第52話

 俺の体を強く抱きしめてくる晴の腕を剥がすように、俺は彼女の両肩を持って体を離す。やはり男女間の力の差ははっきりとしており、簡単に晴の体を離すことに成功する。すると、彼女はわかりやすく悲しい表情を浮かべる。


「……いやだった?」

「違う違う。ここは外だし日向家の前だからさ、ご近所さんに見られると恥ずかしいだろ?」

「……あたしは別にいいもん」

「俺は恥ずかしいの。だから頼むよ」


 両手を合わせてお願いすると、晴は唇を尖らしながら「わかった」と渋々了承してくれる。


「じ、じゃあさ、家の中に入ろよ。ね。それならいいんでしょ?」

「いや待て待て。それより、どうして俺を呼んだのか教えてくれよ。さっき裾を引っ張ってきたのは、こうして後でここに戻って来てってことだったんだろ?」

「えへへ。うん! そうだよ! さすがレン、あたしの意図を読んでくれたんだね。……えっと、さっきね、あたしが遠足でやる気を出したみたいになってたけど、レンが勉強を教えてくれるって決まったことの方がやる気出たよって伝えたくて。誤解されたままなのは嫌だったから」

「……そっか。ありがとな」


 正直、それだけのために呼び戻されたのかとも一瞬思った。後でメッセージを飛ばしてくれても良かったのにとも。ただ、彼女はこうして直接伝えたかったのだろう。それだけこの思いが本気なのだということが伝わってきて、俺は馬鹿げたことを考えたなと内省する。


 これで話は終わりなら、このまま自分の家に帰ろうかなと思っていると、それを読み取ったかのように晴に手を握られた。


「……あとね。レンとこうして二人きりになりたかったの」


 彼女はそう言って、俺の手を強く握った。


 その彼女の言葉と仕草に、俺の心はときめいてしまう。彼女を抱きしめたいという強い衝動に駆られるが、先ほど自分の言った言葉がそれをなんとか抑えてくれる。


「それに……ゴールデンウィーク中は仕方なかったけどさ、連休明けからも、その、してないじゃん。そろそろ爆発しちゃわない?」


 晴が顔を真っ赤にしながら、そんなことを聞いてくる。


 彼女が言わんとすることはすぐに察せた。俺たちが二人きりになったこと自体、連休明けのあの日以来だ。休日も最近は出かけていないので、そういったことをする機会がない。


「爆発はしないかな。大丈夫だよ」

「で、でもさ。レン、意外と元気だから……」


 そう言って、晴の視線は俺のヘソの下に移動する。その目はどこか熱を帯びているように思えた。


「ねぇレン。今からしようよ。あたしの部屋、行こ?」

「……いや、今日はもう帰るよ」

「どうして? あたしとするのはもう嫌になっちゃった? もう、したくない?」

「違う違う。ほら、もうこんな時間。そろそろあきらさん帰ってくるだろ」


 放課後、一度電車を使って日向家を訪れて、その後夜咲家に行って、そしてそこから歩いてまた日向家に来ている。そのため、ここまで結構な時間を消費してしまっている。晴のお母さんである陽さんが帰ってくる時間が近い。陽さんには晴の彼氏として通っているが、さすがにそういうことをしている所に帰って来られると焦ってしまう。


 晴は「そっか」とだけ呟き、俯いてしまった。なんて声をかけてやればいいだろうかと思考を巡らせていると、晴がばっと顔を上げて言った。


「じゃあさ、今週の土曜日うちに来てよ」

「え? でも休日は陽さんとお父さんがいるって言ってたよな」

「うん、お母さんはいるよ。お父さんは休日出勤でいないけど。あのね、最近お母さんが『レンくん最近来てないみたいだけど、別れちゃったの?』って聞いてくるんだよ」


 別れるもなにも、本当はまだ付き合っていないが。しかし、このまま日向家にお邪魔しない日を続けるのも難しいってことか。


 陽さんがいるなら、そういう展開にもならないだろうし。陽さんに顔を見せるっていう目的のためにも、


「分かった。じゃあ土曜日にお邪魔するよ」

「やったぁ! 今から楽しみだなぁ」

「ついでだし、勉強道具も持ってくるよ」

「うっ。お手柔らかにお願いします」

「理系に進むためには、夜咲を説得できる学力を身につけるしかないんだ。一緒に頑張ろうな」

「……うん! ありがと、レン!」


 彼女とは健全なお付き合いをしたいと思うが、それももう手遅れなのかなと思い、彼女の笑顔を見ていると胸が締め付けられる感覚に襲われる。




 * * * * *




 翌日。


 本日三つ目の授業が終わり、机の上を整理していると一つの影が俺の席に近寄ってきた。顔をあげると、そこには甲斐田が立っていた。俺の席の前から移動しようとしないので、俺に用事があるのだと悟る。


「何か用か?」


 そう訊ねると、甲斐田は気まずそうな表情を浮かべながら答える。


「あの、さ。瀬古って最近、夜咲に告白しなくなったよな」


 俺は入学してからほぼ毎日、美彩に愛を叫んでいたのだが、ゴールデンウィークを明けてからそのような行為をしなくなっていた。


 流石にクラスメイトである甲斐田はそれに気づいたみたいだ。正しくは去年の11月ごろから告白自体はしていないのだが。


「そうだな」

「教室以外でしてたりは?」

「いや、してないよ。場所やタイミングを変えたわけじゃない」

「……そうか。やっぱり、こうなったのも俺たちのせいか?」


 一瞬どういうことかと思ったが、タイミング的にあの交流会のせいで、俺はその行為を自粛しているのだと考えたのだろう。


 それは半分正解だ。あの事件があったからこそ、彼女たちの気持ちというものを知れて、俺は今迂闊なことをしないようにしている。それには愛の叫びも含まれている。


 あと、しつこい告白というものに嫌悪感を覚え始めたというのもあるが。


「あながち間違ってないけど、そんな気にするなよ」

「いや、そうは言ってもやっぱり責任を感じるというか。昼休憩もあの二人を置いてどこか行ってるだろ?」

「体調が悪くて保健室に行ってるだけだよ」

「……知ってるか? 最近、瀬古が一緒にいないから、あの二人を狙ってる奴が増えてきてるんだ」

「……え?」

「その反応、知らなかったのか。既に何人か告白までしているぞ。いずれも振られてるみたいだが」


 それは初耳だった。二人からも聞いたことがない。


 どうして俺に黙っていたんだろうと疑問が頭によぎったが、おそらく俺を心配させないように気を遣ってくれたのだろう。気づくことができなかった自分に腹が立つ。


 だけど、ずっと彼女たちに一緒にいるのはやはり辛い。最近、小井戸とのあの裏庭での時間がオアシスになりつつある。


「一応、俺たちの方で変な奴が近寄らないか目を光らせておくけど」

「俺たち?」

「あぁ。うちのクラスのサッカー部員全員、お前に責任感じてんだよ」

「それは……なんか悪いな」

「いいんだ。俺たちが馬鹿だったんだよ」


 甲斐田たちも先輩である荒平に脅されるような形だったと聞くし、そこまで責任を負わなくてもいいと思うが、二人を守ってくれるというのならありがたい。


「ところで、荒平のやつは最近どうなんだ?」

「ん? あぁ。あの人なら、最近は別の子にお熱だよ。だから日向の心配もそこまでしなくていいと思う。もちろん、しないに越したことはないけど」

「直属の先輩に対する信頼が感じられないな」

「近いところにいてあの人のことを理解しているからこそ、そう思っちゃうんだよ。あの人の執着心は異常だ。今のエースストライカーっていうポジションも、下馬評を覆して勝ち取ったもんだし」


 甲斐田の口ぶりから、甲斐田は奴の人間性自体は称賛していないものの、1サッカープレイヤーとしては評価していることが分かった。


 それじゃあと自分の席に戻っていた甲斐田の姿を見ながら、さっきの話を思い出す。とにかく、今は早く俺たちの問題を解決しないと。






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追記(22/12/20):

公式からの全体向けアナウンスを受け、ひとまずタイトルの「性欲」の部分を伏せ字にしました。本文では変わらず「性欲」を使っていきます。

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