表情からして俺を揶揄うための冗談だろう。


 だけど紗季ちゃんはそれを真に受けてか、顔を赤くして狼狽する。


「え、あの、さすがにそれは恥ずかしいですっ。でも……蓮兎さんがお望みならわたし……!」

「小井戸。俺を使って紗季ちゃんにセクハラを仕掛けるなよ。多分これ実刑下るの俺だからさ。あと紗季ちゃん、今のは小井戸の冗談だからね」

「え、冗談……?」

「あはー、すみません。まさか紗季ちゃんが信じてしまうとは思っていなかったので」

「紗季ちゃんは俺たちと違って純真無垢なんだ。変なことは言うなよ」

「わかりましたー。へへっ、ボクだけじゃなくて自分のことも含めてる先輩まじ先輩っす!」


 だから先輩を形容詞みたいに扱うんじゃないよと思いながら小井戸の大皿の上に目をやる。


 ……ん?


 小井戸はショートケーキなど定番のケーキを中心に取っていた。だけど俺が気になったのはそこではない。


 大皿の真ん中に一点ある黒。コーヒーゼリーだ。


 美味しそうだから俺も取ったけど、たしか小井戸はコーヒーは苦くて飲めなかったはず。ゼリーはいける口なのだろうか。


「なあ小井戸——」

「れ、蓮兎さん!」

「ん?」


 小井戸にコーヒーゼリーについてきいてみようとした矢先、隣の紗季ちゃんに名前を呼ばれてそちらを振り向く。


 するとフォークをこちらに向けられていて、その先にはチョコケーキの一部が刺さっていた。


「こ、これ! 合法の食べかけです! あーん、してくださいっ」


 フォークはぷるぷると震えており、紗季ちゃんの頬はほんのり赤い。


 小悪魔紗季ちゃんでもあーんは少し恥ずかしいのだろうか。それがまた可愛らしい。


 そして合法……なんだかとても魅力的な言葉だ。


「いいの?」

「はいっ。……わたしのあーんは、お気に召しませんか?」

「そんな人ひとりもいないよ。いただきます」


 口を開けて紗季ちゃんの持つフォークからケーキをいただく。うん、チョコの味がしっかりしていて美味しい。


 なんか、この食べ方も少し慣れているような気がする。


「えへっ。蓮兎さんにあーんしちゃいましたっ。それに、か、間接キスまで。以前はできなかったので……」

「あ」


 ケーキを咀嚼しながら気づく。そうだ、感覚が麻痺していて忘れてたけどこれって間接キスになるんだ。


「ごめん紗季ちゃん。新しいフォーク取ってくるよ」

「むぅ。……えいっ」


 俺が席から立ちあがろうとすると、それを止めるかのように紗季ちゃんは勢いよくフォークを皿の上のケーキに刺し、そして自分の小さな口に入れた。


 もぐもぐと十秒間ほど咀嚼した後、ごくりと飲み込んで紗季ちゃんは微笑む。


「この通り、新しいフォークなんて必要ありません。なので、その、蓮兎さんも気にしないでくださいっ」


 紗季ちゃんはそう言うと俺から顔を背けた。だけど耳が赤くなっていることから、彼女がどのような表情を浮かべているのかは分かる。


 紗季ちゃんはモテるけど経験はないから実践には弱いのだろう。そんな年相応な反応が可愛いなと思っていると、正面からパシャッという音が聞こえた。


「へへっ。先輩が中学生を辱める現場を写真に収めちゃいました」

「おいこら。見出しがひどすぎるだろ」

「茉衣さん……それ、わたしにも共有してください!」

「いいっすよ。それじゃあ、もう一枚いきますよー」

「話聞いて?」


 それから小井戸は一枚だけではなく何枚も写真を撮り始めた。


 撮った写真を俺にも送ってもらったので見てみたのだが、そこに映っている紗季ちゃんの表情は最近までよく目にしていたものに似ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る