第32話
ついに訪れた約束の日。
集合場所は私と瀬古くんの最寄り駅。
駅前はイルミネーションで彩られており、今日がクリスマスなのだと視覚で訴えてくる。
普段は目的地までお父さんに送ってもらっているが、今日だけは最寄り駅に集合することにした。だって、その方がデートみたいだもの。
最寄り駅はあまり大きい駅ではなく、風通しが良い。そのため駅構内にも関わらず、私の体温を奪っていく。けれど苦ではなかった。
近くのお店の窓ガラスに映る自分の姿を見る。上は黒のニットに白いコートを羽織り、頭には黒いベレー帽。チェック柄のショートパンツを履き、寒さ対策と肌露出を抑えるために黒タイツを履いている。
上一式はほとんど紗季が選んでくれたもの。おしゃれに目覚めた私だったけれど、急に高いレベルに達することはできず、紗季に手伝ってもらったのだ。小学生の妹に手伝ってもらうなんて、情けないわ。
私は普段、ロングスカートかデニムしか履かない。このショートパンツは先日、晴と二人で買い物に行った際に買ったものだ。晴は普段スカートは履かないのに、その日は丈の短いスカートを買っていた。それを横目で見ていた私は、自分も挑戦しないとという気持ちになり、これを購入したのだ。
全ては今日のために。
ポーチから手鏡を取り出し、色が落ちていないかを確認する。次にリップグロスを取り出して軽く塗り、唇に潤いをもたらす。もしものことがあるかもしれないから……。
心臓が激しく鼓動する。早く来てほしい。けれどもう少し心の準備をする時間が欲しい。そんな矛盾した気持ちが私の中で暴れている。
そのような私の気持ちは考慮されることはなく、時間を通常通りに過ぎていき、約束の時間が近づけば必然と彼も姿を現す。
「おっす夜咲。やっぱり早いな。寒かったよな……待たせて悪い」
少し申し訳なさそうに眉を落としながら、瀬古くんは現れた。
彼は決して集合時間に遅れてなどいない。むしろ十分前と早めに来てくれている。ただ自分がそれより早かっただけ。
「気にしないで。さあ、行きましょう」
合流することが目的ではない。早く街へ繰り出したい私は、少し先を急ぐ感じの受け答えをしてしまった。そこでふと、以前も似たようなやりとりがあったなと思い出す。「私も今来たところよ」と言った時、彼は「デートみたいだ!」と喜んでいたのが印象的だった。
……少し惜しいことをしたわ。
彼は今日のお出かけをデートだと認識しているのだろうか。もしかしたらそう思っているのは私だけで、彼はいつもと同じだと思っているかもしれないという今までにはなかった不安が過ぎる。
少しでもデートだという印象を持って欲しい。そう思った私は、改札を通って少し進んだところで行動に出た。
「瀬古くん」
「ん? どうした?」
「私、実は方向音痴なの。一人で電車に乗ったこともない。前の紗季と同じね」
「あー、うん。それはなんとなく察してたけど」
「そ、そう。それじゃあ話は早いわね。はい」
「……はい?」
私が彼の前に右手を差し出すと、彼は私の手と顔を交互に見ながら頭の上に疑問符を浮かばせる。
「私と手を繋いで欲しいわ」
「……え!? ど、どうしたんだよ急に」
「さっき言ったじゃない。私は紗季と同じく方向音痴なの。それで瀬古くん。あなたは迷子の紗季と一緒に電車に乗る際、紗季と何をしたか覚えているわよね」
「い、いやそれは覚えてるけどさ。紗季ちゃんは妹みたいなわけで、夜咲は流石に同級生だし……」
「エイジハラスメントは嫌よ」
「俺たち同じ歳だよね!?」
「……ダメ、かしら?」
宙ぶらりんのままの手が冷えてきて、私の気持ちも少しずつ落ち込んでくる。だからか、普段の自分なら出さないような弱々しい声が出た。すると、先ほどまであたふたしていた瀬古くんは覚悟を決めたような表情に切り替わり、私の右手を握ってくれた。
「……まあ、今日はそういう日だし。あんまり目立つこともないよな」
「あっ……」
彼の口から発された「今日はそう言う日」という言葉。それはつまり、彼も今日をクリスマスだと、恋人の日だと認識しているということを示唆している。
無意識に彼の手を握る力が強くなる。そして感じた。私が本気で握っても、この手は絶対に潰れないだろうと。そう思わされるその隆々とした手に、彼が男性であることを改めて思い知らされる。
今日は恥を捨てると決めた。だから自分が方向音痴であることも自白した。結局、瀬古くんは察していたみたいだけど……。
今、私たちはお互いの手のひらを合わせ、指を交差する状態で手を繋いでいる。それは周囲の男女ペアのそれとは違う。
ここでもう一踏ん張り。今日の私ならできるわ。
「瀬古くん。この繋ぎ方では心許ないわ。もっと強固な繋ぎ方にしましょう」
そう言って、私は手首の角度を変えて指を滑らせ、彼の指の間に自分の指を絡ませた。瞬間、彼の身体がビクッと跳ねた。
「き、今日の夜咲はなんだか大胆だなー」
瀬古くんは少し遠くを見ながらそんなことを言う。だから私はクスッと笑い、
「ふふ。今日はそう言う日だもの」
と言ってみせた。彼の体がさらに強張っていくのを手全体から感じ取る。
さっきまで寒かったはずなのに、今は体が内側からポカポカとあたたまり始めていた。
「あ、そうだ」
瀬古くんは何かを企んでいるような笑みを見せ、私に言う。
「今日の格好、とびきり似合ってるな。めっちゃ綺麗だ」
きっと彼は私が揶揄ってきているのだろうと考え、仕返しにそんなことを言ってきたのだとすぐに分かった。だけど彼がそう言う時でもそのような嘘をつくとは思えず、気づけば私の身体は非常に熱くなっていた。
* * * * *
それから電車に乗って移動した私たちは、クリスマス一色になった街をあてもなく練り歩いた。いつもと変わらないお出かけコース。あえて変えなかった。晴や紗季を含めた三人の状況と違い、瀬古くんと二人きりという状況に変わった場合の私の心の変化を調べたかったから。
結果、これ以上になく充実した時間を過ごすことができた。
やはり、瀬古くんの意識が常に私にあることが一番大きい。瀬古くんは普段、みんなに平等に話題を振ろうとするため、街中を歩いていても着目するものはバラバラだったりする。けれど、今日は全て私好みのものだけに着目し、それを話題に上げてくれる。
それだけではない。私に意識が集中する分、普段より多くの場面で私のことを褒めてくれた。昼食にパスタ店へ行った際も「夜咲って食べ方綺麗だよな」と、クリスマス仕様のぬいぐるみに惹かれていると「夜咲って可愛らしい趣味持ってるよな」と、アパレルショップで商品を見ている時も「夜咲って何でも似合いそうだよなぁ」と……
そして、彼は食事中以外ほとんどの時間、ずっと手を繋いでくれていた。彼の手から伝わる熱が、あたしの心をとろけさせていくのが分かる。
最後に私たちは、駅から少しだけ歩いたところにある大通りを歩いた。そこは盛大にイルミネーションされており、街中のカップルが集結しているのではないかというぐらいに男女のペアが多かった。そんな環境下を、私たちも歩く。
大通りの端まで歩き終わり、多くの電飾品が飾られた一番大きな木の下で、私たちは足を止めてそれを見上げる。
「綺麗ね」
「だな」
おそらくこの大通りの一番の見所がこの木だろう。そう思わせるほど、それは煌びやかに輝いていた。
「そうだ。はいこれ」
瀬古くんが何かを私に差し出してくる。さっきから手に持っている店名の入った袋だ。
「どうしたのこれ」
「クリスマスプレゼントってやつ。俺たちにはもうサンタはいないからな、こうやって自分達でやるしかないわけさ」
「えっ。……開けていいかしら」
「もちろん」
瀬古くんから受け取った袋の中から出てきたのは、私が先ほど試着したマフラーだった。
「気に入ってたみたいだからそれにしたんだけど、どうかな」
「嬉しい。本当にありがとう」
私は早速マフラーを自分の首に巻いてみる。プレゼント用で買ったからか、既にタグは切られていた。
首にマフラーを巻くだけで、一気に体温が上がった気がする。
「どうかしら」
「うん。やっぱり似合ってる。目の保養になるな〜プレゼントした甲斐があった」
彼はそんな冗談めいたことを言っているが、それは私が気を遣わないようにしているのだと私だって気づく。
「ごめんなさい。友人同士でクリスマスプレゼントを送り合うような習慣がなくて、何も考えていなかったわ。今から用意してもいいかしら」
「いいよいいよ、俺が勝手にしたことだし。別に見返り欲しくてやったわけじゃないからさ。ほらあれ、サンタになってみたかった的な」
「ふふ。なによそれ」
やっぱり彼は私の失態をフォローしてくれる。だけどこのままでは私の気が収まらない。
「……ねえ。こんなものって思うかもしれないけれど、瀬古くんへのプレゼント考えたわ。聞いてくれるかしら」
「本当に大丈夫なんだけどなぁ。まあ聞くだけ聞こうじゃないか! 果たして夜咲はサンタ検定1級の俺を唸らせるようなプレゼントを思いつくかな——」
「これから、あなたのことを蓮兎くんって呼ぶわ。それが私からのクリスマスプレゼント」
瞬間、彼の顔が本当にサンタさんの格好のように真っ赤になった。そして口を開いたり閉じたりして、固まってしまった。
耳まで赤くなっているのを見て、私の中で彼への愛おしさが爆発する。
ふと周りを見ると、奇跡だろうか、それとも本当にサンタさんが私たちにプレゼントを与えてくれたのだろうか。さっきまでたくさんいたはずなのに、人が一人もいなくなっていた。
……もしかして告白の絶好の機会じゃないかしら。
私たちの間に流れる空気は今最高潮に達している。他に人もいない。私が望むシチュエーションが全て揃ってしまった。
後は彼の口から「付き合って」という言葉を聞き、私が「はい」と答えるだけ。
そうしたら、今日みたいな幸せの時間をまた過ごすことができる。
私は彼の口に意識を集中させる。先ほどから固まっている彼の口元が、ついに開かれる。
「は、恥ずかしいな。あんまり下の名前で呼ばれるの慣れてないから余計に」
「ふふ。お気に召してくれたかしら」
「あぁ、めっちゃ嬉しい。けどその分恥ずかしい、かな。慣れるまで時間かかりそうだな〜。あ、そうだ」
彼は何かを思い出したかのようにスマフォを取り出し、言葉を続ける。
「せっかくだし写真撮ってもらおうぜ。こんなに綺麗なんだし」
「えっ……」
「ちょっと俺その辺の人に頼んでくる!」
彼はそう言って、同じくイルミネーションを楽しんでいる人のもとへ駆け寄り、写真を撮ってくれないかと交渉をしに行った。
どうして告白してくれないの。どうして人を呼んでしまうの。私はもう「はい」と言う準備はできていたのに。他の選択肢なんて無くしていたのに。どうして。どうして。どうして。
「夜咲ー。この方たちが写真撮ってくれるってさ! ほら、並ぼうぜ」
「え、えぇ」
彼と木の前に並んで立ち、彼のスマフォを持った男の人に笑顔を向ける。そして撮影していただいた写真を確認すると、そこには恋人同士にか見えない二人の男女が写っていた。
……ふふ。彼、私のプレゼントの衝撃で告白が吹っ飛んでしまったのね。仕方のない人。でもそこがまた可愛らしい。
今まで彼を待たせてしまった分、今度は私が待つ番ってことね。いつまでも待つわ。けれど、やっぱり早めの方が嬉しいわ。
蓮兎くん。あなたのことが好きよ。
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