第135話
母さんから過去の話を聞いた俺は、一晩悩んだ末に前を向くことができた。
それはある意味彼女との別れを意味しているような気がしたが、迷いはなかった。彼女もこんな兄は嫌だろう。
さっそく行動に移そうかと思ったその時、俺の携帯が着信を知らせる。
『どもども先輩!』
かかってきた通話に出ると、小井戸の元気な声が聞こえてきた。
『ご機嫌いかがですか?』
「おかげさまで機嫌はすこぶるいいよ。ただ、やけにタイミングがいいなって思ってるだけだ」
『タイミング? なんのことっすかー?』
小井戸はとぼけたような口調で言うが、俺の先の行動は小井戸にけしかけられたようなもんだ。
しつこく聞いたところではぐらかし続けるだろうし、今はいいか。
「まあいいや。ところで何の用?」
『えー。用がないと通話かけちゃダメなんすかー?』
「いや別にいいけど」
『……いいんすね。もー、先輩はお友達も少ないですし、ボクでいいならいつでも話し相手になりますよー』
「え。なんで俺、軽くディスられた上に後輩に憐れまれてんの?」
むしろ俺は気を遣った方なのに。
『まあまあ。気にしないでください。ちなみに用はありありなんすけど』
「あるんだ。ありありなんだ。今の会話なんだったの?」
『今度、先輩のお家の近くでお祭りがあるじゃないっすか。そこに一緒に行きましょうっていうお誘いの通話ですよー』
「あれ、会話できてるのかこれ」
『紗季ちゃんも楽しみにしてるみたいっすよ。先輩、来ますよね?』
「そりゃ紗季ちゃんに期待されちゃ行くしかないだろう!」
『うわぁ。その反応はちょっと引きますね』
「俺をディスる時だけ会話できるシステムやめて」
冗談っすよーと笑う小井戸の声を聞いて、俺はわざとらしくため息をつく。
「集合場所は会場前とかにする?」
『うーん。ボクはそのつもりだったんすけど、ちょっと紗季ちゃんからご要望がありまして。近くのとあるお店に来てもらいたいんすよ』
「お店?」
『あとでそのお店の住所を送るので、それを参考にして来てください!』
「え、うん。了解」
よく分からないけど、お店の情報が送られてきた時に分かるか。
「…………」
用件は俺を例の祭りに誘うことだったみたいだから、これで話は終わりかなと通話を終了するタイミングを計るために無言でいると、「あの」とこちらの様子を伺うような声が聞こえてきた。
「もう少し、お話ししてもいいっすか……?」
どこかしおらしいその態度に一瞬戸惑いつつも、俺は少し笑って「あぁ」と返事をする。
すると嬉しそうな声が返ってきて、その時にはいつもの調子に戻っていた。
それから小井戸との通話は一時間ほど続き、俺は散々ツッコミをさせられたのだった。
* * * * *
「どうですか、蓮兎さん。似合ってますか?」
「うん。とっても似合ってるよ」
「えへへぇ、よかったです!」
祭りの日の当日、俺は例のお店にやって来て浴衣姿の紗季ちゃんを褒め称えていた。
「蓮兎さんもお似合いです! その、かっこいい、ですっ!」
「ありがと。ちょっと恥ずかしいけどね」
なんと俺の分も予約してくれていたらしく、流されるがままに俺も浴衣に着替えていた。
「一泊二日でレンタルしてるので、明日また返しに来てくださいね」
同じく浴衣に着替えた小井戸が姿を現す。
「了解。小井戸も似合ってるな」
「あ、ありがとうございます。先輩のことだから『馬子にも衣装だな』とか捻くれた言い方をしてくると思ってたんすけど、まさかストレートに褒めてくださるとは」
「俺にどんなイメージを持ってるんだ。小井戸は見た目はいいだろ」
「うへへ……え!? 見た目はってどういうことっすか! 中身は残念って言いたいんすか!」
「中身も素敵だと思うよ。たまに生意気な後輩モードになるけど」
「……先輩はボクのことウザいとか思ってますか?」
「思ってたらこうして一緒にいないだろ。悪かったよ。小井戸と一緒にいて楽しいよ」
「うへへ。っすよね、っすよね! もー、先輩は捻くれてて素直じゃなくて唐変木なんすから!」
「少し揶揄っただけなのにカウンターがすごい」
小井戸とのやり取りはいつもと変わらない。だけど、少しだけ違和感を覚えた俺はそれが何なのかを考える。
「れ、蓮兎さん!」
紗季ちゃんが俺の浴衣の袖を掴んで引っ張りながら、俺の名前を呼ぶ。
「どうしたの?」
「見てください。髪もセットしていただいたんですよ」
「うん、綺麗だね。さすがプロの技。そしてそれが似合う紗季ちゃんマジで天使」
「えへへぇ。ありがとうございます! ……ところで、その、わたしの内面はどうでしょうか」
「え、性格もメイクされたの?」
「もう! そんなわけないじゃないですか! 蓮兎さんはいじわるです……」
紗季ちゃんの綺麗な目に涙で潤い始める。
「ごめんごめん。紗季ちゃんは内面も綺麗で、小悪魔寄りの天使みたいな性格だよ」
少し焦りながらそう答えると、紗季ちゃんは「蓮兎さんは本当にいじわるですねっ」と笑う。その目には先ほどあったはずの涙は消えていた。
うーん。やっぱり天使寄りの小悪魔だったかもしれない。
* * * * *
カランカランと下駄の音を鳴らしながら祭りの会場へと向かう。
この地域で一番大きい祭りということもあって流石の賑わいを見せている。人混みの中を慣れない下駄で歩くのは少ししんどい。
だけどそんな苦も気にならないくらい楽しい雰囲気に包まれ、俺たちは立ち並ぶ屋台を物色する。
「先輩! 射的がありますよ射的! あの可愛いお姉さんを撃ったらお姉さんをいただけるんすかね」
「お縄を頂戴されるだけじゃないかな。撃ち抜くのはお姉さんの心だけにしときな」
「それだと、お姉さんの大事なものを盗んだ容疑がかかっちゃいそうっすね」
「どのみち警察に追われるのかぁ」
なんて冗談を小井戸と話して笑う。
「チョコバナナ、美味しそうです」
「買ってあげようか?」
「いいんですか? ありがとうございます!」
「紗季ちゃんの笑顔が見れるなら安いもんだよ。すみません、一本ください。……はい、どうぞ」
「えへへぇ、いただきます! はむっ……ん〜、蓮兎さんのバナナ、美味しいですっ」
「語弊語弊。語弊を生むって」
少し怪しい会話を紗季ちゃんと繰り広げる。
そんな感じで俺たちは祭りを楽しんで歩いていると、りんご飴の屋台が俺の目に止まった。それにより会話が止まったことで、二人も俺の視線の先を辿る。
「あ、りんご飴。祭りといえばって感じっすね」
「代表格の一つだな」
「先輩、買うんすか?」
「いや、目に止まっただけだよ。紗季ちゃんは?」
「わたしは食べたいですっ。あ、大小どちらのサイズも同じ値段ですよ! 大きい方がお得ですし、大きい方にしようかなぁ」
紗季ちゃんが小さい手で値段を指差してそう言う。
「あー……小さい方がいいんじゃないかな」
「え、どうしてですか?」
「まさか、この陽気な場で日本昔話みたいな試練を課しているんすかあのお店は」
「いや純粋に店主さんの善意だろうけど……ほら、りんご飴って大きいと食べづらいじゃん。特に女の子は、さ」
「あー、たしかにそうっすね。最初の一口悩みますよね」
「そういうこと」
小井戸は納得した様子を見せてくれる。
紗季ちゃんも少し考え込んだ後、「そうですね」と納得の意を示してくれる。
「でもわたし、大きいものでも口にできるようがんばりますね、蓮兎さんっ」
「ごめん、言ってる意味がよく分からないや」
* * * * *
あれからしばらく祭りを堪能した後、そろそろ花火が打ち上がる時間が迫ってきた。
屋台が立ち並ぶ通りで突っ立って眺めるわけもいかないので、通りから外れて花火がよく見える場所に移動したいところ。
それはみんな同じみたいで、絶好のスポットを勝ち取るために移動する人たちの流れが一斉にできてしまい、俺たちはその波に攫われてしまった。
結果、俺は二人とはぐれてしまったのだった。
「ひとまず連絡入れるか……おっ」
小井戸にメッセージを送ろうと携帯を操作していると、小井戸からの着信を知らせる画面に切り替わった。俺はすぐに応答する。
『もしもーし』
「もしもし。大丈夫?」
『はい、大丈夫っす。紗季ちゃんも一緒っす』
「おーよかった。それじゃあ、どこかで合流しようか」
合流するための分かりやすい場所はどこがいいかなと考えていると、小井戸が少し強めの口調で話し始めた。
『先輩! この人混みの中合流していたら花火の時間に間に合わなさそうなんで、いっそのこと別々で見ませんか?』
「え? でもせっかく一緒に来たのに、それは寂しくない?」
『……でもほら、見逃しちゃう方が悲しくないっすか? せっかくの花火っすよ?』
「うーん……」
小井戸の発言は一理あるけど、今すぐ動けば間に合いそうな気もするし、そんなに焦って決断することでもないと思う。
『え? 蓮兎さんと合流しないんですか!? どういうことですか茉衣さん!』
後ろから紗季ちゃんの抗議する声が聞こえてくる。
「紗季ちゃんもああ言ってることだし、やっぱりここは合流して——」
『今日は解散! この後はそれぞれ自由行動っす! では先輩、また今度!』
『茉衣さん!?』
「お、おい……って切れてるし」
通話が終了し、さっきまで操作していたトーク画面に戻った画面をスリープさせ、携帯をしまう。
小井戸の意図は分からないけど、あんなに強引な行動も珍しい。いくら食い下がっても、今日の小井戸はもう会ってくれないような気がする。
さて。一人になってしまったけど、花火はどうしようかな。
元から今年も来る予定だったし、一応、見て帰ろうかな。
そうぼんやり考えながら群衆を眺めていると、なんだか懐かしい感覚に襲われた。
体が勝手に動く。
「晴?」
無意識に口にした名前に自信で驚くも、振り返った先にいた人物を見てさらに驚いた。
晴がいた。なぜか俺の裾を掴んでいる。初めて気づいた。
晴と顔を見合わせ、お互いに何も話さない無言の時間が数秒ほど続く。その間、俺たちはまるで周りから切り離された空間にいるみたいで、時間の進みがゆっくりと感じる。
そして俺は気づいた。小井戸がどうしてあんな行動を取ったのか。どうして自由行動なんて言ったのか。
しかし、彼女はどこまで事態を把握しているんだと新しい謎が増えてしまった。
俺は大量に流れ込んでくる情報の処理を放棄するように頭を掻き、一旦、自分に素直になって行動することにした。
俺の裾を摘んでいる晴の手を取る。
「花火、見に行くか」
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