第49話

 俺が今抱えている美彩と晴関係の問題について、俺は後輩である小井戸に全て話した。一度話し始めると、俺の口は止まらなかった。堰を切ったように悩みが口から溢れ出ていく。


 そして俺は気づいた。誰かに話したかったのだと。誰かにこの悩みを共有して一緒に悩んで欲しかったのだと。悩みの性質上、親にも相談するわけにもいかず、小田を頼るわけにもいかない。俺は一人で抱え込むことしかできず、その結果があの入院だ。


 俺が全ての話を終えると、小井戸は「ありがとうございます」とお礼を言ってきた。その表情はどこか穏やかだった。


「まさかここまで面倒なことになっているとは思ってなかったっすけど、なんとなく状況は掴めました」

「なんで俺は後輩にこんな事話してるんだろうな……」

「む。相手が年下だからって頼っちゃダメなんてことはないっすよ。エイジハラスメントはやめるっす」

「なんでそんなマイナーなハラスメントで俺はまた訴えられてるんだ」

「年齢を意識しすぎなんじゃないすか? 人間は大人として頼って欲しい時もあれば、子供のように甘やかして欲しい時もあるんです。そこは臨機応変に行かないとダメっすよ」

「参考になりやす」


 なんか俺、先輩としての威厳が一欠片もない気がしてきた。


「それにしても、なんで小井戸がお礼を言うんだよ」

「うーん、なんとなくですけど。そうっすね……ボクの質問に答えてくださりありがとうございますっていうのと、ボクのこと信じて話してくださりありがとうございます、っていう意味が込められてると思うっす」

「思うってなんだよそれ。自分のことだろ」

「先輩だって、いま自分の気持ちが分からなくて困ってるんじゃないっすかー」

「ごもっともです。何も言えません」


 威厳なんてものはとうに無くなっていた。


「まぁ安心してください。部外者に教えるようなことはしません。このことはボクのこのそこそこ豊満な胸に秘めとくっすよ」

「助かります小井戸様」

「さ、様はやめて欲しいっす。あとボケにはちゃんとツッコんでください、恥ずかしいじゃないっすか」

「それしたら、今度はセクハラで訴えられますんで」

「そんなことしませんよ! あ、でも内緒にする代わり、毎日お昼にここでお会いしましょう」

「えっ。もう話は終わったと思うんだけど」

「いやいや、これからっすよー。ボクが先輩の相談に乗ってあげます! なのでお昼になったらここに来て、ボクとお話しましょう! 別に雑談するだけでもボクはいいっすけどね」

「……どうしてそこまでしてくれるんだ?」

「それはおもしろ……先輩が可哀想だなあって思ったからっす!」

「言い直された方の理由もキツい……後輩に可哀想だと思われるなんて……」

「じ、冗談っすよ。あれっす。昨日、助けてもらったお礼っすよ」


 昨日……あぁ、小井戸に振られるも、しつこく食い下がっていた奴を俺の登場によって撃退したやつね。俺の姿を見ることで自分の姿を客観視できて反省したやつね。八つ当たりだったのを小井戸に見抜かれていたやつね。


「お礼なんてしてもらうこと、俺は何もできてないよ……」

「せ、先輩!? 元気出してくださいよー弄りすぎたのは謝りますからー本当に感謝してるんですってばー」


 小井戸に体を揺さぶられながら励ましを受ける。


 小井戸は優しいな。どうせ俺なんて。俺なんて。俺なんて……


 なんて。冗談だけど。ちょっとしか気にしてないけど。本当に。ちょっとしかね。


「んー、それにしても荒平先輩かあ」

「知ってるのか小井戸」

「ふふーん。って、そこまでドヤれることじゃないんすけど。荒平先輩、校内では有名人ですよ。先輩ほどじゃないっすけど」

「後輩は会話の節に、俺にジャブ打たないといけない決まりでもあるの?」

「わーまた拗ねないでくださいー。……こほん。荒平先輩は『女泣かせ』の異名で有名なんです」


 異名って……そんな中二病心くすぐられるもの付けられてんのかあの人。しかし、


「『女泣かせ』って、なんだそれ。穏やかじゃないな」

「そうっすね。変に顔がいいもんで、女性には困ったことがないみたいっす。それで図に乗ってるみたいで、女性の扱いもぞんざいになってきたので『女泣かせ』の異名が付いたらしいっす。今は同級生の女子には相手されてないみたいっすよ」

「だから夜咲や日向に手を出し始めたのか。てかそれなら小井戸も気をつけないとな」

「なんすか先輩、ボクのことも心配してくれるんすかー?」

「小井戸もモテるだろうしなぁ。出会い方が出会い方だし」

「あはは。たしかに否定できないっすね。まぁ先輩の心労のためにも、気をつけますねー」


 俺の小井戸の身を案じる言葉も、彼女はそんな軽い感じで受け止める。


「あ、もうこんな時間っすね」


 小井戸はベンチから立ち上がり、振り返って俺の正面に立って言う。


「先輩。少しだけ、お二人から離れてみましょう。その代わり、ボクが一緒にいてあげます。ちょっとした気分転換っすよ」


 彼女の発する言葉はどれも薄っぺらくて、心に響いてこない。


 だけど、それが今の俺にとって一番心地よかった。


 気がつけば、俺は首を縦に振っていた。




 * * * * *




 昼休憩を小井戸と過ごすようになってから約一週間が経った。


 最初は昼休憩に入ってすぐに行っていたのだが、昼ごはんを食べる時間を後に持ってくると間に合わない可能性があるのと、二人から一緒に食べられないと不満が出たので、先に昼ごはんを食べてから裏庭に向かうようになった。


 今日も美彩と晴と一緒にご飯を食べてから、食後に二人と話すのではなく、裏庭へと向かった。


 ベンチに並んで座り、二人してそれぞれのスマフォの画面に釘付けになる。


「最近暖かくなってきて、外にいるのも気持ちいいっすね」

「ちょうどいい季節だよな。そういえば、小井戸はちゃんと昼食べてきたか?」

「もちの……ロン! 12000点!」

「あっ……お、俺がコツコツ貯めてきた点数がごっそり!」

「へへーん。これで対局終了っすね。はい先輩の負け、ジュース奢ってくださいね〜」

「連敗かよ……いちごミルクでいいよな」

「はい! お願いしまーす!」


 近くの自動販売機に向かい、紙パックのいちごミルクを買う。ついでに自分用のコーヒーも購入してベンチに戻る。


 初めて小井戸にジュースを奢ることになった時、適当に「いちごミルクでいいか?」と聞いたところ、満面の笑みで「はいっ!」と答えられて以降、こういう時はいちごミルクを購入することにしている。


「ほら、敗北者からの貢ぎ物」

「うわー嫌な言い方っすねー。でもありがとうございまーす。それにしても、まさか先輩が麻雀打てるとは思わなかったっすよー」

「それは俺のセリフだけどな。俺の場合、父さんの趣味なんだよ。小さい頃からたまに付き合わされてきたから、ルールは覚えてるって程度だけど」

「ボクも似たような感じっすね」

「しかし、こうやってスマフォひとつで手軽にできるようになったのは凄いな。趣味も電子化される時代か」

「先輩の集めている漫画は紙媒体っすけどね」

「それはスマフォを持っていない時からの名残でな……ってどうしてそれを知ってんだよ」

「ボクも紙で集めてるので! やっぱりペラペラ捲る感じがいいっすよね!」

「……さいですか」


 彼女の言うことを真に受けると痛い目にあうと、この数日間で学んできた。彼女と話す際は、ある程度のことはスルーするスキルが必要になってくる。


 小井戸は早速付属のストローを挿して、美味しそうにいちごミルクを飲む。


「いやー、人の金で飲むいちごミルクは格別っすね!」

「そりゃよーござんした。しかし、自分で稼いだ金で食うのも格別って言うよな。小井戸は自分で稼いだお金で食べる焼肉と、人の金で食う焼肉、どっちが美味いと思う?」

「うーん。ボクはまだ働いたことがないから分からないっすけど、前者は初任給に限られるって思います」

「あー、なんとなく分かる。初任給は特別だよな」

「すべての物事に共通して言えますけど、初めてってそれだけ大事なんすよー」


 ——初めて、か。


 最近は色んな初めてを失い、そして貰ったような気がする。


 やっぱりそれは特別で、その時のことは昨日のことのように思い出すことができる。


 だからこそ、慎重に行動するべきなんだと改めて自分を戒めるのだった。


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