第53話
俺は最近、この裏庭をオアシスだと自分の中で呼んでいた。
ここにいる間は考え事から解放され、頭痛を忘れることができるのだ。
軽い足取りで今日も昼ご飯を食べ終えてオアシスに向かう。人影が見えたので、既に小井戸が来ているのだと思ったが、その人影は二つあった。思わず隠れてしまう。
「小井戸、好きだ! 俺と付き合ってくれ!」
突然の告白に、俺はこのオアシスが校内有数の告白スポットであることを思い出した。裏庭は静かなオアシスなどではなかった。
「ごめんなさい。
小井戸が丁重に断ると、告白をした先輩男子は肩をガックリと落としながらも、「話を聞いてくれてありがとう」と言って潔く去っていった。
告白後すぐに顔を出すのは気が引けるなと思い、近くの自販機でいちごミルクを購入して少し時間を空け、いつものベンチへと向かった。
ベンチに座り、告白なんてなかったと言わんばかりにのんびりしている小井戸の頬に、後ろからいちごミルクのパックを当てる。
「ひゃっ!? な、なんですか!? って先輩じゃないっすか」
「お疲れ。驚かせたお詫びにこれやるよ」
「先に買っておいてそれを言うなんて、やっぱり先輩はツンデレっすね! ありがたくいただきます!」
小井戸は俺から受け取ったいちごミルクを一口飲んで、ニヤリと笑みを見せてくる。
「先輩、さっきの見てましたよね?」
「……なんのこと?」
「とぼけちゃってー。このいちごミルク、本当は告白現場を見てしまったお詫びなんすよねー?」
「……違うけど?」
「そこで『告白?』ってならないあたり、隠しきれてないんすよー。あ、でも別の理由もありますもんね。じゃあそっちも言いますよ。ズバリ、告白を受けて断るという重労働をしたボクへの労いっすね!」
「怖い怖い怖い怖い。見ろよこれ、鳥肌立っちゃってるよ」
「チキンな先輩にお似合いっすね」
「おいこら」
俺が少し怒ってみせると、小井戸はにひひと笑って再びいちごミルクを飲み始める。
小井戸のこの感じに俺は救われている気がするが、この地はオアシスではないことを思い知らされたのを思い出す。
「ヘイ小井戸。安息の地を教えて」
「ここっす!」
「ここはディストピアだよ。後輩によく絡まれて心を抉られていく」
「でもその後輩といる時間がかけがえのないものだと気づいたんすよね?」
「肯定するのも癪だな」
「ひどいっすよ先輩! でも遠回しに肯定してくるところ、ツンデレ先輩らしくて良いっすね!」
なんか小井戸の中で俺がツンデレキャラとして確立しつつあるのが気に入らない。俺はいつだって素直だよ。ただたまに、恥ずかしくてストレートな言葉を使えないだけ。
「後輩といえば、あの無神経カップルは最近来ないな」
「無神経カップルって高畑さんたちっすか? あの子たちはここに見切りを付けて、イチャイチャできる別の場所を求めて旅に出ましたよ」
「何やってんだあいつら。って、ここは告白スポットだけでなくてイチャイチャスポットでもあったのか」
「高畑さんたち的にはそうみたいですよ。だから今のあたしたちを高畑さんたちに見られたら、先輩の浮気現場激写っすよ」
「それは……面倒だな」
「ちょっと! 途中であたしを見て言わないでくださいよ! まるであたしが面倒な女みたいじゃないっすか!」
別にそういうつもりはなかったが、否定するのも面倒なのでスルーする。
周りに変に誤解されるのは面倒だが、今まで小井戸と二人でいるときに誰かが近寄ってくることもなかったので、ひとまずは大丈夫だろうと判断する。
「でも最近、周りで告白したされたって話よく聞きますね」
「変なブームが来たもんだな」
「誰かさんがやめちゃったから、代わりを求めてるんじゃないっすか?」
「もしそうだったら終わってるよ」
何で俺のアレが中毒物みたいになってんだよ。
「でも、先輩だって他人事じゃないんじゃないっすか? 夜咲先輩と日向先輩も告白されてますよね?」
「え、小井戸も知ってたの? どうして教えてくれなかったんだよ」
「そりゃ、お二人と同じ理由っすよ。あのですね先輩、ボクがこうして先輩と一緒にいるのも、先輩が悩みから解放されるひと時を作るためなんすよ? それなのに、先輩が頭を抱えてしまいそうなお二人の話題を出すわけないじゃないっすか」
それもそうだ。俺は自分が気付けなかった怒りをどうにかしようと、小井戸に八つ当たりしようとしていただけだ。
「すまん、小井戸。また俺……」
「いいんすよ。そのためにボクがいるんで。どんと甘えちゃってください」
なんというか、完全に先輩の威厳をなくしてしまったな。何なら先輩後輩の立場は逆かもしれない。
「夜咲先輩は最近は人当たりが柔らかくなったって言いますね。やっぱり恋する乙女は変わるもんなんすね」
「たしかに昔の夜咲は美人って感じだったけど、今はふとした可愛さもあるんだよなぁ」
「夜咲先輩に注目が集まると、必然的に近くにいる日向先輩にもスポットが当たるっすよね。夜咲先輩が無理なら日向先輩って感じで。日向先輩も可愛らしいですし、それにあの胸! 野郎どもはあのぼいんに夢中っす!」
「…………は?」
「ちょっ、怖いっすよ先輩。殺意ダダ漏れっす。どうどう。でも、他の人たちからしたら、そんな日向先輩の身体を自由にしている先輩こそ殺したい相手なんじゃないっすか? 二人の関係がバレちゃったら、大変なことになっちゃいますね」
「その件に関しては、本当に小井戸さんには助けられてると言いますか」
「急にそんな下手に出ないでください! 大丈夫っすから、安心してくださいって」
小井戸は俺と晴の歪んだ関係のことを知っている。彼女がその事を吹聴すれば、いとも簡単に俺は学校中で吊し上げを喰らうだろう。
それだけならまだいいが、晴がどのようなイメージを持たれてしまうかが懸念するところだ。恋人でもない人と寝ることができる、そんなイメージを持たれてしまうと、厄介な奴が晴に近寄ってくることもあり得る。
小井戸にこの事を話してしまった当初は後悔したが、今もこうして彼女は口を噤んでくれている。それだけでなく、俺の相談にも乗ってくれている。本当に感謝しかない。だからこそ、多少の弄りも耐えられる。
「先輩は普段先輩ヅラしておきながら、ふとした時にボクを頼りにしてくる不甲斐なさがチャームポイントなんすから」
「いや馬鹿にしすぎな?」
やっぱり生意気すぎるわこの後輩。一度、俺が年上であることをわからせてやりたい。小田が愛読している本ではあっちでそっちでえっちな方法で『わからせ』というものを行うみたいだが、後輩に手を出すわけにはいかない。
そこで俺が思いついたのは——彼女の頭を撫でることだった。
「ふぇ?」
突然のことに、小井戸は素っ頓狂な声を漏らす。そして自分の頭の上で動いている俺の手を確認して、顔を赤くしたり、「何やってんすか?」と睨んでくるかと思いきや、目を細めて気持ちよさそうにしてきた。
「あのー、恥ずかしがるか怒るかなんかしてくれないですか」
「どうしてっすか? ボクは別に構いませんよ。先輩、ボクにあんなこと言われたもんだから、ボクを年下っぽく扱いたくなったんすよね。仕方ないっすねー、ここは後輩として先輩の戯れに乗ってあげますよー」
「もう先輩の威厳は欠片もないよ? 今の完璧な説明でマイナスに到達したよ?」
俺が小井戸に勝てる日なんて来ないのだと悟り、手を動かし続けながらも遠い目をする。
「なんかこうしていると、おに……いや何でもないっす」
「今なに言いかけた? 小井戸を揶揄えるポイントがひょっこり顔を出した気がしたんだけど」
「き、気のせいっすよ! 例え出てきていたとしても、先輩では捕まえられないですって!」
「そうだよな。俺って何の威厳もない無駄に歳だけ食った野郎だもんな。反射神経も衰えてそう」
「うわー元気出してくださいよ先輩ー言い過ぎたのは謝りますからー本当は尊敬してますからー」
やっぱりここはオアシスなんかじゃなかった。ただひたすら、俺が後輩にボコられる、そんなディストピアだ。
小井戸のさらさらとした髪を撫でながら、俺はそう思うのだった。
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公式からの全体向けアナウンスを受け、ひとまずタイトルの「性欲」の部分を伏せ字にしました。本文では変わらず「性欲」を使っていきます。
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