第9章 クズ野郎

第71話

 美彩と付き合っていることになって一週間が経った。


 今日も学校に行ったら、羨望と憎悪が入り混じった視線を浴びるんだろうなと思うが、こちとら注目されるのは慣れているため大したことはない。


「……ん?」


 学校に到着すると、予想通り多くの視線を感じた。だけど、それはまた先週のものとは異なっている気がする。なんというか、羨望が無くなって憎悪や嫌悪のみになった感じがする。


 まるで大犯罪者を見るような目だ。


 考えていても仕方がないので、とりあえず教室へと向かったのだが、どうやら教室が騒がしい。


 何があったんだろうと教室のドアに手をかけようとした瞬間、


「最低だねあんた!」

「そんなことをする人だとは思わなかったよ」

「地獄に堕ちればいいのに」


 何とも物騒な言葉が教室から聞こえてきた。妙な胸騒ぎがしながらドアを開けると、クラスメイトは一斉にこちらを振り向いた。その目には今日既にたくさん浴びてきた嫌悪と、僅かながらの殺意が込められている。


 教室内を軽く見渡すと、クラスメイトはある場所に集中していた。たしかそこは晴の席があるところ。


「おい瀬古」


 クラスメイトの一人が俺の近くに寄ってきた。先日、俺に恋愛相談を持ちかけてきた守屋だ。


「お前どういうつもりだよ」

「何が?」

「とぼけてんじゃねえよ。夜咲さんというものがありながら、何で他の女に手を出してんだって言ってんだよ!」

「……は?」

「まだしらばっくれる気かよ。お前、日向さんと浮気してたんだろ!」


 瞬間、俺の頭は真っ白になった。


 どうして俺と晴の関係をこいつが知っているんだ。そもそも、俺と美彩は実際は付き合っていないし、浮気にはならないんじゃないか。どうしてこいつは、こんな目を俺に向けることができるんだ。


 いろんな疑問が次々と頭に湧いてくる中、改めてクラスメイトの団塊に目を向けた。やはりその中心には晴がいて、自身の席に座って顔を伏せている。その目からは光が失われていた。


 さっき聞こえてきた怒声は、彼女へのものだったのだと確信する。


 次に美彩の方を見ると、こちらも顔を伏せていた。唇を噛み締め、悔しさと申し訳なさが入り混じった表情を浮かべている。


 髪型は昨日と同じように、シュシュで一本髪を束ねている。やっぱり似合っているなと胸中で呟く。


 彼女がチラッとこちらを見てきて、目が合う。瞬間、彼女はふるふると首を横に振った。


 周りにはクラスメイトの女子がいて、美彩の方を見続けていると彼女らに睨まれてしまった。差し詰め彼女の護衛だろうか。今まで彼女の護衛役は晴だったのだが、何とも皮肉な話だ。


「おい。何とか言ってみろよ」


 守屋が凄んでくる。どうも皆の代表として俺を問い詰めているみたいだ。そういえば、交流会の時も俺が甲斐田と言い合っていた時に出てきたのも守屋だったなと思い出す。やはりお調子者か。


 しかし、なかなか否定しにくい話題だった。本当のことだとも言えないし、完全に嘘だとも言い切れない。そんな曖昧な嫌疑を突きつけられて、俺は言葉を出せずにいた。その時、


「おーい。瀬古と日向はいるか」


 廊下から俺と晴の名前を呼ぶ男が現れた。その人の授業を受けたことはないが、たしか生徒指導の先生だ。


「はい。瀬古は俺です。日向もいます」

「ん、そうか。ちょっとお前たち俺について来い。話は……分かってるだろ?」

「……うっす」


 指導を受けるのは面倒だが、この窮地から脱することができたのは幸いだった。俯いたまま席を立った日向と一緒に、先生の後をついていく。




 * * * * *




 初めて生徒指導室なる部屋に入ったが、簡易的な机と椅子のセットのみで他は何もなく、とても殺風景だ。


「まあ座れ」


 先生の指示に従い、俺たちはそれぞれ椅子に座る。


 この先生の名前は覚えていないが、たしか他の生徒にゴリ松と呼ばれていた。その名前に恥じないガタイの良さだ。


 ゴリ松は「おほん」とわざとらしく咳払いをした後、机に肘をつきながら話し始める。


「今朝から妙な噂が流れててな。どうもお前たちが不純な関係を築いている、とか。学校側としては生徒の恋愛事情にあまり口出す気はないが、こんなケースになるとちょっと事情が変わってきてな。で、本当なのか?」


 否定すべきかどうか悩んだが、先ほど見た美彩の様子からして、彼女は肯定していないように思えた。ならば、


「全くのデタラメです。俺たちはただの友達ですよ」


 ここは真っ向から否定することにした。


 するとゴリ松は「ハァ〜」と大きくため息をつき、


「あのな。俺たちはまだ確認できていないが、どうやら証拠も出回っているらしいんだ。じゃないと俺たちもこんなに早く動かない。……本当のところはどうなんだ?」


 肯定しか受け止めないという姿勢を見せてきた。


 証拠とは何だろうか。たしかにそんなものがあったら圧倒的に不利だが、まだゴリ松は確認できていないという。それなら、ひとまずここは乗り切れるかもしれない。


「どんな証拠か知りませんが、とにかく俺たちは無実です」

「あくまでシラを切るつもりか。で、日向。お前はどうなんだ? 何か心当たりがあるんじゃないか?」

「っ……」


 ゴリ松のターゲットが晴に移り、彼女は体をビクッとさせる。彼女は嘘が下手だ。そして、彼女の気持ちを知った今だから分かることだが、彼女はこの関係に罪悪感を覚えている。だから、このままでは肯定するような言葉を彼女は口にしてしまうかもしれない。


「日向に聞いても同じですよ。俺たちの話なんですから」

「瀬古は一旦黙ってろ」


 晴のフォローに入ろうとするが、ゴリ松に睨まれてしまい迂闊に動けなくなる。あまり心象を悪くするのは良くない。俺の心情を読み測ったゴリ松は、ニヤリと笑う。


 ゴリ松は席から立ち上がり、晴のそばへと寄って行った。


「……しかし、お前たち高校生なのにそんなことしてるんだなぁ。なぁ、日向。もしかしてお前から誘ったのか? 横恋慕ってやつか?」


 ゴリ松は晴にそう訊ねながら、舐め回すような視線を彼女に向ける。


 その下衆な感情を彼女は感じ取り、体を震わせる。


「体で奪ったってやつだなぁ。確かにお前の身体は男子にとっては極上物だろうからな。そんなことお前も分かってるんだろ? こんなに脚も出して……このスカートの長さ、校則に反してないか? どれ、俺が測ってやるか……」


 ゴリ松のセクハラは止まらず、遂には彼女の身体に触れようとしていた。


 その時、ピピッと言う音が部屋の中に鳴り響いた。


 ゴリ松は咄嗟に手を引いて、周りを見渡す。そして、俺が持ち構えているスマフォを目にして固まった。


「……何をしているんだ瀬古」

「何って。先生のありがたいご指導を後から見直せるように、録画しているんすよ。毎回、先生のお手を煩わせるわけにもいかないんで、こうやって資料作りを自らやってるわけっす」

「いいから止めろ。あと撮った動画は消せ」

「何でですか? 先生は教師として立派なことをされていると思っていたんすけど……動画を撮ることで、何か不都合なことでもあるんすか?」

「お前……ガキがごちゃごちゃ言いやがって。俺が消せと言ったら消せ! 教師の言葉だぞ!」

「だからその素晴らしい教師様の記録を残してるんじゃないすか」

「黙れ黙れ! くそ、その携帯を渡せ! 俺が消してやる! 俺は学校を守りたい!」


 憤慨したゴリ松は、俺のスマフォを奪おうと手を伸ばしてきた。もちろん俺は取られまいと手を引く。しかし、奴の方が体は大きく力も強い。抵抗したところで、いつかは奪われてしまう。


 どうすれば、と思ったその時、部屋のドアがノックされた。俺とゴリ松は咄嗟にそちらを振り向く。


「……どうぞ」


 ゴリ松は一旦俺から離れて、嫌々しく応答する。


 ドアが開かれて入ってきたのは、俺たちの担任である松居まつい先生だった。その姿を見て、ゴリ松は明らかに緊張している。というか目がハートになっている。


「失礼。えっと、ゴリ……先生。こちらにうちの生徒たちがいると聞いて参ったのですが」


 今この人「ゴリ松」って言おうとしなかったか? もしかして、松居先生もゴリ松の名前を覚えていない……?


「ま、松居先生。今、なんと」

「ですから、うちの生徒……瀬古と日向がいると聞いて参ったのですが」

「いやそこではなく……まあいいか。はい、いますよ。私が今、青少年の未来を想う一人の教職員として、二人に教育的指導を行っていたところです」


 よく言えたものだ。ゴリ松がしようとしたことは、立派な犯罪セクハラだ。


「そうですか。お手を煩わせてしまい申し訳ありません。ここからは、この子たちの担任として私が承ります」

「で、ですが。やはりここは教育指導を任された私が」

「彼らとは去年からの付き合いです。私は一年生の時も彼らの担任をしていましたので。ですから、彼らも私の方が話しやすいでしょう」

「し、しかし」

「先生。先生の教職員としてのご立派な信念とご活躍は、私も耳にしています。ここは教師としては若輩者である私を育てる良い機会だと考え、どうか役目を譲っていただけないでしょうか」

「……ふむ。そうだな。生徒だけではなく、後続を育て上げるのも教師の役目か。分かりました。後のことは松居先生にお任せしましょう。も、もし何かお悩みのことがあれば、遠慮なく私を頼ってください!」

「ふふ。はい。頼りにしています」


 松居先生の微笑みを受けて、ゴリ松は鼻息を荒くしながら生徒指導室を去っていった。奴が遠くに行ったのを確認してから、松居先生は「チッ」と大きく舌打ちをする。


「相変わらずキメエなあいつ。下心が丸出しなんだよ」


 俺たちの知っている松居先生が帰ってきた気がした。先ほどまでの清楚スマイルは、正直俺としては鳥肌物だった。


「で、例の噂は嘘なんだな?」


 彼女にそう訊ねられ、俺は勢いよく「はい!」と答えた。すると先生はニッと笑う。


「だろうな。だが、火のないところに煙は立たないというか。訳ありではありそうだけどなぁ」


 松居先生は全てを見透かしているような目でこちらを見てくる。だけど、その目から敵意は一切感じ取れなかった。






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松居先生の初登場回は第11話です。

名前は出ていませんが。

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