第54話
『わからせ』に失敗した俺は既に小井戸の頭から手を離しており、二人していつも通りに自分のスマフォを触ったりと自由にしながら雑談を続ける。
某動画共有サイトに公開されている犬と猫を飼っている家庭のホームビデオを見ながら、小井戸は言う。
「日向先輩って犬みたいっすよね」
「犬? たしかに日向は犬好きだけど」
「基本的に明るい性格で人懐っこくて、心に決めた人には従順、そして甘えん坊。先輩の話を聞く限り、かなり当てはまるような気がするんすけど」
「……たしかに」
抱きしめ合っていたのをやめる時にしゅんとなってしまうところとか、おやつを取り上げた時の犬みたいだ。そう思えてくると、彼女の仕草がいっそう可愛く思えてくる。
「逆に夜咲先輩は猫っすかね。それも豪邸に住んでるタイプのペルシャ猫」
「いろいろ偏見が凄いが、言わんとすることは分かる」
「基本クールで他人との間に壁を作っているんすけど、心を開いた相手には不器用ながらも甘える感じがそうっすよねぇ。自分の信念に従って生きてる感じも猫って感じがします」
「なるほどな」
彼女の強い意志を持った姿勢は、たしかに孤高な印象を持つ猫っぽい。そんなクールに見える彼女だが、実は甘えたがりで、だけど甘え方が分からずに四苦八苦する感じ、うん、美彩っぽいし猫っぽいな。
こうして改めて彼女たちを見直すと、やはりどちらも魅力的で、二人ともモテるのに改めて納得がいく。
「小井戸、俺は……いや何でもない」
「なんすかー? さっきのボクの真似っすか? 仕返しのつもりっすか?」
「すまん、そんなつもりはないんだ。ふと口から出てきそうになったけど、なんとか飲み込んだから。忘れてくれ」
「えー。まあ、流石のボクでもその質問には答えられないっすねー」
「いや俺まだ言ってないんだけど。なんで質問完了した感じになってんの?」
「え? 夜咲先輩と日向先輩、付き合うとしたらどっちが先輩に合うかって質問ですよね?」
「怖い怖い怖い怖い。もはやエスパーかと疑ってしまうレベルなんだけど」
「魔女っ子マイちゃんですよ、ってうわ引かないでくださいお願いします適当に言ったら当たっててちょっと調子に乗っただけなんですって!」
必死に弁解する小井戸の姿を見て、仕返しに成功した俺は溜飲を下げることができた。そこには先輩の威厳なんて微塵も感じさせない男がいたのだった。そう、俺です。
しかし適当に言ったら当たったとはいうが、ピンポイントすぎないだろうか。やはり小井戸はエスパー……なんて。
「こほん。まぁ先輩の意思決定に影響しないよう、誰かっていうのは伏せてお答えしますし、あくまでボクの個人的意見だと思って聞いて欲しいんすけど」
あ、答えてくれるんだと思っていると、小井戸は両手の人差し指を立てて、まずは右手を上げた。
「こちらの選択肢は、先輩が一番幸せになるルートっす」
「俺が……? その場合、相手は幸せになれないってことか?」
「いいえ、幸せだと思いますよ。ただ、それが何年続くはわかんないっすけど」
「夢のない事を言うなぁ」
「そんなもんすよ。離婚が増え続けている昨今、一度誓った愛も朽ち果てる時があるんだと知っておくことも重要っすよ」
そう語る小井戸の目は、どこか遠くを見つめているようだった。そんな悲しげな彼女の目は見たことがない。声をかけようとすると、「ボク思うんですけど」と彼女は続けた。
「先輩って自分の幸せを追求するっていうより、相手の幸せで自分も幸せになるタイプじゃないっすか?」
「俺ってそんないい奴に見える?」
「ボクの目にはそう映ってますけどねー。それで、もう片方の選択肢なんすけど」
小井戸は今度、左手を上げて言う。
「こっちを選んだ場合、相手は最高に幸せになれるっす。なので先輩ももしかしたらハッピーかもしれないっすね」
「そもそも、好きな人と一緒になれて嬉しくないってことあるのか?」
「そんなこと言うなら、さっさとどっちかと付き合ってくださいよー」
「はい、すみません」
「もういっそのこと、お二人とお付き合いしちゃったりしちゃいますか?」
「それが一番現実的じゃないだろ」
「それもそうっすよねー。ボクもありえないかなーって思います」
「……はぁ」
結局、小井戸師匠のありがたい助言は難しく、俺には活用する機会がなさそうだなと思うのだった。
でも逃げてばっかりではダメだよなぁと考えていると、「きゃっ」という短い悲鳴と共に、俺の左腕に柔らかい感触が襲ってきた。
「虫! 虫がいたっす! ボク、虫ダメなんすよ!」
「そりゃ暖かくなってきたんだから虫くらい出るさ。それより離れてくれない?」
「そんな! 先輩の薄情者! 後輩のボクが虫に襲われていいんすか!?」
「うんうん、それも天命だね」
「いやホント、今はふざてる場合じゃないですってぇ!」
結局、小井戸が騒いでいた虫を俺は見つけることができず、ただ小井戸が一人で騒いでるだけのように感じた。ただ、俺の腕にしがみ付いてくるその感覚は、どこか懐かしさを覚えた。
「まったく……どこら辺にいたんだ?」
「あ、あそこら辺です!」
「軽く追い払ってくるよ。だから腕離して」
「嫌っす! 先輩を盾にしてボクは生き残るんです!」
「その不憫な盾が矛になってお前を守ってやるって言ってんだろうが」
「……今の、ちょっとキュンとしちゃいました」
「小井戸。お前、本当は余裕だろ」
「いやいやいやいや! 本当に怖いんですって〜!」
結局それから虫を見つけることはできず、教室に戻る時間ギリギリまで、小井戸は俺の腕から離れなかったのだった。
* * * * *
そうこうしている内に昼休憩の終了時間が迫っており、俺たちは急いで解散して各自の教室へと戻って行った。
教室のあるフロアにたどり着き、焦った割には余裕で間に合ったなと思っていると、教室の前に晴が立っているのが見えた。近くに寄ると、彼女もこちらに気づいて「遅いじゃん」と不満をぶつけてくる。
「あー、ちょっと保健室のベッドで寝ててな」
「そうなんだ。寝癖がついてないか見てあげよっか?」
「……おー頼むよ」
「どれどれ……って、瀬古の身長高すぎて見れない! しゃがんでよ!」
晴はその場でぴょんぴょんと跳ねる。すると別の物も跳ねてしまうわけで。周りに人がいなかったのが幸いだが、いつ誰かが来るかもしれないため、俺は即座にその場にしゃがみ込んだ。
「お、瀬古のくせに素直にしゃがむじゃん。さーてと、寝癖は……」
俺がしゃがんだことで背の高さの関係が逆転し、晴が俺を見下ろす形になった。晴は俺の頭の上に手を置いて、寝癖を入念に探してくれている。まぁ寝てないからあるはずはないのだが。
しかし、寝癖チェックはすぐに終わることもなく、次第に晴の手はまるで俺の頭を撫でるように動き始めた。
「……日向? もしかして俺の頭を撫でてくれてる?」
「えっ!? えっと、うん。そうだよ。寝癖があったから直してあげてんの」
「マジかよ」
寝癖あったのか。ってことは、俺は朝から髪を一部はねらせておいて呑気に過ごしていたということか? ……恥ずかしい。早く言ってよみんな。
しばらく晴に頭を撫でてもらい、「よ、よーし。こんなもんかなー」と言う晴の声を聞いて俺は立ち上がる。すると当たり前だが、晴の頭が俺の目線の下にきた。うん、やっぱりこの位置関係が落ち着く。
「サンキュー。日向のおかげでこれ以上恥をかかずに済んだよ」
「う、うん。ほんと、瀬古は抜けてるからねー」
「日向には言われたくないなぁ」
「なによ! せっかく人が親切にしてあげたのにさー」
そんな軽口を叩き合いながら、俺たちは教室へ戻っていく。
そして授業が始まり、昼食後の眠たい時間をまず一限耐え切った俺のところに晴がやって来た。
「あれ、どうした?」
「えっと……さっきの授業のここが分からなくてさ。教えてくれないかな」
「お、いいぞ。やる気が出たっていうのは本当だったみたいだな」
「嘘ついてないし! 本気でやるよ。じゃないと、離ればなれになっちゃうし……」
晴はこの夏までに美彩が納得のいくレベルまで理数系の学力を強化しないと、文理選択で理系を選ぶことができず、俺たちとはクラスが別れてしまう可能性がある。そのためにも、今は勉強を頑張らないとな。
晴に質問された内容は幸運にも俺は理解できていたところだったので、簡単に教えることができた。すると、晴も理解してくれたみたいで、その単元の例題の解法も口頭で答えることができた。
「よし。完璧に理解できてる。やったな日向」
「うん! ありがと瀬古! ……あ、あのね。あたし、偉い?」
「ん? おぉ偉いぞ。やる気もしっかりあって、結果も伴っている。このままいけば夜咲も納得するだろう」
瀬古先生は褒めて伸ばすタイプだった。なので生徒の要求に応えて、しっかりと褒めてやる。
「えへへ。……じゃあ、頭撫でて?」
「……へ?」
生徒である晴は小声でそんな要求をしてきた。
俺は戸惑いつつ、小声で返事をする。
「晴。ここは教室内だし、それはまずいだろ」
「嫌だ。撫でてほしい。さっき撫でてあげたじゃん」
「あれは寝癖直しだろ。……はぁ。ちょっと遅れて西階段のところに来て」
「う、うん!」
俺は晴を置いて教室を出ると、そのまま左へ曲がって西階段へと向かった。この西階段、廊下の端に位置する上に周りに利用頻度の高い教室がないため、あまり利用する人がいない場所である。
そこの踊り場で待っていると、晴が駆け足でやって来た。そして俺の姿を見ると、満面の笑みを浮かべて飛び込んできた。なるほど、たしかに犬みたいだなと小井戸との会話を思い出す。
「えへへ。学校でレンとこうするの初めてだね。ちょっとドキドキする」
「そうだなぁ」
「……なんかいつもと違う匂いがする気がする」
「さ、さーて、人が来る前にさっさとやるか」
わんこ晴から不穏な気配を感じたため、俺は早速晴の頭を撫でてやる。
小井戸の時も思ったが、どうして女の子の髪の毛はこんなにサラサラでいい匂いがするのだろうか。
気がつけば、俺は胸の高鳴りを感じながら夢中になって晴の頭を撫でていた。晴は目を細めて、時折「んっ」と言う声を漏らしている。
30秒ほど撫でてやり、俺は一歩下がって晴から離れた。すると晴はあからさまに落ち込んだ様子を見せる。
「……晴が勉強頑張ったら、またさせてくれ」
「あ……うん! あたし頑張るね! えへへ」
そんな彼女の様子が見てられなくて、俺はついそんなことを口走ってしまった。
俺が晴の頭を撫でるために、晴が勉強を頑張るという変な構図が出来上がってしまっているが、まあ晴のモチベーションを維持できるのならいいのかな。
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