第7章 わんこといっしょ

第51話

 今日もいつも通り、俺と美彩、そして晴の三人で下校する。


 結局、放課後に晴と二人きりになったのは初日のみで、それ以降は美彩と解散した後そのまま自分の家に帰っている。晴から特に不満の声はないが、内容は雑談のメッセージは頻繁に来るようになった。返信の間隔を空けると追撃が来るため、結構時間を拘束される。


「この時期って学校行事何もなくてつまらないよね〜」

「そうね。その分、秋は忙しいのだけれど」

「運動会くらい春に持って来れなかったのかな? 新クラスで一致団結できるいい機会だと思うんだけど!」

「なんか昔の校長が『文化の秋! 運動の秋! つまり文化祭も体育祭も秋!』って言い出したのが原因みたいだぞ。ソースは小田」

「うわぁ、予想以上に安直な理由だった」


 おかげさまで、俺たち生徒はバタバタ忙しい秋を過ごすことになっている。ただ、涼しくなり始める時期なので、そういった面ではちょうどいいとも言える。


「三年生は受験の本番が近いこともあって、あまり本気で取り組まないって話を聞いたわ」

「えぇ!? じ、じゃあ今年が実質最後ってこと!?」

「まぁ学校行事なんて参加している余裕はないだろうなぁ。時間があるなら勉強したい時期だろ」

「息抜きだって大事だよ! あたしたちは来年も本気でやるよね? ね?」

「そもそも同じクラスになるか分からないわよ」

「美彩! それは言わないでよ! 今から緊張してくるじゃん……離ればなれになるのは嫌だよぉ……」


 クラス替えまでまだあと一年近くあるのに、今からそのことを気にしていたらメンタルがもたない気がする。


 しかし、俺としてもこの3人で最後の一年間も過ごしたい。


「来年は文理選択で分けられるらしいな」

「文系クラスと理系クラスってことね。三年生からって少し遅い気がするわよね」

「そうだな。かと言って、一年生の時に文理選択迫られても困るけど。一応、今年の後半は文理選択の結果によって受ける授業も変わってくるみたいだぞ。ソースは小田」

「ふふ。あなたの情報源、小田くんしかいないじゃない。ちなみに瀬古くんはどっちにするつもりなの?」


 親しい友人は、二人を除けば小田しかいないのだから仕方がない。


 そして、その質問については即答することができる。


「俺は理系にするつもり。夜咲……はやっぱり理系か。医者を目指すんだったよな」

「えぇ。志望理由はなんとなくだったけれど、最近は明確な理由ができたの。だから一層頑張ってみようと思うの」

「そりゃいいことだ。俺は学部までは決まってないからなぁ。とにかく、応援するよ」

「ふふ。ありがとう。瀬古くんも、一緒に頑張りましょう。進路相談も私にお手伝いできることがあれば、協力するわ」

「おー助かるよ」


 理系と言ってもその幅は広い。理学系、工学系、医学系など。それらの系統から選び、さらに細かい専門を見て、自分の興味や適性と合っているのかを見極めなければいけない。


 美彩は早い内から大学調査を行なっていた。なので進路相談の相手としてはとても頼りになる。ありがたい申し出だ。


「え、え。二人とも理系なの!? ……じ、じゃあ、あたしも理系にする!」


 そして、いちばん進路相談をしないといけない人が一人いた。


「晴。そういう進路の選び方はあまり良くないわ。自分が将来何をしたいのかを思い浮かべて、それが叶う進路を選択しないと」

「で、でも。あたしは一緒がいいんだもん……それが今、あたし自身が望むことなの」


 晴はそう言って、俺の方をじっと見た。その目は真剣なもので、この発言が晴の真意なのだと伝わってくる。


「でも日向って理数系苦手じゃなかったっけ」

「うっ。そ、そんなのこれから克服するかもしれないじゃん。それに、自分がしたいことを叶えるために進路を選択するんでしょ? 得意とか苦手とか関係ないじゃん!」


 それはそうなのだが、やはり受験は非情なもので、実力が伴っていないとその道に進む権利は与えられない。


「晴。その道に進むことを決めること自体は自由だけれど、その後に苦労するのはあなたなのよ」

「だ、だったらさ! あたしに勉強教えてよ! 瀬古って数学と物理得意だったよね?」

「え、俺? まぁ数少ない得意科目だとは思ってるけど」

「じゃあさ、あたしに数学と物理教えてよ。ね、いいでしょ?」


 上目遣いでそう訊ねてくる晴に、少しだけ心が動いた。


 人に教えること自体が勉強になるととも言うし、俺にとっても悪くはない提案だ。晴が本気で理系を選択するのであれば、力になってやりたいとも思う。


「俺は別に——」

「晴。あなた、物理は嫌いって言ってたでしょ。それに、どちらかというと生物の方が好きじゃなかったかしら」

「……そ、そうだけどさ。ほら、先生が言ってたじゃん。物理の方が受験できる大学や学部が多くなるって。だから……」

「だからといって無理に苦手な科目に飛び込む必要はないわ。それに、最近は生物でも受験できるところは増えてきているし」

「で、でも! ……でも、あたしは……」


 美彩の言うことは全て正論だ。入学後に活用しない科目を受験科目に設定している大学もあるし、今は合格することに重きを置いて科目を選択することも重要だ。まずは合格しないと始まらないからな。


 そんな美彩に言い負かされて、晴はだんだん気落ちしていっている。


 進路選択の正解なんて分からないけど、おそらく美彩の言う通りにすることは間違っていないのだと思う。だけど、俺は晴の気持ちを蔑ろにすることはできなかった。


「いいよ。俺じゃ頼りないと思うけど、勉強教えるよ」

「瀬古くん!?」

「……ほんと? いいの?」

「あぁ。その代わり、ちゃんと勉強してもらうからな」

「うん! 任せてよ!」

「なんて頼りない『任せて』なんだ」

「なにそれひどい! ……えへへ」


 晴にいつもの元気が戻ってくる。それだけで俺の選択は正しかったのだと思わされる。


「瀬古くん……あなた」

「いや、夜咲の言うことも分かる。むしろ正しいと思ってるよ。だけど、本人が望む道に進むことは決して間違いじゃないと思うんだ。それにモチベーションの問題もあるし」

「……はぁ。それもそうね。ごめんなさい晴、少し言い過ぎたわ」

「ううん。あたしのことを想って言ってくれてるって分かってるから! むしろこっちこそごめんね」


 なんとか夜咲が納得してくれたところで、俺はこの提案に条件を付ける。


「ただし、とりあえず夏までな。夏休み前に実施される進路選択のアンケート、そこがタイムリミットだ。それまでに晴の学力が向上しなかったら、また三人で考えよう」

「うん、わかった」

「それが良いわね」


 こうして晴の第一回進路相談は終了し、俺が晴に数学と物理を教えることに決まった。第二回が来ないことが、俺の成功と言えるだろう。


「話は戻るけど、学校行事といえば遠足があるんじゃないっけ」

「あ、そうだよ! 去年は雨で中止になっちゃって忘れてたけど、来月にあるよね!」

「私も完全に失念していたわ。そういえばあったわね。それにしても、どうして梅雨時にするのかしら」

「じめっとした空気を追い払うために元気な行事を! ってことらしい。ソースは小田」

「うちの学校の意思決定に知性を感じられないわ……」


 他の大型イベントとは違い事前準備もないため印象が薄いが、一応一年の前半にもこのような学校行事が用意されていたことを俺たちは思い出す。


「なんだかやる気出てきた! よーし、やるぞー!」

「遠足でやる気が出てくるのか。そこは俺が教えるってことで出てきて欲しかったな」

「ふふ。まぁ晴らしいじゃない」


 美彩のフォローに「それもそうだな」と返す。


 それから話題は遠足に関する雑談に移り、そのまま晴の家の近くまで話を続けた。


 今日はここで解散だなと思っていると、ブレザーの裾を引っ張られる感触を覚えた。視線だけそちらに移すと、晴が裾を摘んで引っ張っているのが見えた。次に晴の顔を見るが、晴は美彩の方を向いて談笑している。彼女の意図を推し量っていると、それ以上は何もなく彼女の手が裾から離れていった。


 晴の家の前に着き、彼女は俺たちに向き直して「今日もありがとね!」と笑顔を向けてくる。


「いいのよこれくらい。また明日ね、晴」

「またな」


 俺たちも挨拶を返して、来た道を戻る。美彩と一緒に電車に乗り、隣の駅で降りて夜咲家までまた一緒に歩く。最近のルーティンだ。流石に初日のようなキスやハグとかはない。


 そして美彩とも別れた俺は、そのまま歩いて日向家へと向かった。彼女のあの行為の意味を推考した結果だ。


 それは正解だったみたいで、日向家の前には数十分前に別れたはずの彼女の姿があった。俺に気がつくと、彼女は満面の笑みを浮かべて駆け寄ってきた。そしてそのまま抱き着いてくる。


「あたしの気持ち、気付いてくれたんだね。嬉しい。やっぱりあたしにはレンしかいない。レン。レン。レン」


 また不安定になってしまった彼女を見つめながら、ここにはいない小井戸に心の中で語りかけた。


 刑事の言う通りだったよ、と。

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