第70話

 彼への想いに気づくのに遅れたことが、そのまま彼を手に入れる競争の出遅れに繋がった。


 今までは見えてこなかった、彼と晴の親しげなやり取りが目につくようになり、私は焦った。


 その結果、私はある行動に出てしまった。


 彼女になくて、私にはある利。それは、周囲が認識している彼との関係の違い。彼女と彼はいがみ合っているようで仲が良いお友達といった印象。一方で、私と彼は、一年間以上恋している男とその片想いの相手。


 だから、私が「瀬古蓮兎と付き合うようになった」と一言言えば、それは周囲の人によって一瞬で事実となる。


 こうして、校内では私と蓮兎くんが付き合っていることになった。


 それに対して、もちろん晴は怒った。どうしてこんな勝手なことをしたのだと。しかし、約束を破って彼にアプローチを仕掛け続けている彼女に言われたくない。


 学校で話すことでもないので、その日の夜、私は晴と通話をした。


 自室で最近買ったマカロン型のクッションを抱きかかえながら、晴に通話をかける。すると彼女はすぐに出た。


『もしもし』

「こんばんは」

『ちゃんと説明してくれるんだよね』

「えぇ。もちろんよ」


 こんなにも刺々しい口調の晴は初めて……いえ、あの河川敷で彼が倒れる直前に言い合っていた時以来ね。


『どうしてあんなことしたの。美彩らしくないよ。レンも困ってたよ』

「仕方がないじゃない。晴が彼にアプローチを仕掛けているのだから、私も何かしないといけないと思ったの」

『……あたし、別に何もしてないよ』

「嘘をつかないで。あなた、放課後に家に帰った後、彼と二人で会っているでしょう」

『……二回だけだもん。それに一回目はレンから来てくれたし』

「……そう。それで、二回目は先週の月曜日かしら」

『えっ。どうしてそれを……レンから聞いたの?』

「彼からは何も聞いていないわ。ただの勘よ。まあ、あなたの反応からして当たっていたみたいだけれど」


 スマフォのスピーカーから「うぅ」と晴の情けない声が聞こえる。こんな状況なのに、そんな反応も可愛いなと思わされる彼女が愛らしいし、妬ましい。


『た、たしかに先週の月曜の放課後、レンと二人で会ったよ。それと昨日と一昨日はレンとデートもしたもん』

「……何ですって。あなた、そんなことまでしていたの?」

『別にいいじゃん! だって、先に約束破ったの美彩なんだし!』

「私が?」

『ゴールデンウィークの最終日、レンに通話してたじゃん!』

「……たしかに先に約束を反故にしたのは私ね。ごめんなさい。でも、その件については翌日に謝罪したじゃない。それにあなたも通話をしていたから、今後は二人とも気を引き締めましょうって話もしたでしょ」

『そんなこと言って、また美彩が約束破るかもしれないじゃん。あたしだけ我慢してて、その間にレンを美彩に取られたらって思うと……そんなのあたし、やだよ!』

「あれ以降は私も反省して、何もしていないわよ」

『でもこうして、周りを巻き込んでレンを自分のものにしようとしてるじゃん! もう信じられないよ!』

「それはあなたがアプローチを続けるから……はぁ。ダメね。堂々巡りだわ」


 つい溜息が出てしまう。


 お互いに譲れないものがあるから、一向に話が進まない。


 どう話を進めようかしらと考えていると、今にも泣き出してしまいそうな声が聞こえた。


『……もう、いやだよ。何で好きな人が美彩と被っちゃうの。何で美彩と喧嘩なんかしないといけないの』

「それは……仕方がないじゃない。誰かを好きになるかなんて、自分自身も分からないのだから。それに、彼は一人しかいないのだし」

『レンが二人いたらよかったのにね』

「ふふ。もしそうなったら、彼らはお互いに文句を言い合って喧嘩してそうね」

『あはは。なんか分かる。レンって自分に厳しいところあるから、自分が目の前にいたら大変そうだね』

「そうね」

『…………』

「…………」


 先ほどまであんなにも険悪なムードだったのに、気がつけば今までのように和やかな雰囲気で話している。彼に関する話で喧嘩をしていたのに、楽しく話せる話題も彼のことなんて。


『……えへへ』

「……ふふっ」


 私たちはどちらかともなく笑い出した。やっぱり、私たちに喧嘩は難しいらしい。


『……はぁ。ごめんね美彩。あたしが暴走しちゃったんだよね』

「違うわ。暴走してしまったのは私の方よ。こんな手段、使うべきではなかったわ」

『もー、そうだよ! レンにも謝らないとね。……でも、どうするの? この事態を収めるためには、皆に「レンと別れた」って言うしかないよね』

「そ、それは……」


 自分が蒔いた種の処理とはいえ、それは非常に苦痛な行為だ。


『もー、仕方ないなぁ。先週はあたしがレンを独占しちゃったのもあるし、とりあえずこの一週間。レンを美彩に譲るよ』

「……いいの?」

『ちょっとあたしも悪かったところあるしね。お互い様ってことで。でも来週には事態のしゅうしょく? に取り掛かってもらうからね!』

「ふふ。収束ね。分かったわ。ありがとう、晴」

『えへへ。だって、あたしたちが仲良くしてないと、レンが心配しちゃうもん。もちろん、美彩と喧嘩するのもいやだしね』

「……そうね」


 私の親友はとても気配りのできる子だ。だけど、彼に対してだけは甘えんぼうなところがあったイメージなのだけれど……もしかしたら、彼女も成長しているのかもしれない。


 その事実に気づいた私は、親友の成長が微笑ましくてクスッと笑っていた。




 * * * * *




 今日は彼が我が家に遊びに来てくれた。と言っても、半分騙して誘い込んだみたいなものだけれど。


 彼が持ってきてくれたケーキは計7個もあった。申し訳ないし、我が家だけで全て食べ切ることもできないので、3個ほど持って帰ってもらうことにした。


 無駄になってしまったケーキ代を払おうとしたが、彼は断固として受け取ってくれなかった。私の嘘が原因で彼に大金を使わせてしまった罪悪感を覚えていると、


「前うちに来たときに美彩から貰った手土産のお返しになったし、分けて貰った分は来週の父さんの誕生日ケーキの代わりにするよ」


 と言ってくれた。それが彼なりのフォローの言葉なのだと瞬時に悟る。


「それなら、お父様には私から改めて当日にケーキをお渡しするわね」


 と返すと、


「それは……うちの父さん、喜びすぎて天に召されてしまいそうだ。誕生日が命日になるのは洒落にならんからやめてくれ」


 なんて冗談を言って、彼は意地でも私に償いをさせてくれない。


 そんな彼のことを、私は心の底から愛している。


「それじゃ、お邪魔しました」


 彼が帰っていくのを玄関からお見送りする。こちらに背中を向けて去っていく彼の姿を見て、思わず口にしてしまう。


「蓮兎くん。あなたのことが好きよ。大好き」


 すると彼はこちらを振り返り、


「俺もだよ。俺たちは今から恋人同士だな!」


 ……なんて。あと半年ちょっと早ければ、そんな返事が返ってきたのだろうけど、


「ありがとな、美彩。……俺もだよ」


 彼は眉を下げて笑い、そんな返答を返してきた。


 完全にドアが閉まり、彼の姿を見ることが不可能になってやっと私の足は動いた。


 そのまま階段を上り、自室へと戻る。そして、彼が先ほどまでその上に座っていたクッションを手に取り、抱きしめる。わずかに彼の匂いがして、身が震える。


 クッションを抱きしめたままベットに倒れ込み、顔をクッションに埋める。


 しばらく瞑想した後、クッションから顔を離して胸のところへ戻す。


 ふと脚を見ると、スカートが捲れ上がっていた。彼は脚が好きかもしれないと思って、今日は生足にした。パンツより脱がしやすいし、最悪そのままでも行えるようにスカートにした。彼に可愛いと思ってもらいたいから、一番お気に入りの下着にした。


 感情が込み上がってきて、再び顔をクッションに押し付ける。目元が熱くなっていき、次第に周りが濡れていく。


「どうして……? 私じゃダメなの……? あなたの想いを長い間蔑ろにしてきたから? 自分の気持ちに気づくのが遅かったから? ……晴の方が大事だから?」


 自分で口にしておいて、その言葉に心が傷ついていく。一種の自傷ねと自嘲する。


 クッションを抱きしめたままスマフォを手に取り、慣れた手つきで操作し、スピーカーを耳元に当てる。


『美彩』

『美彩』

『美彩』

『おいこら美彩』


 スピーカーから、彼が私の名前を呼ぶ音声が流れる。その度に、私の心臓は跳ね上がり、身体が震える。


 ちょっとした出来心だった。録音していたファイルの中に、彼が私の名前を呼び続けるシーンがあったため、そこだけを切り取って別のファイルとして保存した。そして、たまにこうして彼の声を聞いている。


 彼の声を聞いていると心がざわつく。そして同時に落ち着く。そんな矛盾した効果を持つ特効薬が、彼の声。


 少し後ろの音がうるさいのが欠点。いつか、静かな場所で録音させてくれないかしら。そんなお願いをしたら、変な女だと思われるかしら。でも、彼は断らないだろうなと思う。恥ずかしそうに頬を掻きながら、「俺の声なんて需要ねえだろー」なんて言って。


 蓮兎くん。好き。好きよ。あなたのことが好き。今ならいくらでも言える。あなたが私に言ってくれた回数より多く、私から言ってあげられる。興味を持ってくれるのなら、私の身体を自由にしてくれてもいい。今までの私の行いを償うためにも、あなたの望みを何でも聞くから。だから、だから、だから。


「私のものになってよ、蓮兎くん……」


 私はクッションを強く抱きしめながら、消え入るような声を漏らす。

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