第38話

 突然、荒平っていう先輩がレンに「今ここで夜咲ちゃんに告白してみろよ」と言い始めた。あたしは意味が分からなくて何もできずにいた。この先輩がどうしてそんなことを彼に要求するのか、そんなことをしてしまったら美彩はなんて返事をするのか。分からない。分からない。分からないよ。


 怖くて想像もしたくない。考えたくない。だから分かろうとしない。


 そんな情けないあたしに引き換え、美彩は先輩に立ち向かった。告白という行為を侮辱するなと。発言自体の主語は全ての人の告白だったけど、それがレンの告白を指していることはあたしには分かった。彼女の本気度が伝わる。


 勝てるわけないよ。美彩はレンの初恋の相手。美彩もレンが初恋の相手。そんなの、あたしが敵うわけないじゃん。


 あたしだってこれが初恋なのに。何が違うのかな。ううん、そんなの分かってる。今、こうしてレンを守ることができないあたしと、守ることができている美彩。明確な差がそこにある。


 美彩がレンを盛大に庇ったことで、周囲のクラスメイトが二人の関係性に違和感を抱き始めた。


 まずい、バレてしまう。二人の矢印が双方向であることに。もしそうなったら、そうなってしまったら、あたしに勝ち目なんて……


 美彩が周囲の声に堪らず部屋を飛び出した。彼女を即座に追いかけるレンの後ろ姿を見送りながら、勝ち目なんて最初からないのだと気付かされた。気づいていたはずなのに。彼と二人だけの秘密の関係を持ったことで少しいい気になっていたのかもしれない。


「あーあ。なんだよあの子たち、二人で盛り上がっちゃってさ。この空気どうしてくれんのかなぁ」


 荒平先輩がぼやく。しかし、この部屋を覆うこの重苦しい空気を作り出したのはレンたちではなく、明らかに荒平先輩自身だ。そんなの皆が分かっている。だけど誰もそれを言及することはできない。あたしも顔を俯かせることしかできない。


「もう空気しけちゃってるしさ、オレは帰ることにするよ」


 荒平先輩が帰る。それは朗報だった。この人さえいなくなれば、楽しい交流会を仕切り直すことができるかもしれない。そうでなくとも、レンと美彩と三人で仕切り直せば……二人は帰ってくるのかな。このまま二人で帰っていかないよね。あたしを置いて行かないよね。


「それじゃあ、オレと一緒に帰ろうよ。日向ちゃん」

「……へ?」


 突然、荒平先輩に指名されて驚く。顔を上げると、目の前には荒平先輩の手があった。聞き間違えじゃないことに気づく。


 ふと、レンが差し出してくれた手を思い出す。今すぐにでも掴みたいと思えるような手。一方で、今目の前にある手にはなんの魅力も感じない。


「あたし、ですか?」

「うん。オレ、実は日向ちゃんに興味があってさ。仲のいい二人がどこか行っちゃったみたいだし、今日はオレと一緒に帰ってくれないかな」

「え、でも……っ」


 二人がもしかしたら帰ってくるかもしれないし、あたしはここでもう少し二人のことを待ちたいと思っていた。だから荒平先輩のお誘いを断ろうと思ったのに、その瞬間、周囲からの視線があたしの体を突き刺した。


「早く一緒に帰ってくれよ」

「その先輩をどこかに連れて行ってくれ」

「お前が一緒に帰れば俺たちは助かるんだよ」


 そんな思いが込められた視線を受け、あたしは、


「……わかりました」


 そう答えることしかできなかった。


「ひ、日向氏! 本気なのか!?」


 隣に座っているオタくんが声をかけてきてくれた。あたしを心配してくれているのは分かったが、やっぱりここはあたしが行かないとダメみたい。というより、あの視線を浴びながらここに居続ける忍耐力をあたしは持ち合わせていない。


「オタくん。あたしは今から電車で帰るから。瀬古によろしくね」

「日向氏……承知したっ」


 少しの賭け。もし、彼が来てくれたなら、その時あたしは……彼に自分の気持ちを素直にぶちまけてみようと思う。




 * * * * *




 荒平先輩と一緒に帰路につく。


 カラオケ店からなら家まで直接歩いて行ってもいいけど、荒平先輩に家の住所を知られたくないと思い駅に行くよう誘導した。


 そしてわざと、いつもよりゆっくりと歩く。荒平先輩はあたしの歩くスピードに苛立っているようだが、表面上は紳士的にこちらに合わせてくれている。


 意識して荒平先輩と少し距離空けるのに、歩いて行くうちにそのスペースがじわじわと詰められてしまいストレスがたまる。このままだといずれ身体を触られそうなので、こちらもまたゆっくりと距離を空ける。そんな攻防戦を繰り広げている。


 視線もいやらしい。さっきからちょくちょくあたしの胸を見てくる。本人はバレていないと思っているみたいだが、バレバレだ。


 荒平先輩の話は……つまらない。基本的に自分の自慢話しかしない。いついつの試合で何点ゴールを決めただとか、サッカー強豪校のスカウトを蹴ってうちに進学したとか、そんなのばっか。


 前から散歩しているわんこが来た時も邪魔そうな顔をするだけで、話題に上げてくれない。彼だったら絶対に取り上げてくれる。「可愛いな。なんて犬種なんだろう」って。あたしが犬好きって知っているから。あたしがそれに簡単に答えることができるって知ってくれているから。飼い主さんの気持ちを考えすぎて、あたしから話しかけるのが苦手なことも知ってるから、「触っていいですか?」って代わりに飼い主さんに聞いてくれたりもする。そして「いいってさ!」って笑顔をこちらに向けてくれる。


 ——レン。レン。レン。レン。レン。


 荒平先輩と一緒に歩いていても、頭の中を占めるのはレンのことばかり。どうしてあたし、この人と一緒に帰ってるの? レンと一緒に帰りたいよ。どうして隣にいるのはレンじゃないの。どうして。どうして。


「ねえ日向ちゃん。ちょっといいかな」


 河川の上に架った人しか通れない小さな橋の上の途中で、荒平先輩は足を止め、どこか改まったような口調で名前を呼んできた。


「は、はい。なんですか」

「日向ちゃんって今付き合ってる人とかいるかな?」

「えっ……いません、けど」

「そっか! よかった! じゃあさ」


 なんとなく、その先に続く言葉が分かった。聞きたくはない。けど、ここまで来たらもう回避不可能だ。


「オレと付き合おうよ。オレ、日向ちゃん結構いいなって思ってるんだよね」


 あたしが初めて受けた告白は、そんな薄っぺらくて、軽くて、好きでもなんでもない人からのだった。


 涙が出てしまいそうになるのを抑えながら、あたしは返事をする。


「……ごめんなさい。先輩とはお付き合いできません」

「ん、どうして? あれか、オレのことまだあまり知らないからって感じ?」

「それもあります」

「それは追々知っていけばいいよ。それに君の親友が言ってたじゃないか。歌を聞けばその人の人となりがなんとなくわかるって」

「でも先輩歌っていませんよね」

「……ま、まあとにかくさ。別に今、他に好きな人もいないんでしょ?」


 好きな人……いる。正直に言ったら、諦めてくれるかな。


「います。好きな人、います。なので先輩とお付き合いできません」

「……誰?」


 荒平先輩の目つきが変わった。さっきまでその顔に張り付いていた笑顔は消えており、余裕がなくなったのを感じる。少し怯んでしまい、声が出なくなる。あたしが何も言わないのを察し、荒平先輩はあたしの好きな人を当て始めた。


「もしかして甲斐田?」

「甲斐田くん……あぁ、あの人か。違います」

「じゃあ守屋もりや?」

「……誰?」

「あいつら可哀想だな……」


 甲斐田くんは今日誘ってくれた人だよね。モリヤくんは本当に誰? サッカー部員かな。


「それじゃあ……もしかして、瀬古?」

「っ……」

「あぁ、そうなんだ。なんであんな奴を……」


 聞き捨てならない言葉が聞こえたが、恥ずかしくて声が出せない。今まで自分の胸の内に秘めていた想いを明らかにされて、どうしようもなく顔が熱くなる。


「瀬古はやめときなよ」

「……どうしてそんなこと言うんですか」


 なんとか声を振り絞って反論するが、荒平先輩はどこ吹く風といった様子だ。


「君のためを思って言っているんだよ。……さっきの二人の様子見たでしょ? 瀬古が夜咲ちゃんのことが好きなのは周知の事実だけど、あれ、きっと夜咲ちゃんも瀬古のこと好きだよ」

「っ」

「もし今はまだ違っても、いずれ瀬古に傾いてしまう。オレの経験から基づく推察さ。そうなると、瀬古にとっての一番目は夜咲ちゃん、夜咲ちゃんにとっての一番目は瀬古。……君は二人にとって二番目になるんだよ」

「っ……はぁ……はぁ……」

「このまま三人でいることもできるかもしれないけど、君は二人にとって二番目でしかない。どこかで劣等感を感じざるをえない。君はそれが耐えられるかい? ……でも、オレは君を一番目として扱う。だから、オレと付き合おうじゃ——」

「うるさい!!!」


 そんなこと、あんたなんかに言われなくたって分かっている。あの二人は既に両想いで、二人にとってあたしはせいぜい二番目でしかなくて。ずっと仲良し三人組なんて無理なんだって。あたしが彼に愛されることなんてないんだって。


 でも! でもほんの僅かでも望みがあるのなら、それに縋っていたかった。歪みきった関係でも彼のそばにいられるならそれで良かった。


 分かってる。全部分かってる。頭では理解している。でも心までは折れないように頑張ってきた。心も理解してしまわないように何重にもバリアを張ってきたの。なのに、壊さないでよ。もう、嫌だよ。


「うるさいってなんだよお前!!」

「きゃっ!?」


 荒平先輩に両肩を掴まれて欄干に体を押さえつけられる。レンが普段私に触れる際にかなり気を遣ってくれているんだなと思えるくらい、その力は強かった。


「嫌だ! 離して!」

「何なんだよマジでお前ら! 黙ってオレと付き合えよ! モテるんだぞオレは!」


 何とか荒平先輩の腕を剥がそうと暴れる。離れたって思ってもすぐに肩を掴まれ、結局また欄干に押さえつけられてしまう。


「くそッ……オレをコケにしやがって。後悔させてやる」


 何をされるかは分からない。けど、それがあたしにとって絶望的な宣告だということは理解できた。必死に体を動かして抵抗するが、もう荒平先輩の手があたしの肩から外れることはない。


 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。たすけて、たすけてよ。


「たすけて! レン!」


「何やってんすか先輩」


「っ!」


 恐怖のあまり瞑っていた目を開けると、目の前に、さっきからずっとそばにいて欲しかった姿があった。荒平先輩の腕を掴んであたしの体から剥がし、あたしたちの間に割って入ってくれる。


 ……レンだ。レンが来てくれたぁ。レン。レン。レン!











————————————————————

今までネタバレになるので明言しませんでしたが、

ヒロインのNTRは予定しておりません。ご安心いただければなと。

あと、いつもコメントありがとうございます。

全て読ませていただいておりますが、それによって展開を変える気はありません。

自分が読みたい作品を書いているつもりですし、現時点で70話近くまで書いているので、今更変えることもできないってのもあります。

おそらくこの文章もいつか消します。


追記:

あたたかいコメント感謝です。

コメントとの整合性取れなくなっちゃうので残しておきますね。

コメント自体は常識の範囲内であれば自由にしていただければなと思っています。

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