第9話

 試験を無事乗り越えたあたしは、消しゴムを返すのとお礼を言わないといけないと思い、隣の席を見ると、既に例の男子は姿を消していた。


 結局お礼も言えずじまいで、消しゴムは今もあたしの筆箱の中に大事に保管されている。もはやお守りだ。


 試験から数週間後、あたしは高校に合格したことを知った。合格発表を見に高校へは行かなかった。経過観察で病院に行く日と被ってしまったからだ。ずらすこともできたが、そこまでする必要性も感じられなかった。


 あわよくば彼に会えるかなとは少し思ったけど、どちらかが落ちていたら会話なんかできる空気じゃない。もし二人とも受かっていたら、入学後に話せるとそう思えたのだ。


 お母さんと一緒に制服の採寸に行き、制服を試着してみた。やはり自分は着ているというより着られている感があるなと思えた。お母さんと店員さんは似合ってると言ってくれるけど、やっぱりお世辞にしか聞こえなかった。


 そして高校の入学式を迎えた。


 ドキドキしながら登校し、式を終えたあたしは事前に知らされた自分の教室に向かい、これから一年を共にするクラスメイトと顔合わせをした。


 その中に、彼がいた。


 名前は瀬古蓮兎というらしい。思えば今まで名前を知らなかったことに今更ながらに気がつく。顔ははっきりと覚えていたし、他の誰かに彼の話をすることもなかったので、特に困る場面がなかったからだろうか。


 全員の自己紹介を終え、担任から軽く学校での過ごし方みたいなのを説明されたら今日のプログラムは全て終わった。


 せっかく一緒のクラスになれたんだし、早速お礼に行かないと、と思い彼の席を見るがまたもやその姿は既になくなっていた。急いで廊下の方を見ると、クラスメイトの女子と一緒に歩いて行くのを見かけた。


 彼女のことはとても印象的だったので覚えている。夜咲美彩。長くて真っ黒な髪が綺麗で、肌も透き通るような真っ白で、まるでお人形さんみたいだった。まさしく、あたしの憧れだ。


 そんな彼女と、どうして彼が一緒に出て行ったのだろうか。そう言えば自己紹介で二人が言っていた出身中学が一緒だったような気がする。


 胸騒ぎがした。だけど、それを確かめる勇気をあたしは持ち合わせていなかった。


 すごすごと帰ってしまったその日の夜、二人はあの後どこに行ったのか、何をしたのかが気になって仕方がなかった。こうなることなら後をついて行けばよかった……って、それだとストーカーだ。


 翌日、あたしは早めに登校した。新生活だから張り切っているわけじゃない。早めに着いて教室で待機して、彼が登校してきたら話しかける算段なのだ。


 教室に着くと、何人かの生徒が既に登校していた。その中には夜咲美彩がいた。


 どうしよう。彼女に昨日のことを聞いてみるべきだろうか。一瞬そんな考えが頭をよぎったが、初対面でそんなことを聞いたらおかしなやつだと思われてしまうと考え直した。


 とにかく今は彼を待つのみ。


 教室にクラスメイトのほとんどが集まってきた頃、やっと彼は姿を現した。


 来た! と思い、彼のもとへ駆け寄ろうとしたのだが、彼は真剣な表情を浮かべ、そのまま夜咲さんのところまで行き——


「昨日言いそびれたけど高校の制服も似合ってるな夜咲! 付き合ってくれ!」


 彼女に対して告白をした。


 一瞬、何が起きたのか分からなかった。しかし、周りがざわめき始めると同時に、あたしの胸に張り裂けるような痛みが襲ってきた。


 痛む胸を抑えながら二人の動向を観察していると、告白された側の彼女は「あら、ありがとう。結構気に入ってるのよ、このデザイン」と告白を意にも介さないような反応を示していた。


 ……少し、気に入らなかった。


 あたしのこの気持ちの正体は分からない。だけど、あたしも彼に制服似合ってるねと言われたい。そんな衝動があたしの全身を襲ってくる。


 この二人の関係性が全然読めなかった。だけど、直感的にわかった。二人をこのままにしていたら危険だと。


 だから、あたしは二人の間に割り込み、言い放った。


「あんた、そういうのやめなさいよ! この子も困ってるでしょ!」




 * * * * *




 あれから三週間が経った。


 あたしたちはチグハグな関係で成り立っている。だけど仲良しグループだ。


 あたしと美彩は普通に仲が良い。彼女は見た目だけではなく性格も良いので、すぐに仲良くなることができた。ズバッとものを言うので苦手だって言う人もいるが、彼女の発言には裏表がないってことだし、物怖じしない姿勢はかっこいいなって思うからあたしは好きだ。


 瀬古に関しては、たしかに周りから見たら変だよなと思う。あたしたちは美彩のことでいがみ合う関係。そう捉えられてもおかしくない。だけどそれ以外の場面では、瀬古は普通にあたしに接してくれる。美彩に対する時ほどではないが、あたしにもその優しさの何分の一かを与えてくれている。あたしは……瀬古ともっと仲良くなりたいって思ってる。だからこの関係は続いているのだ。


 消しゴムは未だ返せていないし、あの時のお礼も言えていない。もしかしたら瀬古はあの事なんて覚えていないんじゃないかと思うと、話題に上げることができなくなってしまった。あたしはずるい女だ。


 だから今も、あの時の消しゴムはあたしの筆箱の中にある。


 そんなあたしたちのグループは、一緒に外出なんかもしたりする。週末に街に繰り出し、ショッピングしたり遊んだりするのだ!


 どこかに遊びに行くとなった時、瀬古は必ずあたしも誘ってくれる。本当は美彩と二人きりで遊びに行きたいくせに。どうして誘ってくれるんだろうと思ったけど、やはりあたしには聞くことができなかった。


 この三人で過ごす時間を増やしたいと、瀬古も思ってくれているからだろうか。二人といる時間は本当に居心地が良い。瀬古と美彩の動向を監視するためでもあるけど、その理由が強くてあたしは部活に入らなかった。


 今日は少しだけ遠出して近くの街に繰り出ることになった。特に予定はなく、ぶらぶらと過ごす予定だ。こんな風に、理由がなくてもあたしたちは休日に会って遊んでいる。それがとても嬉しい。


 現地集合のため、最寄駅から電車に乗る。すると、あたしが乗り込んだ車両にちょうど瀬古が乗っていた。向こうもあたしに気づいて「おう」と手を上げる。


 瀬古は張り切りすぎない程度におしゃれをしている。もし、これが美彩とのデートだったら、彼はもっと張り切って準備するのだろうか。あたしと二人で一緒に出かけるときは、どんな格好をするのだろうか。そんなことを考えていると胸が苦しくなる。だけどその原因は分からない。


「美彩とは一緒じゃないんだ。最寄駅一緒でしょ?」

「夜咲は親御さんに車で送ってもらうって。ほら」


 そう言って瀬古は自分のスマフォの画面を見せてきた。そこにはあたしたちのグループトークの画面が開かれていて、たしかに美彩からその旨を伝えるメッセージが来ていた。


「ホントだ。朝は出かける準備でバタバタしてたから見てなかったわ」

「毎回思うけど、日向の格好きまってるもんな。そりゃ出かける前は忙しいか」

「……え」


 今、瀬古はなんて言った? きまってる? 何が? あたしの格好が?


 顔が熱くなるのを感じる。だけど頭は冷静に動いていた。


 きまってるって、パターンが決まってるってこと? でもあたしは意識して毎回違う服装で来てるし、格好のパターンが決まってるなら朝忙しいに繋がらないし。……ってことは、瀬古があたしの格好を褒めてくれたってこと?


 あたしは自分の格好をおしゃれだと思ったことはない。白Tにショートパンツっていう無難な組み合わせに、黒のキャップを被っているだけだ。可愛さの欠片もないと鏡に映る自分を見て思っていた。だけど、いつも時間をかけて自分なりに服装を考えている。


 どうしてだろう。今、電車の窓に反射して映る自分の姿がイケてるように見えてきた。


 それから瀬古と小声で話しながら電車に揺られていたが、何を話したかは覚えていない。

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