第89話
小田は俺とは違って既に相手を選んでいるため、とにかく彼女の味方をすればいいんじゃないかというアドバイスだけを送った。
だってそれ以上のことは言えないし。俺に持ちかける相談じゃないよそれ。
「それで、瀬古氏はどうしてそんなことになっておるのだ?」
「ん? あぁ忘れてた。小田の話が衝撃的すぎて」
「いや、瀬古氏は我よりすごいことになっておるからな」
「小田の成れの果てだな」
「我は部長に靡いたりなどしない!」
「あ、部長さんだ」
「ぶ、ぶぶぶぶぶぶ部長!? い、今のは違うのだ! その、言葉の綾というか……っていないではないか!」
「なんか小田も今後苦労しそうな気がする」
「……我も、そう思う」
二人して目線を下げ、目に入った焦げてしまいそうな肉を拾い上げる。
「ある意味平和な結果になったわけだけど、現実的にはどうだろうか」
「まあ難しいだろう。我が国は一夫多妻制ではないからな」
「だからあんな騒動になったわけだしな。てか、噂のまんまになってないか今の状況」
「せっかく否定できたのにな。そういえば、例の騒動の解決は小井戸氏の活躍が大きかったみたいだな。我は彼女を疑ってしまったことを悔やんでも悔やみきれない」
「あいつはあんまり気にしないと思うけどな。それよか、俺のために小井戸について調べてくれたりしてたし、そっちの方を評価しそう。俺も感謝してるし」
「そう言って貰えると助かる。しかし、小井戸氏のモチベーションがよく分からない。以前、瀬古氏から聞いた話だと、瀬古氏が彼女に悩みを打ち明けた時には既に、彼女は動いておったのだろ?」
「そうなんだよなぁ。本人にそのことを指摘しても、『先輩に救ってもらったお礼』の一点張りだなんだよ」
「もしや瀬古氏、それより前に既に小井戸氏に会っていたのでは?」
「あの髪色だぞ? 流石に忘れるわけないさ。染める前だとしても、あのキャラも印象強いし」
「しかし、彼女が自分のことを『ボク』と呼んだり、語尾に『っす』を付けたりするのは小井戸氏の前でだけであろう? 我が彼女のことを調べていた際、そのような情報は出てこなかったぞ」
「あー……じゃあ、別のキャラの小井戸に会っていた可能性はなきにしもあらずってことか」
こうして小田と話していても、疑問は増えるばかりだ。だけど、小井戸について改めて見つめ直してみる必要はありそうだ。そこに気づけたのは、やっぱりこうして小田と話したおかげだ。
「あ、そうだ。それで俺の悩みなんだけどさ」
「なに。お二人とお付き合いを始めたことではないのか」
「いやそれに関連する話でさ、小井戸も関係することなんだけど……」
俺はそこで焦げついた肉を頬張る。口内に苦味が広がりつつ、わずかな肉の旨味を堪能する。そして、それを飲み込んで話す。
「二人が小井戸と話をしたいって言ってさ……明日、俺同席のもとで四人で会うんだよ」
「……瀬古氏、死ぬなよ」
「これが最後の晩餐かなぁ」
「瀬古氏。今は昼だぞ」
「細かいこと言うなよ……」
小田の反論に対してぼやきながら、ちょうどよく焼けた肉を取ろうと持ち上げると、表面は綺麗なのに、火に面している側は焦げ付いてしまっていた。
ベストタイミングなんて、目に見えて分かるものではないのかなあと胸中で呟く。
* * * * *
そしてその日はやってきた。
小田と焼肉に行った翌日。月曜日の放課後。
俺たちはいつもの喫茶店にやって来ていた。
そもそもサッカー部は停部になってしまっていることもあるが、小井戸は既に退部したらしく、彼女が放課後に都合をつけるのは容易だった。
ソファのボックス席。俺の対面に小井戸だけが座り、両隣には美彩と晴が座っている。
2対2で座ればいいものの、2人が頑なに3対1の形を譲らなかった。
「流石に2人想定の席に3人はキツくない?」
「いいじゃない別に。こうしてあなたとくっついていられるのだし」
「そうだよ。それに、席移動するとしても誰が小井戸ちゃんの隣に行くの? あたしは動かないよ?」
「もちろん私も移動する気はないわ」
「じゃあ俺が」
「それは絶対にありえないわ」
「絶対にダメ!」
とまあこんな感じで、座席の構成を変えることは叶わなさそうだ。
俺たち3人を対面にして、小井戸は苦笑いする。
「なんか圧迫感ありますね、これ。面接みたいっす」
「それではまず、弊社を志望した理由を教えてもらおうかな」
「はい! ボクは御社のですね〜」
「ボクとか舐めてんの? 不採用です」
「うわー先輩厳しいっすよー急なボケに乗っかれただけ褒めてくださいよー」
「臨機応変に対応できる方みたいですね。高評価です」
「なんか評価されたっす! やったあ!」
「ねえ、もう終わったかな? レンはあたしとお話ししよ。ね?」
「私たちは何を見せつけられているのかしら。気に入らないわ」
彼女らは俺の両腕にそれぞれ腕を通してきて、力強く自分の体に引き寄せてきた。少し痛いけど柔らかい。
「いや、ごめん。なんていうか小井戸とはいつもこんな感じで、バカな会話ばっかりしてるからつい」
「ぶぅ。あたしともしようよ! おバカなトークならあたしだってできるもん!」
「それ言ってて悲しくならない?」
「……レンは、あたしがおバカだときらいになる?」
「そんなことで晴のこと嫌いになるわけないだろ」
「えへへ。レン好きぃ」
「え。ボクいま何見せられてるんすか。ボクをダシにしていちゃついてますよねこれ」
惚けた顔を俺の腕に擦り付けてくる晴を見ながら、小井戸はげんなりとした表情を浮かべる。
「全くだわ。公衆の場でそのようなことをするのは少し恥ずかしいわよ、晴」
「美彩さん。あなたも腕を組んできているんですけど」
「あら。蓮兎くんは嫌だったの?」
「嫌じゃないです」
「本当は嬉しいのでしょ?」
「……はい」
「ふふ。蓮兎くん可愛い。これからはいつでもこうしてあげるわね」
「あれ? 夜咲先輩もなんかいちゃついてません? もしかして、この座席ってボクに惨めな思いをさせるための構図だったんすか!?」
揶揄うような目つきをした美彩を前に、小井戸は絶望の声を上げている。
なんとも不憫な立ち位置だなあと小井戸に同情していると、頃合いを見てマスターが注文を取りに来た。
俺と美彩、そして晴は来たことのあるお店であるため、前と同じ注文をする。一方で、初来店の小井戸は急いでメニューを眺めている。
「今日は俺が奢るから、好きなもの頼めよ」
「いいんですか? ありがとうございます!」
「呼び出したのは俺たちの方だからな。このお店はコーヒーがおすすめだけど、小井戸はコーヒー飲める?」
「あんまり好きではないっすね。……うーん、何にしよう……」
小井戸はメニュー表を睨むように見ているが、なかなか決まらないようだ。彼女が好きな飲み物と言えばいちごミルクだろうが、たしかメニュー表にはなかったと思う。
まあでも、一応聞いてみるか。
「マスター。いちごミルクってできますか?」
俺がそう訊ねると、マスターは少し考えた素振りを見せたあと、右手の親指と人差し指で丸を作ってくれた。
「あ、じゃあいちごミルクにします! へへ、先輩ありがとうございます!」
「俺は聞いただけだよ。それに、いつもそればっかりで悪いな」
「いえいえ! 本当に好きなので! 先輩のいちごミルク!」
「その言い方は語弊を生むなあ」
「えーなんすか先輩ーボクで変な想像……あ、いえ、なんでもないです」
「ん? ……あ」
またもや、小井戸といつもの調子でバカトークを始めてしまい、両隣から圧を感じるようになった。
「前から知ってたけど、レンって優しいね。でも今は彼女であるあたしに、その優しさを向けてほしいな。あたしの好きなものも、これからたくさん知っていってね」
「あなたはやっぱり年下が好きなのかしら。同級生も素敵よ? それも大人の対応ができる女性は特に、ね」
俺は冷や汗をかきながら、小井戸とアイコンタクトを取り、今日はあのノリを封印することに決めた。
「ねぇ。目で会話しないで。それやだ」
「二人は本当に仲が良いのね。少しつまらないわ」
配慮したつもりで取った手段は、むしろ燃料になってしまったみたいだった。
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