第33話

 今日は私の提案で、蓮兎くんの家に訪問している。


 蓮兎くんのお母さんはとても気さくな方で、出会ってすぐに打ち解け合うことができた。隣で晴がガチガチに緊張していたから、それを見て逆に私は緊張が解れたのもあったのかもしれない。


 蓮兎くんの部屋は特にこれといった個性は感じられなかった。思えば、私は蓮兎くんが好きなものや趣味をあまり知らない。本棚を軽く観察すると、漫画が何種類か並べられてはいたが、やけにスペースが空いていた。あまり漫画を集める趣味もないのかもしれない。


 蓮兎くんは基本的に自分の話をしない。私たちが趣味嗜好に沿った話題を提供してくれるが、自分の趣味の話を積極的にするタイプではないのだ。


 私たちから聞くべきだったのだろうか。けれど、部屋を見る限りそれらしいものが見当たらないため、もしかしたら本当にないのかもしれない。


 ——趣味を一緒に探すというのも良いわね。そうしたら共通の趣味を持つこともできるし……ふふ。


 今回、蓮兎くんの部屋への訪問を提案したのは、彼の部屋自体を見てみたかったと言うのもあるけれど、彼のことをよく知る良い機会になるのではないかと考えたから。


 彼の趣味嗜好を探ることはできなかったけれど、幼少期や小学生時代の彼の姿を写真で見ることが出来たのは幸運だった。幼い蓮兎くんはとても愛らしく、彼の子供もこんな風に育つのかなと少し想像してしまった。


 ただ、打って変わって小学生時代の蓮兎くんからは生気を感じられず、私が初めて彼と出会った頃、つまり中学生時代の雰囲気を既に纏っていた。


 この間に何があったのか。彼自身の口からは聞かされることはなかった。けれど、その後に蓮兎くんのお母様から「私と一対一でお話ししましょう〜」とお誘いをいただき、お母様とお話をする際に聞くこととなった。




 * * * * *




 一階に降りて、リビングのテーブルに蓮兎くんのお母様と対面の形で座る。淹れていただいたコーヒーを私が一口飲んだところで、お母様はお話を切り出された。


「ごめんなさいね、急に一対一でお話ししたいなんて無理言って」

「いえ。私ももっとお話ししたいと思っていましたので、むしろありがたいです」

「うふふ、ありがとう」


 お母様はやはり彼の母親なのだと、今のやりとりで改めて思わされた。


「美彩ちゃんにはずっとお礼を言いたかったのよ」

「私にお礼、ですか?」

「えぇ。あの子、中三の時に変わったでしょ。ううん、変われたでしょ? 以前、美彩ちゃんのおかげだってあの子が話してくれててね。私からも一度お礼を言わないとって思っていたの」

「そんな。私は特に何もしていません。蓮兎くん自身が頑張った成果だと私は思っていますので」

「そんな謙遜することないのに。でもお礼を言わせて。……あの子が変わる機会を作ってくれてありがとう、美彩ちゃん」


 お母様は私にお礼の言葉を述べて、頭を下げた。私は「頭を上げてください!」と慌ててしまう。


 お母様は頭を上げ、私の顔を正面から見つめて笑みを溢す。そしてマグカップを持ち上げてコーヒーを一口飲み、どこか遠くを見つめながら言う。


「変わったって言ったけど、元に戻ったって言うのが正しいのかもしれないのよね、あの子の場合」

「元に戻った……もしかして、幼稚園に通っていた頃の蓮兎くんにですか?」

「あら、そこまで気づいているのね。すごいわ〜。あの子、愛されてるのね」

「あ、愛……そ、そんな、わた、私は、その」


 お母様から突然「愛」なんて言葉が出てきて激しく動揺してしまう。


 するとお母様はその柔和な笑顔は変えず、けれど鋭い眼光で私を射抜くように見つめてこられた。


「美彩ちゃん。あなた、蓮兎のことどう思ってる?」

「……えっ。あの、それはどういう意味でしょうか」

「そのままの意味よ。あの子に少しでも好意を持ってくれてる?」


 なにやら試されているような質問。もしかしたら、彼はお母様に、私が彼の想いに応えないことを報告しているのかもしれない。……いいえ、それはありえないわ。彼がそのようなことをするイメージがつかない。


 では何故このような質問をお母様はされているのか。いくら考えても結局わからないけれど、正直に答えるのが一番だという結論に至った。


「……はい。好きです。私は、蓮兎くんに好意を持っています」


 私はお母様の目をまっすぐに見つめ、初めてその気持ちを口にした。


 するとお母様は「そう」と呟き、目を細めた。


「あなたたちが今後どんな付き合い方をしていくのか、そのことについて私は何の関与もしないわ。けどね、ちょっと美彩ちゃんにはお願いがあったの。そのためにさっきの質問をさせてもらったってわけ。急に変な質問しちゃってごめんなさいね」

「い、いえ。大丈夫です。それで、私にお願いとは」

「えぇ。その前に……話は戻るんだけど、蓮兎は昔、今みたいな……ううん、今より活発な子だったの。好奇心旺盛で何にでも手を出すし、すれ違う人全員に挨拶をする勢いだったり、私の家事を率先して手伝おうとしたりね」


 優しい性格なのは昔から変わらないのねと少し微笑ましくなりつつも、たしかに今の彼より積極的な感じがした。


「本人は当時の記憶が曖昧みたいで、あまり覚えていないみたいなんだけど、ちょっとした事故があってね。あの子は自分のせいだって思い込んじゃったみたいで、それ以来、自分を押し殺した生き方をするようになって……」


 お母様はテーブルの上に置いていた拳を強く握る。それが悔しさからくるものだとすぐに察することができる。


「そして美彩ちゃんに会って、あの子は少しだけあの頃に戻ってくれたの。だんだん元気を取り戻していくあの子の姿を見て、私はもちろん喜んだわ。……だけど、同時に不安でもあった。また塞ぎ込んでしまうんじゃないかって。今度はもっと深くまで潜ってしまうんじゃないかって。あの子、一人で考え込む癖があるから。かなり悩み込んでいる時は発熱と酷い頭痛がするみたいなの」


 お母様はそこで一息入れて、「だからね」と私の目を見つめ直して仰った。


「蓮兎の母親としてお願い。どうか、あの子を見守ってて欲しいの。欲を言ったら支えてあげて欲しい。本当は親である私の役目なんだろうけど……多分、私じゃダメだから」

「お任せください。お母様や蓮兎くんは、蓮兎くんを救ったのは私のように言ってくださいますが、救っていただいたのはむしろ私の方です。これから彼に恩返しできるよう努めてまいりますので、ご安心ください」

「……ありがとう、美彩ちゃん」

「それと、蓮兎くんはお母様を頼りにしていると思います。ですので、あまりそのように思わないでください」

「うふふ、あの子が? ……でも、美彩ちゃんの言うことだし信じちゃおうかな」


 お母様は悪戯っぽく笑い、私もそれにつられて笑みをこぼした。それがこの話題を打ち切ったという空気が流れる。


 お母様は緊張されていたのか、ん〜と体を上に伸ばし、ふぅと息をつく。


「美彩ちゃんはお姉ちゃんって感じがするわ。兄弟とかいるの?」

「従姉妹がいます。中一の妹なんですが、蓮兎くんに懐いていて、彼にはよく遊んでもらっています」

「あらそうなの? 蓮兎の奴、そんなこと一言も言ってなかったのに。……そう。妹ね」


 最後の言葉を呟く際、お母様の瞳はどこか遠くを見つめていた。そこにはいない、誰かを見つめるような、そんな悲しい瞳。


 そういえば、お母様は娘が欲しかったのだと彼が言っていたのを思い出す。


「私も妹ちゃんと会ってみたいわ」

「でしたら今度連れてきますね。あの子も蓮兎くんのお母様ならお会いしたいと言うと思うので」

「あら本当? 嬉しいわ」


 それから私とお母様はたわいもない会話をして、今度は晴とお話をするために私は席を立って二階へと戻ろうとする。


「私のわがままに付き合ってくれてありがとね」

「いえ。私もお母様とお話できて嬉しかったです」

「そう言ってもらえると助かるわ。……話を聞いて思ったけど、あなたたち三人って本当に仲が良いのね」

「はい。二人と出会えたことが私の学生時代の宝だと思っています」

「美彩ちゃんにそこまで言わせるなんて、あの子もやるわねぇ。それにしても、本当にバランスが良いというかなんというか」


 お母様は少し寂しげな目をして言った。


「その均衡を、ずっと保っていて欲しいわ」

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